李琪『春秋王霸列国世紀編』三巻

○浙江范懋柱家天一閣蔵本

宋の李琪の撰。琪、字は伯開、呉郡の人。国子司業になった。本書は嘉定辛未に完成した。各国別に分けた後、春秋時代の出来事をまとめて小目を立てている。各分類の前には序文があり、後には論評がある。

第一巻は周王朝と霸国(*1)についてまとめたもので、霸国の中から秦の穆公と楚の荘王を除き、宋の襄公を残している。また晉の文公以下、襄公から定公に至る十人の君主を列挙した後、特に魯を付け加えている。二巻は周の同姓の国をまとめたもので、特に三恪(*2)を付け加えている。三巻は周の異姓の国をまとめたもので、秦・楚・呉・越を小国の後に配置している(*3)。

本書の論評は為に発したものが多い。例えば、晉の文公が秦の助けを借りて楚に立ち向かったことや、晉の悼公が呉と結んで楚を苦境に陥れたことを批判しているが、これなどは徽宗が金と通じて遼を滅ぼしたことを念頭に置いて発言したものであろう。また「紀侯は仇敵(斉)と隣国にありながら、自国を強くすることができなかった」と批判しているが、これなどは高宗の和議を念頭に置いて発言したものであろう。とはいえ、これらはまだ過去を戒めとしたものと言えないではない。しかし「魯は滅亡した後、秦や漢の時代でも、まだ礼義の宗主国だった」などの発言は、宋朝南渡の弱勢を弁解したものであろうし(*)、霸国の中から楚の荘王と秦の穆公を除き、逆に宋の襄公を残したのは、北狩の恥(*4)を弁解したものであろう。また秦・楚・呉・越を小国の後に配置したのは、ひそかに宋を金の上に置こうとしたものであろう。これらは春秋に時事を寓したものであり、胡安国の『春秋伝』と同じである。しかも安国はまだしも復讐説を堅持していたが、琪はただ空言を飾り立てたにすぎないのである。

本書の来歴は古いので、しばらく記録に留めて一家の学に備えるとともに、南宋の国勢が日々退廃した由来――領土を失った後、士大夫はまだ経文や伝文に仮託して空論を吐き、弁解に骨を折っていたこと――を示すことにもなろう。本書を残すこともまた鑑戒に足るものがある。

『四庫全書総目提要』巻二十七



(*1)覇国とは覇者の国の意味だが、ここでは覇者そのものも意味している。
(*2)三恪とは帝王の末裔を指す。ここでは帝舜の末裔である陳、夏朝の末裔である杞、商朝の末裔である宋の三国を指す。
(*3)巻三は斉、許、莒、薛、邾、小邾、鄒、紀、庶爵微国、楚、呉、秦、越、戎、狄、夷狄微国、附夷微国の順に並んでいる。
(*4)徽宗と欽宗が金に連行されたことを指す。宋の襄公も楚に連行されたことにちなんだもの。

(*)以下、書前提要は次のようにいう。
春秋を借りて議を発したもので、必ずしも一々経義に一致していない。しかし胡安国の『春秋伝』も春秋に借りて議を発したものである。安国の書を廃さなかった以上、本書も残さねばなるまい。

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