劉朔『春秋比事』二十巻(沈棐『春秋比事』二十巻)

○浙江呉玉墀家蔵本

本書は宋の沈棐の撰とされている。棐の生涯は不明である。ただ本書の前に陳亮の序文があり、「棐の字は文伯、湖州の人。婺州の校官になった」とある。陳振孫の『書録解題』には「湖州に沈文伯というものがおり、名を長卿いい、審斎居士と号していた。常州副知事となったが、秦檜に刃向かって化州に左遷された。しかし棐という名ではない。同父(陳亮)が何を根拠に言ったのか不明である。しかし名を棐、字を文伯という別人などいるだろうか。ならば湖州の人間ではないことになる。云々」という。これでは亮の発言と隔たりが大きい。また別に都穆の『聴雨紀談』(*1)は、廬陵の譚月卿の手になる嘉定辛未の序文を根拠に、本書を莆陽の劉朔のものだと言い、また「月卿自身が劉氏の家本を見た」とも指摘する。しかしこの本に月卿の序はなく、穆の根拠もまた不明である。疑念のあるままに伝えられ、是正すべき根拠もない。この度は棐と時代が近いことから、しばらく陳亮の序文に従い、棐の名を附しておく(*2)。

本書前半は諸国ごとに記事を分類したものであり、後半は朝聘・征伐・会盟などの関係記事を集めて論評を加えたものである。論評は実に穏当である。

本書はもともと『春秋総論』と名付けられていたが、亮が現在の書名に改めた。元の至正年間に金華で刊行されたが、板本は長らく捨て置かれ、世間に伝本もなかった。そのため朱彝尊の『経義考』も「散佚」としている。この本は前に中興路儒学教授の王顕仁の序文がある。恐らく元の刊本を抄したものであろう。

『四庫全書総目提要』巻二十七



(*1)以下の言葉は『続知不足斎叢書』『和刻本漢籍隨筆集』所収の『聴雨紀談』に存在しない。
(*2)『四庫提要辨證』を参照。現在では劉朔の撰とされている。

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