大衆主義と資本主義

高畠素之

考えてみれば、大衆という文字も平俗化したものである。七八年前、かくいう筆者などが『大衆運動』という週刊新聞を発行し、陋屋を名づけて『大衆社』と呼んでいたころは、それがハシリだったせいもあろうが、恐ろしくギゴチないものに引象されていた。ところが、どうした風の吹きまわしか、急に震災前後から流行的に濫用されだし、大衆文芸や大衆興行などはまだしも、汁粉屋の廉売に『大衆デー』をあえて命名する時勢となってしまった。こうと知ったら、いち早く『大衆―』の特許権でも出願しておいたものを、今となっては後の祭りでなんとも致し方がない。などと、これは戯談だが、それほど『大衆』は時代の寵児となり、硬軟両面から珍重がられている。

大衆とはなんであるか? 大衆は大衆である。あれどもなきがごとく、なけれどあるがごとく、その正体は一向に明瞭でない。無産党的論客の口吻に従えば、大衆とはプロレタリアそれ自体と同義異語であるかに聞こえるし、有産党的弁士の演説によれば必らずしもしからず、漠然たる国民的多数というほどの意味に使用している。大衆文芸や大衆興行やの場合は、ヨリ高いものに対するヨリ低いものを現わし、通俗的安易的な娯楽というほどの意味に通ずる。もしそれ汁粉屋やバナナ屋に至っては、単なる価格的低廉を意味するだけで、大衆と小衆とを論ずべき問題でなさそうに思われる。かくのごとく、大衆の意味内容に関しては十人十色の解釈を下し、おたがいに自分勝手な理屈を求め、彼ら自身の正当性を是認する口実たらしめているのだから、大衆の正体も勢い浮動を免れぬのが当然である。禅的遁語を用いずとも、あれどもなきがごとし、というのほかはなかろう。

しかし、一応の理屈は理屈として、いわゆる大衆も決して有名無実の存在ではない。物あれば必ず大小あり、比較的大と比較的小とはいかなる場合にも免れがたい。六千万の国民を分別するとき、かりに所得の問題を中心とすれば乏しきものが多数であり、教養の問題を中心とすれば低きものが多数である。もっとも右の場合、所得なり教養なりの標準的高低により、多少の異同は免れぬところであるが、大体において『択ばれたる少数』と、しからざる多数とは常に併存している。大衆とは即ち、後者の『択ばれざる多数』の意味にほかならない。

富者を崇め賢者を尊ぶのは、東西古今を問わぬ人類の通癖であった。しかるに、大衆万能の当今となっては、かえって貧者や愚者が幅を利かし、新しい時代の偶像に祭り上げられたのである。例えば、昔なら衆愚の蔑称で十把一束にされた彼らだったが、今では『輿論』の名において万事が是正され、お追従なりにも『民の声は神の声』など、まるで似ても似つかぬ豪勢さを示している。蜜柑だってひと山十銭のそれは、核が多いか尻が腐ったか、大抵は食うに耐えぬ劣等品とみてよい。だから、いかに酔狂者でも『蜜柑は夜店の投げ売りに限る』と言わぬが、人間ばかりは浅ましくも、核が多かろうが尻が腐ろうが、あえて質の良否を検討しようともせぬ。多ければ多いだけ、それだけ珍重がられている。

そこで質疑は当然、何故に人間は、かくも量のみを重視するかの問題に向けられねばならぬ。人間だとて、決して質を軽視するわけではない。むしろかえって、旨い酒を旨いとし、美しい女を美しいとして、量よりも質を尊ぶのが通性である。同じように、馬鹿よりも悧巧がよく、貧乏より金持ちがよく、下品より上品がよいに違いない。ただ悲しいことに、這般の是非善悪を露骨に表現すべく、浮世の万事はあまりにも複雑となってしまった。ただに人情関係においてばかりでなく、商売関係が極めて複雑微妙となったのである。それがため、不自然ではあるが決して不必要でなき大衆煽動が、白昼公然と、彼らの利害の反対者によって企てられたのであった。

今の世は資本主義の世である。資本主義の世という意味は、大資本による大経営の時代、換言すれば、大量生産の時代という意味にほかならない。既に大量生産の時代であってみれば、薄利によって多売を制することが、唯一の商売原則として採用されなければならぬ。薄利多売の対象となるべきは、取りもなおさず『大衆』であって、大衆を顧客とすることにおいてのみ、彼らの利潤は期待し得られるのである。はたして然りとすれば、大衆は彼らのお華客様であり、仇やおろそかに考えてすむべき義理ではない。そこで勢い、内実はどうでも、表面だけは大衆様のご機嫌を取り結ぶことが必要となる。台所口の御用聞きが、悪たれ小僧をとらえて『お坊っちゃま』呼ばわりをするごとく、見えすいたお世辞の百万陀羅を並べ立て、大衆でなければ夜も日も明けぬような騒ぎとなったのも、ひとえに商売往来がしからしめたればこそである。

