以下は『欽定春秋伝説彙纂』巻首下の王朝及諸侯世次を抜萃したものである。レイアウトの関係上、表示方法は大幅に改めた。また通常の系譜と異なる部分もあるので注意されたい。その他、詳細は杜預『春秋経伝集解』、陸淳『春秋集伝纂例』、程公説『春秋分記』、馬端臨『文献通考』封建考、顧棟高『春秋大事表』などを参照。
馬端臨の『文献通考』は、季佗を厲公とし、朱を渠丘公とする。ならば佗と朱は二人ということになる。徐邈と孔頴達は「莒の君主に諡はない」と言う。ならば佗だけにどうして厲公の謚があるのか。斉履謙は「莒国統紀」を作り、そこに厲公を載せなかった。恐らくや『文献通考』に信を置けなかったのだろう。汪克寛は渠丘公を季佗としている。必ずや根拠があるはずである。そこでこの度は馬氏の学説を用いなかった。
魯の荘公の五年、郳黎来が来朝した。僖公の七年、小邾子が来朝した。はじめて附庸となったのである。それ以後、襄公に朝すること一回、昭公に朝すること二回、盟会にもしばしば顔を出している。しかし世次相承については、経伝に依拠すべき明文がない。今しばらく闕略のままとする。
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