『春秋年表』一巻

○浙江鮑士恭家蔵本

著者の名氏が記されていない。陳振孫の『書録解題』には次のようにある。――「『春秋二十国年表』一巻。誰の著作か分らない。周以下,魯・蔡・曹・衛・滕・晉・鄭・斉・秦・楚・宋・杞・陳・呉・越・邾・莒・薛・小邾を列挙している。『館閣書目』には『年表』二巻とあり,『元豊年間に楊参齢が著した。周の以下,全十三国のこと』(*1)とある。また董氏の『蔵書志』にも『年表』があり,『著者名なし。周より呉・越に至るまで全十国。征伐・朝覲・会同について全て記してある』(*2)とある」。この本の表はちょうど二十国あり,『書録解題』の記載と同じである。ならば陳振孫の見たものであろう。

本書は,宋代では単行していたが,岳珂が九経を印刷したとき,春秋の最後に附録として付けた。珂の附記には「『春秋年表』。現行本は諸国の名号を欠くところがあるほか,年月に乱れがあり,春秋経および三伝と比較したところ間違いが多かった。それらはすべて訂正した。諸国の君主の死亡と即位も全て記してあるが,ただ魯国についてだけ欠けている。それらは経文と三伝によって増補した。廖本には『年表』と『帰一図』がない。現在,公羊伝と穀梁伝を印刷したので,〔『年表』と『帰一図』の〕二書をあわせて経伝の最後に付けることにした」とある。本書は珂の増訂を経て,馮継先の『名号帰一図』とあわせて印刷されたのである。『通志堂経解』は岳珂の言葉を考えもせず,『名号帰一図』と同じ書物にしてしまい,さらに〔『年表』を〕馮継先の著書とみなしている(*3)。誤解も甚だしいと言わねばならない。

『四庫全書総目提要』巻二十六



(*1)ちなみに『書録解題』(武英殿本)はこの後に「仍総計蛮夷戎狄之事」と,畏るべき文字が記されてある。
(*2)現行本『年表』は君主の卒廃立奔が記されるのみで,征伐・朝覲・会同などの指摘はない。
(*3)『通志堂経解』同治本は『年表』と『名号帰一図』を別書としている。ただし同治本冒頭に附された康煕本目録には,「春秋名号帰一図二巻(宋馮継先)」とあり,康熙本が『年表』と『名号帰一図』を合併していた痕跡はある。

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