呂祖謙『詳註東莱左氏博議』二十五巻

○浙江巡撫採進本

宋の呂祖謙の撰。本書は祖謙が新妻を迎えた際、一ヶ月で完成させたと言われている。しかし本書の自序には「東陽の武川に半年ほど隠居し、郷里にあってあばら屋を開き、子弟らと勉学に勤しんでいたが、ふと科挙のことに話が及んだ。そこで左氏の記す治乱得失の跡を集め、それを下に書き出した。十日経ち一ヶ月が過ぎ、ようやく書物にまとまった」とある。

さらに祖謙の『年譜』を調べると、祖謙がはじめて韓元吉の娘を妻に迎えたのは紹興二十七年のことで、そのときは信州におり、東陽にはいなかった。後、乾道三年五月に母の喪に服して明招山に籠もっていたが、その地に来学するものがいた。同四年、『左氏博議』が完成した。同五年二月、母の喪が終わった。五月、後妻として韓氏の娘で先妻の妹を妻に迎えた、とある(*1)。ならば本書の成立は確実に喪中にある。新妻を娶った云々などは世の俗説に過ぎない。

本書は全一百六十八篇。『通考』は二十巻とし、この本と巻数に異同がある。この本は題目の下に左氏の伝文を付記し、まま典故を引用し、また注を加えたところもある。そのため〔紙数の関係で〕二十五巻に分けたのだろう。注は誰のものか分からない。標題の板式から麻沙の刊本(*2)と思われるが、『宋史』芸文志によると、祖謙の門人の張成招に『標注左氏博議綱目』一巻がある。当時の書肆が成招の標注を原書各篇に補入したものであろうか。また楊士奇は他にも十五巻本があり、それは『精選』なる書名であったといい(*3)、黄虞稷も明の正徳年間に二十巻本があったというが(*4)、いずれも現存しない。現在書肆が扱うのは十二巻本のみであり、しかもそれは篇目が不完全なだけでなく、多くの字句が勝手に削除されている。世上久しく完本がなかったのである。この本は董其昌の名字を記した二つの印があり、また朱彝尊の収蔵にかかる印もある。ならば貴重な書物と言い得るだろう。

『四庫全書総目提要』巻二十七



(*)本書は一般に『東莱博議(東萊博議)』『左氏博議』の書名で通行している。
(*1)訳文は『呂祖謙年譜』を利用して少しく手を加えた。なお最初の妻は紹興32年6月23日に亡くなり、母は乾道2年11月1日に亡くなっている。
(*2)麻沙:宋代の有名書店の名前。
(*3)『経義考』巻187の左氏博議条に見える。
(*4)同上。

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