楊維楨『春秋合題著説』三巻

○永楽大典本

元の楊維楨の撰。維楨、字は廉夫、号は鉄崖、山陰の人。泰定四年の進士。はじめ天台尹となり、銭清場塩司令に改められ、建徳総管府推官に転じ、江西儒学提挙に抜擢されたが、上京する前に兵乱に遭遇した。そのためこれ以上の仕官を諦め、超俗の生活を送った。明朝が成立すると、礼楽の書を編纂すべく招集されたが、すぐに老齢と病気を理由に帰郷した。その生涯は『明史』文苑伝に見える。

宋の『礼部貢挙条式』の崇寧貢挙令によると、春秋の経義は三伝の解釈部分から出題することが許されていた。これは靖康元年に経文のみから出題するよう改められたが、〔南宋の〕紹興五年の礼部の上奏に「春秋経文は文字が少なく、経書の中でも簡略な部類に入ります。そのため〔長らく試験を行っていると、〕試験題目の範囲が簡単に行き渡ってしまいます(*1)。ですから往々にして地方試験での試験題目が重複し、試験ごとに〔過去の問題と〕重複しております。今後は三伝の解釈部分から出題することを許して頂きたい」(*2)とある。『元史』選挙志記載の元祐条例(*3)に春秋の出題方法は述べられていないが、維楨の本書による限り、しばしば経文が重複したからであろう、合題の方式(*4)に改めたようである。明朝の春秋合題の方式は元朝の方式を襲ったものであろう。

維楨の自序には「春秋は変化そのものであるから、決まった形は存在しない。だから合題にも決まった題目はない。また春秋の筆削には微旨がある。だから経文を錯綜することで聖人の微旨が得られる(*5)。初学者は活法(*6)によって春秋の主旨を求める術を知らない。だから試験のとき往々にして有司の意を損ねるのだ。そこで合題として選ばれそうないくつかを選び、各題目に解説を付した。変化無窮、縦横無尽の様態を極めることで、試験の難敵を防ごうと思うのだ」(*7)とある。その一方で「学生諸君はこうして活法を手中に収めれば、経文の微旨もまたその中にある。だから〔本書の研究は〕科挙だけのものではない」とも言う。しかし本書は結局のところ科挙のために作られたものであり、経学研究者の重んずべきものではない。

『四庫全書総目提要』巻三十



(*)本書は現存しない。

(*1) 春秋は文字数が少なく、随って出題可能な部分も少ない。だから長らく春秋の試験を行っていると、もともと少ない出題可能な範囲がすぐになくなってしまい、簡単に過去の出題と重複してしまう、という意味。例えば礼記の出題可能な問題数が1000、春秋は100とする。そして1回の試験で1問使うとする。すると礼記は1000回分新しい問題を出せるが、春秋は100回で限界になる。だから春秋の場合は101回目で必ず過去100回の試験のどれかと同じ問題を出さざるを得なくなるということ。 (*2)以上は礼部貢挙条式の「臣竊見貢舉令、諸春秋義題、聽於三傳解經處出、注云:「縁經生文而不係解經旨處者非。」詳考立法之意、蓋以春秋正經載十二公二百四十二年之事、解語簡約、比之五經爲略。立之學官、歴時滋久、問目所在、易於周徧。比聽於三傳解經處出題、巳載諸甲令。惜乎、中更姦臣之私意遂行廢罷、學者不見聖人之經久矣。靖康之初、淵聖皇帝毅然復之、用以取士。然是歳即遇科舉、朝廷深慮四方之士未能精熟、因降指揮、止於正經出題行之。十年于茲、學者誦習既久、有司出題既衆、往往州郡問目、重複甚多。晩生後進轉相傳寫、毎遇程文少不相犯。此混亂實學之大弊也。臣愚欲望、陛下特降睿旨、舉行貢舉之令、聽後舉取士亦於三傳解經處、相兼出題。庶問目稍廣、學者因得旁加考究、可以深求聖人之經旨矣」をつづめたもの。
(*3)元祐条例。恐らくは延祐条例の誤り。元祐は北宋の年号。
(*4)合題は「題を合す」の謂で、いくつかの経文を集め、その場合の意味を問う科挙の問題形式を指す。例えば、明の宣徳5年の春秋科第一道には「盟柯(荘十三)、同盟幽(荘十七)、盟長樗(襄三)、会蕭魚(襄十一)」が出題された(張朝瑞『皇明貢挙考』巻3)。これは「盟柯」「同盟幽」「盟長樗」「会蕭魚」の四つの題を合わせて一つの問題としたことを意味する。複数条にわたって問題が出せるので、必然的に出題可能回数は増え、試験題目の重複も著しく減少する。
(*5)原書が存在しないので楊維楨の主旨は分かりづらい。ここの原文は「春秋正變無定例、故關合無定題。筆削有微旨、故會通有微意」となっており、「春秋正變無定例、故關合無定題」と「筆削有微旨、故會通有微意」が関連づけられている。「正変」はおそらく「つねに変化すること」を指し、「定例(決まった形)」と対にしているのだろう。「定例」は「凡例」と同義の春秋学の基本用語だが、訳文では意訳しておいた。なお「正変」が楊維楨の用いた学術用語であるか否かは、原著散佚につき不明。次に「關合無定題」であるが、「關合」は合題と似たような意味である。定題は定例と同趣旨のことで、恐らく決まった出題とでもいう意味だろう。次に「筆削有微旨、故會通有微意」。筆削に微旨があるのは当然だが、それが会通に微意があるのとなぜ「故」でつながれるのか意味が分からない。筆削は孔子が経文を増損したこと、会通は経文を錯綜円融して微意を探り出すことを意味する。筆削の微旨は経文を錯綜することによって得られるという程度の意味であろうか。
(*6)活法。うまい解釈方法という程度の意味。
(*7)原文「春秋正變無定例、故關合無定題。筆削有微旨、故會通有微意。初學者不知通活法以求義、場屋中往往不得有司之意。今以當合題凡若干、各題著説、使推其正變無常、縱横各出、以禦場屋之敵。」

inserted by FC2 system