汪克寛『春秋胡伝附録纂疏』三十巻

○浙江呉玉墀家蔵本

元の汪克寛の撰。克寛には『経礼補逸』があり、既に『四庫全書』に収録した。本書冒頭の克寛の自序にはこうある。――「諸国の紀年と諡号を詳細に記すことで、事柄の実相を究明できるようにした。経文の異同を列挙することで、聖人筆削の真意を追求できるようにした。これに諸種の学説を加えることで、胡氏(*1)の欠落や疑問を補正した。『辨疑』『権衡』(*2)を加えることで、三伝の得失を明らかにした。」しかし本書が胡安国の『春秋伝』を宗旨としていることに変わりはない。

『元史』選挙志によると、延祐二年に経義・経疑の取士条格が制定され、春秋の解釈には三伝と胡安国『春秋伝』を用いることになった。虞集の序文もこれについて言及している(*3)。本書は科挙の参考書を兼ねたものなのであろう。ちょうど呉澄が兪皐の『春秋釈義』に序文を草して、「胡安国の『春秋伝』を用いるのは、当今の時勢によるものだ」(*4)と指摘したのと同じである。

陳霆の『両山墨談』には、克寛が魯の郊祀を夏正としながら、魯の烝と嘗の祭を周正とした点を批判している(*5)。これも胡安国の『春秋伝』に迎合したため、真偽の判断に迷いの生じた一証拠であろう。しかし本書は胡安国の『春秋伝』に対して、まるで注に対する疏のように一つ一つその根拠を探し出しており、一家の学として詳細を究めたものと言えるだろう。

明の永楽年間に胡広らが『春秋大全』を編纂した。その凡例には「紀年は汪氏の『纂疏』に依拠し、地名は李氏の『会通』に依拠し、経文は胡氏に依拠し、〔諸侯・大夫の王伯華夷の辨にかかわるものについては〕林氏のやり方に依拠した」(*6)とある。しかし実際はまったく克寛の本書を剽窃したものであった。原本が残っているのだから、その事実を一つ一つ調べ上げることができる。

『四庫全書総目提要』巻二十八



(*1)胡安国のこと。
(*2)陸淳『春秋集伝辨疑』と劉敞『春秋権衡』を指す。
(*3)虞集の序文は本書に収録されており、そこには「國家設進士科以取人、治春秋者、三傳之外、獨以胡氏為説」とある。
(*4)これについては兪皐『春秋集伝釈義大成』の四庫提要にも見える。
(*5)未見。
(*6)汪氏『纂疏』は本書を指す。李氏『会通』は李廉の『春秋諸伝会通』、胡氏は胡安国、林氏は林堯叟を指す。林氏のことは凡例に「周及列國易世嗣位、齊晉秦楚大夫為政、有繋乎王伯夷夏之輕重者、依林堯叟例、備列于十二公之首、以便觀覽」とある。

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