予備的考察

『四庫提要』は『四庫全書』および存目の解題集であるから、『四庫提要』の是非は各書物の解題について考えればよく、特別に『四庫提要』全体の特徴や偏見を問題とする必要はない。しかしその価値判断の基準、および『四庫全書』収録の判断基準は、当の『四庫提要』に明記されているので、以下、それら判断の基準を記しておく。

『四庫提要』の価値判断

『四庫提要』の価値判断は明瞭である。歴史的事実(事柄・事跡)に基づいたか否かである。これは『四庫提要』経部春秋類正目最後に案語という形で説明されている。それによると、歴史的事実に基づいた学説は間違いが少ないが、主観的判断に基づいた学説は間違いが多いという。したがって『四庫提要』の価値判断は、該当書物が歴史的事実に基づいて判断を出そうとしたか、それとも主観的判断に基づいたものであったかを見極め、前者ならば比較的妥当な解釈であるとの結論を出し、後者であれば批判の対象となる。

では歴史的事実とはなんであろうか。『四庫提要』にとって歴史的事実とは、左氏伝記載の事実を指す。左氏伝を利用し、経文と関係ある事件を追跡し、経文の意味を探ろうとしたか否か。あるいは左氏伝に見える当時の文物制度をよく研究し、それら文物制度によって経文を理解しようとしたか否か。これが歴史的事実に基づいたか否かの判断基準となる。したがって左氏伝を比較的重視する学者に対しては、『四庫提要』は比較的好意的な論評を出すが、左氏伝を無視したり、文物制度に対する研究をおろそかにした著作に対しては、『四庫提要』は批判的な論評を出している。

なお歴史的事実と対になる研究に、議論による研究がある。議論による研究の根本には公羊伝と穀梁伝が存在する。この二伝は聖人の学説を伝えた書物であるから、『四庫提要』といえども一概に否定することはできない。しかし『四庫提要』に言わせれば、聖人の学説を伝えた二伝にして、なお認めがたい学説が多い。ましてや二伝の方法をまね、勝手に経文を研究する後世の学者ともなれば、まったく論評の価値なきほど誤謬に満ちている、ということになるだろう。この議論による研究は、よく「経文だけを読む」や「三伝を無みする」などと表現される。このように言われるのは、春秋の経文だけを読んで、その文字の構造だけから、該当経文の意味を探ろうとするからである。

例えば隠公元年の冒頭には「春王正月」という四文字がある。「春王正月」とは何を意味するのだろうか。これを解明するため、左氏伝を利用して隠公即位当時にまつわるいろいろな出来事を研究し、春秋時代の諸侯の即位のあり方を研究して、上の四文字の意味を探るというのは、いかにも歴史的事実に基づいた研究である。これに対して、「春王正月」を他の「春王正月公即位」という類似の経文と比較して、そこだけから「春王正月」の意味を求めようとする学説――つまり左氏伝も古来からの伝承も無視して、経文の比較だけで該当経文の意味を探ろうとする学説――が、議論による研究や「経文だけを読む」学説である。したがってこのような歴史的事実に基づかない研究は、『四庫提要』は、主観独断的なものになるというのである。

しばしば『四庫提要』は、春秋学にとって最も重要なのは、歴史的事実に基づいて経文の意味を求めるべきであり、いかに議論が立派であっても、歴史的事実に基づかないものは、春秋学として認められない、ということを強調する。少しややこしい言い方だが、これには理由がある。誤った歴史的事実に基づいて議論することはできるし、そこで発せられた議論そのものが立派である場合もある。しかし議論が立派だからといって、その議論に価値を認めてしまえばどうなるだろうか。春秋学はあくまでも歴史的事実に立脚し、歴史的事実によって歴史の意味を考える学問である。もし議論が立派であればそれでよいなら、歴史的事実など研究せずともよく、誤った歴史的事実を信奉してもよいことになりはしないか。これは春秋学ではない、というのが『四庫提要』の立場なのである。

この『四庫提要』の立場は『四庫全書』編纂の総裁・紀昀の考えに基づくものであるが、それは清代中期の学界の流行を背景に持つものであった。それと同時に、現在の日本に於いても、「歴史的事実を追求して問題の意味を探ること」は多くの人々を納得させるものであった。したがって『四庫提要』の論評は、近代以後の多くの学者にも好意的に理解されたのである。もちろん『四庫提要』の立場は『四庫提要』の立場にすぎない。別の立場がないわけではないし、私も賛同できないところは多い。しかしそれはまた別の問題である。『四庫提要』を読む場合は、『四庫提要』は「歴史的事実‐左氏伝」を「議論の研究‐主観独断‐公羊・穀梁」に対置し、前者に価値を置いたのだという点を、理解しておかなければならないのである。

