晏兼善『春秋透天関』四巻

○永楽大典本

旧本は晏兼善の撰とする(*1)。時代を明記しないが、合題に論及していることから、元朝の人間であろう(*2)。本書は科挙のために作られたもので、内容の程度は極めて低い。例えば元年春王正月を解釈しては、「もし『春』と『正月』について答案を書くなら、春は天のなすところ、聖人は天道の始めを記されたのだ、と。天道と王道によって論述し切ってもよいだろう」(*3)などと言っている。これだけでも本書がどの程度のものが察し得るであろう。

『四庫全書総目提要』巻三十



(*)本書は現存する。全12巻。ただし哀公を除く全11巻のみ現存。

(*1)ここでの旧本は『永楽大典』所収本を指す。『透天關』原本によると、各巻冒頭に「宋省魁南安郡山長晏兼善」と題が加えられている。
(*2) 原本は元刊本らしいので、本書が元代の著作物であることに間違いはない。ただ合題そのものは宋代から存在するため、書中合題に及ぶからといって直ちに元朝のものと断言することはできない。また原本にある「宋省魁南安郡山長晏兼善」の題からすれば、晏兼善は宋の省元(省魁。明の解元)らしく、南宋から元朝にまたがって生きた人間だと推測される。随って宋の人とすべきか元の人とすべきか判断が難しい。ちなみに宋代の省元に晏兼善の名はないが、咸淳七年の科挙登台者の中に晏兼善の名があり、臨江軍の人となっている。恐らく同一人物と思われる。なお『文献通考』所引登科記によると、咸淳七年の省元は劉夢薦である。
(*3)原文「若就春字正月上用工、則春者天之所爲、聖人紀人道之始、全以天道王道立説亦可云云」。『透天關』原本は「若就春字正月字上用工、則春者天之所爲、聖人紀天道之始、全以天道王道立説亦可」とする。

inserted by FC2 system