議会制度は万全か

高畠素之

普選初頭の総選挙は、与党と野党との著しき接近によって終結を告げ、もし不信任案が提出されるようなことになると、成否とも両三名の差異で勝敗が決せらるべき形勢である。そこで潜航戦はいやが上にも猛烈となり、一流の泥合戦も激甚を加えつつあるが、なかでも皇室中心主義か議会中心主義かの争論は、問題が問題だけ、院外の飛火運動にも転化しそうな模様が見られる。現に幾多の国家主義団体は、政府と連絡があってかなくてか知らないが盛んに新聞広告などを使用し、団体政治の中心が天皇をおいて他に求め得ざる所以を高調力説している。院内の雲行が険悪になれば、どのみちひと騒動は免れまいと思われる。それも結構であろう。

大体、民政党が『天皇統治の下、議会中心政治の徹底を期す』などと宣言したことは、いかに普選大衆の人気に投合せんがための手段であったにしても、いはずもがなの差出口をやらかしたと評するのほかはない。天皇統治というからには政治の中心が天皇にあるべきことを意味し、別箇に議会を中心とする政治を予想するのは、ただに論理に合致せざるばかりでなく、不逞の非望を抱蔵するかに強弁され得べき余地を残したものであった。得たり賢しと鈴木内相が、政戦のイシューに逆用したのも故なしとはせぬ。いかに動機が不純だったところで、言い表わせる理議が内相において整然たる限り、民政党が籔を突っついて蛇を出す結果に陥ったのもやむを得ない。だが、かくいう政友会だって、実はあまり大きな顔をされた義理でもないのである。若槻内閣が枢密院の毒殺にあって倒れたとき、彼らは憲政常道論を押し切ることによって政権の強奪を試みたのであった。憲政常道論とは議会の頭顱的多寡に規準する政権授受の形式で、民政党のいわゆる議会中心政治と同義異語である。その限りにおいて、政友会も民政党と同じく議会中心主義の熱烈な信者であり、決して誇称するがごとき皇室中心主義を固執してきたのではなかった。選挙の結果、万一の敗戦を予想して、今後の居座わりを是認する口実に天皇政治を言為したところで、だれが彼らの本心として信用するものがあろう。所詮は猿の尻笑いに類する。

民政党が如上の理由から、政友会が護憲運動の申し合わせを破棄したと非難するのも、決して柄のないところへ柄をすげんがための言いがかりをなしたわけではない。議会的勢力の大小で、政権の所在を決定しようという憲政常道論の見地においては、明白に政友会は当時の申し合わせを裏切ったということができる。ただしかし、これを最初に裏切ったのは憲政会であった。憲政会は清浦超然内閣を支持する唯一の政友本党に妥協し、かつ合同して今日の民政党に再生したのであるが、当時の申し合わせにおいては、国民共同の敵として政友本党に当たるべしという決意を披瀝したのではなかったか。その政友本党と合同しておきながら、今になって当時の申し合わせを担ぎ出すのも笑わせる。まして旧本党系の民政党員が、過去の罪科を棚に上げて政友会の議会無視を攻撃するに至っては、あまりといえば白々しい限りである。政党の万事はかくのごとし。という意味も、取りようによってはいかようにも取れるが、私の言わんとするところは、こんな出鱈目な政党を中心とする議会政治であるが故に、大してあまりありがたいものでないというにある。

政党が出鱈目であるのは、なにも日本ばかりに限った話しではない。洋の東西を問わず、時の古今を問わず、また有産党たると無産党たるとを問わず、本質的に出鱈目なるべきものが政党なのである。現在の我が無産諸党に見ても、その離合集散に一定の理想があるわけでなく、ただ感情や利害に動かされている限り、なにが故に分立しなければならなかったかの名分を欠いている。もって一半を察知し得べく、政綱政策の主義主張のというのは、他党との判別をつけるために持ち出した看板に過ぎない。看板に偽りありとは古人の誨であるが、政党に関する限りでは、この諺は一から十まで真理たるを失わぬ。したがって、教科書的政治学が定義するような政党、即ち同一乃至類似の政策を実行する便宜に基づくと解釈するのは、既にそのことにおいて本末を顛倒している。

