変哲もなき普選

高畠素之

普選初頭の総選挙というので、その結果に対しては、素朴的な興味が一般に繋がれていた。しかし、あけて口惜しき玉手箱の変哲なさは、一向に目覚ましき変りばえもみせない。取った狸の算用に多少の相違はあるが、政友会と民政党とが各二百二十名弱、合計すれば総数の九割五分を占め、残余の五分を無産党の八名、革新党と実同会の各四名、中立の十名内外で分けあうにすぎない。これでは既成政党の万歳楽、どこに新味を求めよう術もなかろう。殊に顔触れにおいて、新議員の百七十名に対して旧議員は二百五十六名、実に六割四分の圧倒的多数である。更始一新しなかったこと、かつてその程度をみなかったと評してもよい。が、それなりに、二党の対立関係が明瞭となったこと、与党万能の実が失われ出したこと、番狂わせがほとんどなかつたこと、無産党を名乗る代表者が選出されたことなどが、今度の選挙の結果として反映されたのは事実である。はたしてそれが、いうところの普選にともなえる収穫であったか否か疑問だとしても、あれほど党弊の攻撃が盛んだった割合に、少しも手応えがなかったのは何人も意外とするところであろう。

しかし、考えてみれば、納税制限を撤廃したからといって、それで選挙の廓清ができると思うのも虫がよすぎる。蛙の子は蛙、無産者だから無産党を支持するものなら、各国とも有産党の存在余地がないはずであるが、それが実際において然らざる所以は、曰く言いがたき微妙な心理が作用する結果にほかならない。

人間は利慾の凝り固まりである。これはあらためて説明を要しないほど討論終決的な問題だが、しかしそうかといって、一から十まで、利慾のみを中心として出処進退するわけでもない。殊に政治などの場合には、利害の反映が間接的でもあり、かつ迂遠的でもあるところから、一の政党がはたしてよく、彼の利害を代表するか否かといった問題に誘引されるより、勝敗結果に対する競技的乃至賭博的な興味の方が先行するのである。事実また、労農党なら労農党が彼の利害を最もよく代表しているにしても、議会的多数を制して、政権を獲得するだろうことが絶対に不可能と確想される限り、本気になって担ぐ気になれないのが人情である。清き一票であればあるだけ、無希望な候補者に投票するのは、泥溝に棄てたと同じ程度の愛惜をともないやすい。

そこで勢い、行使する投票を有效ならしめんため、源氏に非ずんば平家、政友会に非ずんば民政党というように、与党の中心勢力か野党の中心勢力かに二分される結果ともなる。地理的、歴史的、階級的、職業的等、あらゆる雑多な利害関係が交錯しているにかかわらず、対峙する二大政党の発達に貢献した所以は、こうした賭博的乃至競技的な興味に左右されたればこそである。右の心理は、有産者と無産者とを問わず、したがってまた、旧有権者と新有権者との区別を問わない。現に這般の総選挙において、政民両派は各四百二十余万票を得、その合計は有效投票の八割五分強を制したのであった。これに反し、無産派諸党を合計した約四十五万票、増大された新投票に対してすらわずかに五パーセントを占め得たにすぎない。しかもこの新投票は、納税制限を撤廃した結果としての有権者、即ち無産者的分子であった意味において、物の道理と実際とが併行せざる反証を明示している。

中立議員の当選率が著しく減退したのも、同じ道理によって説明し得るであろう。今もいうとおり、選挙民の心理は、源氏か平家かその二つに一つである。相撲の贔負にたとえれば、東方か西方かの二つに分かれ、それに従って、出羽ノ海部屋か井筒部屋かといった相違も生ずるが、部屋の所属の不明な風来力士は、そうした贔負心理のいずれからも除外されている意味で、極めて不利な立場に陥ることも免れがたい。小選挙で制限選挙を施行していた時分なら、虱つぶしに金で横面を張ることもできたろうし、ひいて、義理の総見に引ッ張り出すこともできたろうが、普通選挙で中選挙区となってみれば、そうそうは手もまわしかねよう。そこで不覚にも、身は幕内力士でありながら、大部屋の二段目どころや小部屋の十両どころに人気を圧倒され、枕を並べて討ち死にしなければならなかったのである。

殊にいわゆる中立議員は、その日の風の吹きようと、その場の目の出ようとにより、あるいは東にあるいは西に定めなきをもって、源氏に非ずんば平家、平家に非ずんば源氏、およそイエスとノーの中間的曖昧を許さなくなった時代の傾向にもかかわらず、官憲の暗黙な諒解を期待して、漁夫の利を獲得しようとしたのが失敗の原因であった。なるほど以前は、官憲の威嚇がある程度のニラミには貢献し得た。しかし当今では、官憲の威嚇に畏怖するよりも、かえって反感する分子の方が多くなり、なまじ下手に干渉でもしようものなら、反対党に攻撃の口実を与えるだけ損を招く時代である。殷鑑遠からず、山岡警保局長の怪文書釈明や、鈴木内相の皇室中心主義の声明などは、毛を吹いて疵を求めた最適の実例で、あんな猿智恵さえ絞らなかったら、まだしも政友会の得票が多数を占めなかったかと思われる事情が多い。

