趙汸『春秋集伝』十五巻

○両江総督採進本

元の趙汸の撰。汸には『周易文詮』があり、既に『四庫全書』に収録した。本書には汸の自序と門人の倪尚誼の後序がある。尚誼は「本書の初稿は至正戊子の歳に始まり、幾度もの訂正を加え、丁酉の歳に完成した。時をおかず先生はさらに『属辞』を書かれ、義例は益々精密になった。そのため『集伝』の初稿にさらに検討を加えねばならぬこと、またその序文に論列した史法や経義にはまだ至らぬ点のあることが分かった。そこで戊寅の歳に再び『集伝』を執筆された。しかし筆を執られてより昭公二十八年まで進んだところで病に倒れて筆を擱かれ、ついに洪武己酉の歳にお亡くなりになった」と言う。昭公二十八年以下は尚誼が『属辞』の義例によって作った続篇であり、本書の序文にいう「策書の十五例、筆削の八義」も尚誼が改訂したものであり、原本の誤植や粗漏もみな尚誼が補正したものである。ならば本書は実際には尚誼が完成させたものである。しかし本書の義例はまったく汸に基づいたものであれば、汸の著書とみなしても差し支えないだろう。

汸の自序には「春秋を学ぶものはまず策書の例を知らねばならぬ。かくして筆削の義が分かるのである。筆削の義が分かったなら、空論による解釈は論難を待つまでもなく自然と破れる」とある。経書解釈の要領を得たものと言えよう。

『四庫全書総目提要』巻二十八



(*)至正戊子は至正八年にあたる。これ以後は干支を推せば求められる。念のため書いておくと、丁酉は至正十七年、洪武己酉は洪武二年にあたる。

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