政党はもちろん、議員のみの集団ではない。しかし実際問題としては、議員が政党構成の中心要素であって、彼らの多寡が政党としての大小を決定する唯一の尺度となっている。その結果、政党の組織は何事も議員本位となり、議員ならぬ党員は彼らの指揮をことごとく仰ぐのである。形式的には彼らの代弁者であるが、実質的には彼らの君臨者なのである。もっとも議員たるには選挙の方法を俟たねばならず、選挙を有利に展開するには選挙人の人気を顧慮せねばならず、またそれがためには、選挙人の利益をできるだけ伸張しなければならぬといった因果関係上、そう何から何まで勝手気ままに振る舞うわけに行かぬ事情もあるが、少なくとも選挙人の意志と代表者たる議員の意志とが背反し得る場合があることは知られよう。かかる場合は甚だ多い。むしろ多くの場合はことごとくそれで、党員の意志とは別箇の意志が彼らに強制せられるのである。そこで勢い、上から下への縦断的関係が馴致され、衆議院議員は府県会議員を、府県会議員は町村会議員を、町村会議員は近所近辺の有象無象をいうように、親分子分の関係が整然と組織されることにもなった。中央部の組織においても、陣笠代議士の上には幹部代議士があり、その上に最高幹部があり総裁があるという状態だから、実際は昔の封建的関係とたいして変わるところはない。ただ形式なりに、下から上への関係であるらしく見せかけているため、有象無象が彼の意志と直接間接に関係があるらしく錯覚したに過ぎない。これは公然のトリックである。その意味において、代議政治がデモクラシーだなどと考えるのはとんでもない誤りで、実際は政党の幹部と称せられる少数の一団によるオートクラシーにほかならない。

貴族によると党人によるとは、同じ専制でもその内容が違うというかも知れぬ。一応はもっともである。多少の相違はもちろんあるにはあろう。だが、多数の意志とは無関係な少数意志の支配という事実は、貴族たると党人たるとを問わないのである。

議会政治はかくのごとく、いかに巧言令色を逞しうすといえども、決してデモクラシーの万全な組織ではありえない。けだしそれが、政党による政権の運用を常道とする限り、一部幹部の専制に終ること必定なるが故である。かりに実際論に立脚せずして形式論に依拠しても、議会は決して民意の完全な反映ではありえない。まず選挙制度に見る。満二十五歳以上の成年男子一千二百余万が国民の全部というわけでなし、同時に不自然な地理的区画による現在の中選挙区制をもってしては、万民の意志を過不足なく反映することは出来ない相談である。もっともこれを比較的公平ならしめんとすれば、区制単位を可及的広範に拡大するなり、比例代表制度を採用するなりの方法も残されているが、しかしそれにしたところで、少数者の意志を含めて過不足なく反映することは絶対にできない。若干の不公平は最後まで免れないのである。

選挙方法における不公平が既にかくのごとくであるとともに、選挙の結果として成立したる議会そのものもまた、それ以上に不公平である事実も忘れてはならぬ。議会政治は多数決主義を原則とする。多数決主義というのは、賛否の頭顱的多寡によって真偽を判定する方法をいう。しかも右の場合、頭顱の個人的資質が猫であると杓子であるとを問わず、とにかくも『多数』でありさえすれば、たといその差が一頭でも二頭でも、その多い方に真理の軍配が挙げられるのである。最近の実例を現在議会の勢力分布に求める。政友会は二百二十二名で民政党は二百二十一名、両党が一匹どっかえで喧嘩をやる段になれば、民政党はわずか一名の差異で敵党の正善に対して自党の邪悪を甘受しなければならない。九割九分五厘五毛の実力を有しながら、わずか五毛の劣勢で『敗ければ賊』の汚名を着なければならなかったのは、いかに考えても公平ということはできないと思う。殊に先般の総選挙で獲たる全国的得票の総計は、政友会に対して民政党がかえって四万余票の多数であった。当選得票の平均を一万票とすれば、民政党が政友会に対して四名の多数を獲得して、始めて議会が民意を公平に代表しえたわけである。ところが事実は、四万余人もの多数の後援者を有しながら、反対に政友会から圧迫されなければならぬ状態に置かれている。かくして、多数国民の意志は少数国民の意志に屈従する結果を招いた。これを皮肉といわずして何ぞや、である。