東西古今を問わず、官憲の相場は横暴なものに通用している。挙世滔々たるデモクラ的気風は、さなきだに横暴なものとして官憲を憎悪する傾向がある。そこへもってきて、愚にもつかぬ小細工の横暴を未遂的にやろうとするから、たちまちにして反感を倍加的に挑発するのである。なんのことはない、横暴の実質を得ずして悪名を得るだけに止まるから、与党はかえって野党よりも損な役目を背負わされることになってしまう。ひとり政友会に止まらず、今度この問題は政府と与党とをともに苦しめると思うが、今度は特に内務省的小細工に禍いされし部分が多大であり、それだけ政友会が総得票と当選者を減少した事実は否み得ない。

意外に番狂はせが少なかったというが、それがむしろ意内なのであって、さすがに普選時代らしい現象である。大きな声では言われぬが、普選法による有権者には有象や無象が多く、政綱や政策を見て賛否を決するよりも、候補者の閲歴や声望に基づく有名無名が、彼らの判定する人物的上下の標準となる場合が多い。誰某が何期つとめたから、誰某が政務官だからというような外的資格が、彼らの心理を吸引する直接の条件となるのである。

もっともこうしたことは、単に選挙の場合ばかりに限られるものでなく、目黒で馬券を買う場合にも利用する心理である。即ち、最近のコンディションを知るほどに玄人ならば知らず、さもない限りは、過去の記憶を喚び起こし、なるべく親近な感じを持ち得る馬を択ぶとは、斯道の横好きがかつて私に伝えた話柄であった。恐らくさもあるべしと思われる証拠は、子供らの贔負力士という贔負力士が、常ノ花だの小野川だの、あるいは西ノ海だの常陸岩だの、およそことごとく大関横綱に限定されている事実を見れば推想に難くない。これら素人乃至半素人に取っては、対象たるべき人物がポピュラーであればあるだけ、それだけ『偉い』とか『強い』とか思うのである。というよりも爾余一切の比較考証すべき材料を欠くが故に、ヨリ有名かヨリ無名かの一事をもって、人物判定の唯一標準とするのほかなかったと解すべきであろう。かくて、大立者に一人の落選者なく、旧代議士の当選率が前例を突破して優秀であり得た。それもこれも普選なればこそ、新人の出現を期待するなどは、木に縁って魚を求める以上の愚かしさだったことが知られよう。

雄弁家として定評ある候補者が、当落ともに意外の得票を集め得たことなども、恐らく、雄弁的資格を人物的資格に錯覚した結果と思われる。これなども、よくよく考えてみるなら、雄弁家たる資格と政治家たる資格とに何らの相関性なきこと明瞭なんだが、比較考証すべき一切の材料を有せぬところから、鶏鳴狗盗の一技たる雄弁を選択したにすぎまい。

普選時代の候補者が、人物的にポピュラーでなければならぬことは、これも有産党と無産党との相違を問わない。むしろ私からいわせれば、人物さえジャーナリズム的に有名であるなら、所属の党籍如何などは少しも問題でなさそうに思える。例えば安部磯雄氏のごとき、彼が社会民衆党首でなかったら、ヨリ以上の投票的多数を獲得したであろうと信ずべき理由が多い。同様に大山郁夫氏の場合なども、彼が労農党首であったればこそ、金城湯地の香川県で落選の憂き目を見なければならなかった。弾圧云々のごときは、釣り落とした魚の大を誇るにひとしく、弾圧があればあるだけ、汪然として同情が集中されるのが普選時代のありがたさではないか。

かりに山本宣治、水谷長三郎の二君が、かたや宇治の若旦那でなく、かたや京都の富裕ボンチでなく、同時に前者が元京大講師でなく、後者が法学士弁護士でなかったとしたら、彼らの立候補に対しては誰だって洟もヒッかけなかったであろう。それを光栄ある当選に導いてくれたものは、ひとえに親の光がなせる仕業である。もし感謝を捧げんとするなら、躊躇なく祖先の『搾取』に向ってなすべく、労農党の看板がなかったら、もう少し上位に漕ぎつけられたかもしれない。亀井貫一郎君が伯爵家の連枝でなく、河上丈太郎君が関大教授でなかったらの場合も、全く以上と同断であったに違いない。彼らの当選は無産党の故でなく、直接間接に『親の七光り』を反映したものである。かりに然らずというなら、彼らのごとく腰掛的な意味でなく、日和見的な意味でなく、終始一貫して運動に貢献した人々の落選は、これを説明するに理由を見出だし得ないであろう。

もっともなかには、多年の貢献者という意味で、したがってそれだけ有名な、鈴木、西尾、浅原といった人々も幸いに当選し得た。しかしそれこそ、彼らの過去の貢献が有縁無縁の大衆に著聞していたればこそ、もしあの地盤に別個な人物を押し立てたら、恐らく落選を免れなかったろうと思う。危うく当選を免れた次点者の中にも、当落そのものは別個として、意外に多数の得票があった人々が少なくない。しかもそのことごとくは、いかなる意味かで世間に名前を知られた人々であった。これによってこれを見れば、彼らの得票はその無産党的立場にあるのではなく、むしろ個人的信頼にあったとも言い得よう。


初出:『経済往来』第3巻第4号(昭和3年4月)。「普選戦総評―総選挙より 新議会へ―」の一つ。

注記:

本データは原文を新漢字新仮名遣いに改めた「高畠素之選集(新版)」です。旧漢字旧仮名遣いのデータは「偏局観測所(旧版)」をご利用ください。

改訂履歴:

公開:06/12/17
最終更新日:2010/03/13

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