『四庫全書』収録の基準

『四庫提要』の価値判断に類似する問題に、『四庫全書』収録判断の問題がある。当たり前のことであるが、『四庫全書』に収録する書物としない書物に分けるのであれば、価値のある書物を収め、価値のない書物を廃棄するであろう。しかし現実にはそうなっていないのである。

『四庫提要』に収録するか否かの最も大きい基準は、元朝以前の書物か明朝以後の書物かにある。元朝以前の書物であれば、後に説明する一部の例外を除き、原則として『四庫全書』に収録する。そしてその書物に覆いがたい欠点がある場合は、『四庫提要』にそれを明記する。逆に明朝以後の書物の場合は、一時代を代表する著名な書物か、極めて優れた書物でない限り、『四庫全書』には収録されない。収録されなかった書物は『四庫提要』の存目に加えられ、なぜ収録されなかったのか短評を加えられるのを通例とする。明朝以後の書物は、落とすことを前提に選んだものであるため、その批評は作為的に短所を探ったようなものがないではない。

では元朝以前の書物であれば、すべて『四庫全書』に収録されたのであろうか。ここにもいくつかの条件があったと推測される。まず伝本の現状保存が悪い場合は、収録を断念したようである。また伝本がなく輯佚書しかない場合は、比較的まとまった書物であれば収録し、まとめきれない書物は廃棄し、さして取るに当たらない書物は微妙な判断のもと取捨を決めたようである。これは書物として『四庫全書』に収録する以上、書物の形態になり得るか否かが重要だったからであろう。単なる佚文の集まりは、『四庫全書』収録に値しなかったのである。

しかしこれ以外にも収録対象から外れたものがある。経文を改竄した書物と科挙のための書物である。前者は一般に改経とよばれるもので、宋代に流行した研究方法である。『四庫提要』はこの方法を極度に嫌い、元代以前の書物であっても、極端に改経を行った書物は未収録にしている。ただしこれは春秋学には見られないので、春秋学関連の著作でこれを理由に『四庫全書』収録を見送られた書物は存在しない。しかし科挙のための書物に対しては極めて厳しい。これは特に元朝の書物が対象となり、『春秋経義問対』や『透天関』はこれを理由に『四庫全書』収録を見送られている。

以上が『四庫全書』収録の判断基準なのだが、春秋学に限っては、これ以外にもう一つ判断基準が存在する。それは特別に明代に適応されたものである。既に述べたように、明代以降の書物は、よほど優れた書物でなければ『四庫全書』に収録されない。しかし明代の春秋学関連の書物は、他の経書と比べて極めて厳しい扱いを受けている。なぜそのような扱いになったのか。これについては『四庫提要』に明言されるように、明代の春秋学が科挙のための学問であったからであり、しかもその科挙で行われた春秋学が胡安国の学説を奉じていたからである。

清代は皇帝が漢族出身でなかったこともあり、「夷狄」という表現に厳しい目を注いでいた。しかし春秋学はもともと華夷(中華‐夷狄)の区分を強調する学問である。そのためどうしても夷狄という表現を解釈に用いてしまうのだが、とりわけ中華と夷狄の区分を強調したのが宋代の春秋学であった。なかでも胡安国の春秋学はその最たるものであった。南宋建国間際に生きた胡安国は、彼の生きた当時、夷狄が猖獗を極め、華北の地が失われたことに鑑み、その憤りを春秋に仮託したのである。夷狄を絶滅し、中華を回復すべきことを、胡安国は論じたのである。これは「夷狄」である清朝皇帝の忌避に触れる発言であった。このため胡安国の春秋学は、南宋以後の春秋学界に隆盛を極め、特に明代では科挙の標準解釈として利用されたにも関わらず、『四庫提要』からは極めて冷淡な扱いを受けている。

『四庫提要』を繙いて、本来ならば胡安国に言及されてしかるべき部分であるにも関わらず、一言もそれに及ばないところは多い。胡安国の学説に対して、それを正面から批判するのではなく、存在を矮小化することで学説そのものの抹殺を謀ったかの如くである。これとは対照的に、本来ならば胡安国が引き合いに出されるであろう場所に、孫復の名を出す場合がある。北宋の学者・孫復は尊王説を唱え、華夷の弁別に力を注いだ学者であったが、胡安国よりも学究的な学者であった。また夷狄の絶滅を唱えるよりは、王道の回復を念願する学者で、少しくその心の用い方に差異があった。つまり四庫官はあえて孫復を批判することで、胡安国などは余りに酷すぎて言及するのも憚られるが、孫復くらいなら批判するに値すると言外に伝えているとも言えるのである。

このように『四庫全書』収録の判断基準は少しくややこしいが、元代以前の春秋学関係の書物であれば、科挙のための書物以外は『四庫全書』に収録されたとみなして差し支えない。ただし『四庫全書』編纂時に完本が発見されなかった書物は当然ながら収録されていない。これ以外にも『四庫全書』には幾多の問題があるが、それらは省略する。

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