凡春秋二十三家、九百四十八篇(省『太史公』四篇)
古之王者世有史官、君舉必書、所以愼言行、昭法式也。左史記言、右史記事、事為『春秋』、言為『尚書』、帝王靡不同之。周室既微、載籍殘缺、仲尼思存前聖之業、乃稱曰:「夏禮吾能言之、杞不足徴也。殷禮吾能言之、宋不足徴也。文獻不足故也。足則吾能徴之矣」。〔07〕以魯周公之國、禮文備物、史官有法、故與左丘明觀其史記、據行事、仍人道〔08〕、因興以立功、就敗以成罰、假日月以定暦數、藉朝聘以正禮樂、有所褒諱貶損、不可書見、口授弟子、弟子退而異言。〔09〕丘明恐弟子各安其意、以失其眞、故論本事而作傳、明夫子不以空言説經也。『春秋』所貶損大人當世君臣、有威權勢力、其事實皆形於傳、是以隱其書而不宣、所以免時難也。及末世口説流行、故有『公羊』『穀梁』『鄒』『夾』之傳。四家之中、『公羊』『穀梁』立於學官、鄒氏無師、夾氏未有書。
〔01〕師古曰:「名高」。
〔02〕師古曰:「名喜」。
〔03〕師古曰:「夾音頰」。
〔04〕師古曰:「微謂釋其微指」。
〔05〕韋昭曰:「馮商受詔續『太史公』十餘篇、在班彪『別録』。商字子高」。師古曰:「『七略』云:『商陽陵人、治『易』、事五鹿充宗。後事劉向、能屬文。後與孟柳倶待詔、頗序列傳、未卒、病死」。
〔06〕師古曰:「若今之起居注」。
〔07〕師古曰:「『論語』載孔子之言也。徴、成也。獻、賢也。孔子自謂能言夏・殷之禮、而杞・宋之君文章賢材不足以成之、故我不得成此禮也」。
〔08〕師古曰:「仍亦因也」。
〔09〕師古曰:「謂人執所見、各不同也」。
凡春秋二十三家、九百四十八篇(『太史公』四篇を省く)
古の王者は世々史官あり。君 舉ぐれば必ず書す。言行を愼み、法式を昭かにする所以なり。左史は言を記し、右史は事を記す。事を『春秋』と為し、言を『尚書』と為す。帝王 之に同じからざす靡し。周室 既に微にして、載籍 殘缺す。仲尼 前聖の業を存さんと思い、乃ち稱して曰く、「夏の禮は吾れ能く之を言うも、杞 徴するに足らざるなり。殷の禮は吾れ能く之を言うも、宋 徴するに足らざるなり。文獻 足らざるが故なり。足れば則ち吾れ能く之を徴す」と〔07〕。魯は周公の國、禮文 物を備え、史官に法あるを以て、故に左丘明とその史記を観、行事に據り、人道に仍り〔08〕、興に因って以て功を立て、敗に就いて以て罰を成し、日月を假りて以て暦數を定め、朝聘を藉りて以て禮樂を正し、褒諱貶損する所あり。書もて見わすべからざれば、弟子に口授す。弟子 退きて異言す〔09〕。丘明 弟子各々その意に安んじ、以てその眞を失わんことを恐れ、故に本事を論じて傳を作り、夫子の空言を以て經を説かざるを明らかにするなり。『春秋』の貶損する所の大人は當世の君臣にして、威權勢力あれば、その事實 皆な傳に形わる。是を以てその書を隱して宣べず。時難を免るる所以なり。末世に及び、口説流行す。故に『公羊』『穀梁』『鄒』『夾』の伝あり。四家の中、『公羊』『穀梁』は学官に立つも、鄒氏は師なく、夾氏は未だ書あらず。
〔01〕師古曰:「名は高」。
〔02〕師古曰:「名は喜」。
〔03〕師古曰:「夾の音は頰」。
〔04〕師古曰:「微とは、その微指を釈すを謂う」。
〔05〕韋昭曰:「馮商は詔を受けて『太史公』十餘篇を續く。班彪『別録』にあり。商、字は子高」。師古曰く、「『七略』に云う、『商、陽陵の人。『易』を治む。五鹿充宗に事う。後、劉向に事う。能く文を屬す。後、孟柳と倶に詔を待ち、頗る列傳を序すも、未だ卒えずして、病死す」。
〔06〕師古曰:「今の起居注の若きもの」。
〔07〕師古曰:「『論語』に孔子の言を載せるなり。徴は成なり。獻は賢なり。孔子みずから『能く夏殷の禮を言うも、杞宋の君、文章賢材、以て之を成すに足らず、故に我れ此の禮を成すを得ず』と謂うなり」。
〔08〕師古曰:「仍もまた因なり」。
〔09〕師古曰:「人 見る所に執らわれ、各々同じからざるを謂うなり」。
『漢書』芸文志は、漢の班固の著『漢書』の志の一つで、漢代の宮廷蔵書目録のようなもの。昔から中国の思想や学問を調べるとき重宝されてきた。上のデータは中華書局の『漢書』を底本としたもので、『漢書』芸文志本文と顔師古の注を引いた。顔師古は『漢書』解釈の古い注で、比較的権威のあるものの一つに数えられる。以下、『漢書』芸文志を読むための参考書を挙げておく。ただし専門的なものは省いた。
(1)は歴代正史の定本として長らく利用されてきたもので、全文に校点が施されている。『漢書』原本のほか、顔師古の注を含む。全12冊。(2)は王先謙の編修になる大型の注釈書。全12冊。影印本が流通していたが、2008年に上海古籍出版社から校点本が出版された。中華書局本と同じ冊数だが、分量ははるかに多い。王先謙は清末の学者なので、最新の学問成果は含まれていないが、伝統的解釈は本書を見ればこと足りる。校点本は利用に便利だが、値が張るのは避けられない。(3)は『漢書』芸文志の全訳(書き下しを含む)。解説にはやや疑問の箇所も存在するが、1冊の本としてまとまっているので便利。ただし本書には1つ問題がある。本書は書目を列挙する際、原文の後に〔 〕を加えて内容の解説に及んでいるが、〔 〕内は全て鈴木氏の手になるもので、『漢書』芸文志とは無関係である。本書にこの説明がないため、『漢書』芸文志の本文を見たことのない人は往々にして勘違いを起こすことになる。ただし〔 〕内の解説はためになるものが多い。(4)は『漢書』全訳の1冊で、1977年に筑摩書房から出版された単行本の文庫版に当たる。文庫版第3巻に芸文志が収録されている。こちらも書目の後に〔存〕〔亡〕の字を加えているが、同書注19(585頁)に指摘するように、これは小竹氏の加えたものである。通して読む分には便利だが、分量の関係上、(3)の方が詳しい。
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