大衆は自覚したという。あるいはそうかも知れない。だが、大衆は決して主動的に自覚したのではなく、他動的に自覚させられたのであった。しかもそれは、彼らの自覚を最も歓迎せざる資本家と、そしてその代弁者たちによって促がされたのだから、皮肉といえば全く皮肉この上もない。

まず第一に新聞紙である。新聞紙は大量生産を最も必要とする企業だが、それだけに、大衆への媚態を最も露骨に発揮しなければならなかった。昔ながらに社会の木鐸らしく見せかけ、大衆の心理を巧みに捕えて商売の実益を忘れぬところ、さすがに巧言令色の張本たる資格はある。新聞の論調を見よ。そろいもそろってデモクラ的であり、強権への反抗を能事としている。同じ見地から、無産党などに対しても多大なる同情を表し、そのことによって、あたかも新聞紙それ自体が、無産者の味方なるかに見せかけることを忘れない。もっともその半面には、同じ無産者という意味で、記者自身が正真正銘の同情同感を表する場合もあろう。が、紙数増加を唯一無二の生命と心える新聞資本主義の立場としては、より以上ニュース・ヴァリューに投ぜんがためであり、さらにより以上、かくすることによって無産者の味方なるかに装い、もって大衆顧客の贔屓を贏ち得んとする有意無意の打算と解すべき部分が多い。

同じ理法は、出版物や興行物やの場合にも作用する。殊に前者なら円本的な場合、後者なら浅草的な場合において、極度に発揮されやすいのを常とする。けだし、それらの場合は、生産そのものを大量的ならしめる関係上、あたかも生産者たる彼らの利益を犠牲に供し、もって消費者たる大衆の利益に奉仕するかのごとく装わねばならぬからである。なんぞ知らん、彼らはかく見せかけることにおいて大衆の共鳴共感をそそり、相手の油断に乗じて懐中を抜かんとする狡智にすぎない。犠牲的出版の奉仕的興行のというも、畢竟は彼らの利潤目的を中心として考えた文句であった。円本的乃至浅草的な宣伝広告を見れば、思い半ばに過ぎるものがあろう。

大衆はいかに『衆愚』であっても、右のごとき商業主義の見地においては、最もありがたかるべき大事な顧客である。さればこそ、上はヘンリー・フォードより下は木内興行部に至るまで、大衆主義を唯一の看板としなければならなかった。その結果、時代に対する大衆的興味を著しく助長したとともに、大衆そのものを味方に惹き入れんとする当面の商策は、やがて大衆に対する煽動にまで発展したのである。無産党に対する新聞紙の態度などは、その最も代表的な一例だが、既成政党対普選の関係などにも同じことが言い得られる。

制限選挙の上に支持せられていた既成政党はいかなる意味においても、普選に賛成すべき理由を認められなかった。しかも彼らが、内面はとにかく表面の理屈において普選に反対し得なかったのは、彼らの立場がヨリ大なる国民的利害を代表するかのごとく見せかけねばならなかったことに原因する。彼らの支持する資本主義が、その経済的利害から大衆への迎合をあえて表明した結果、政治上においても迎合を余儀なからしめたからである。殊に一旦、普選が施行されてみれば、有権大衆たる無産者の投票を獲得せねばならず、それがためには、倍加的に無産大衆への迎合政策を掲げなければならぬのみか、ときには彼らの味方なることを積極的に誇示する必要上、脊に腹を代えて大衆の煽動に憂き身をやつさしめたのであった。かくして、大衆に対する時代的興味と時代的尊敬とは著しく高掲されたが、それが大衆彼らの自発的努力に出発しなかったことは、以上の経緯で明瞭となったろうと思う。まず大衆を持ち上げ、その機嫌を取り結ぶことによって利益する『小衆』があり、こうした小衆の煽動があったればこそ、副次的にして偶然的なる結果として、大衆の自覚も間接に奨励されたに過ぎない。むしろ小衆の側からいえば、大衆に迎合し大衆を煽動はしたが、それはかくすることによって彼ら自身が利益し得るからで、かりにその結果として、大衆の物質的利益や精神的自覚がもたらされたとしても、それは『招かざる客』であった。

要するに、大衆主義と資本主義とは楯の両面である。


初出:『中央公論』第43年第4号(昭和3年4月)

注記:

本データは原文を新漢字新仮名遣いに改めた「高畠素之選集(新版)」です。旧漢字旧仮名遣いのデータは「偏局観測所(旧版)」をご利用ください。

改訂履歴:

最終更新日:2010/03/11

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