多数決主義の原則そのものは、必ず拒否すべきでないこともちろんである。しかし運用の技術的方法を誤まれば、上述のごとき不公平が白昼公然と行われ得ることを予想しなければならぬ。もしデモクラシーを字義通り多数政治と解釈するなら議会制度は決してデモクラシーの遺憾なき実行機関でありえないことも明瞭であろう。さればこそ、レ・フェンダム(一般投票制)、イニシアチヴ(立案投票制)、リコール(任意投票制)等、幾多の直接的方法が提案され、かつ実行されているのである。これ取りも直さず、デモクラシーの見地から、議会制度に対する不信認が表白された所以にほかならない。したがって、今頃になって議会中心政治を強要するなどは、それ自体がデモクラシーに対する公然の反逆を企てたものといい得べく、その限りにおいて、民意の忠実な反映を政治上に希望するものは、民政党、革新党、無産諸党を十把一束にして排撃しなければなるまい。

私はもちろん、いわゆるデモクラットではない。それ故に、あえてデモクラシーの見地から議会中心政治の不当を難詰しようとも思わないが、議会に対するあまりにも過当な時代人の信頼に対しては、持って生まれた横車を押してみたくなるのも人情の弱点である。

そもそも議会制度というのは、政治の実権を貴族の手から町人の手に奪わんがために考案した一時の便法であった。多数主義という看板なども、これを粉飾せんがための巧言令色にほかならず、要はいかにも合理合法に見せかけることにおいて貴族が政治上の実権を手離さなければならぬように仕向けたに止まる。したがって、当時のいわゆる『多数』とは少数アリストクラットに対するブルジョアを意味し、今日のごときプロレタリア大衆などは無論眼中に置かなかった。身から出た錆の致し方なく、ブルジョアはかつて彼らが奪還したと同じ方法により、今やプロレタリアに政治上の実権を奪われんとしつつあるが、当初の目的は少なくとも町人支配の機関として議会を考案したこと明瞭であった。それだけ議会を万能らしく吹聴し、政務を執行する上の唯一にして最高なる方法であるかにも誇張したところである。各国とも例外なく、選挙資格(同時に被選挙資格)に納税的制限を設け、かつ一方の民衆議院に対立する貴族議院を残したような事実は、遺憾なく這般の苦心を物語る材料でなければなるまい。これによって明らかなるごとく議会制度そのものは決して人類の理想主義的動機から生まれたわけでなく、ブルジョア支配という利己的かつ現実的な必要から考え出した所産に過ぎない。したがって、それが政治執行の機関として絶対なはずはなく、同時に永久の生命を約束されているはずもない。所詮は暫定的にして便宜的な泡沫的存在である。こんなものは、その日の風の吹きようとその場の日の出ようで、他の適当な機関と変更することに少しも躊躇を必要としないのである。

議会制度そのものが、既にかくのごとく暫定的にして便宜的な機関であるとすれば、いわゆる議会中心政治の理論的基礎ははなはだ薄弱たらざるを得ない。いわんや、天皇中心政治に対立する概念として議会中心政治を担ぎ出すに至っては、言語道断も沙汰の限りといわなければならぬ。かりに一歩を譲って、議会以外の他の政治執行機関に対立する概念だったとしても、これを最上唯一とする理屈には承服しかねる部分がはなはだ多い。なぜかなれば、議会政治は必然に政党政治の形態を採り、その限りにおいて幹部専制に陥るべき傾向を本質的に具うるのみならず、民意反映に過不足あらしめる本質的欠陥を有するをもって、彼らがあえて白昼自讃するごときデモクラシーの万全を期待しえざるが故である。もっともデモクラシーの万全などということは、空中に楼閣を描くと同じ程度の迷夢に過ぎないから、議会以外のいかなる制度を持ってきたところで達成は絶望である。にもかかわらず、絶望なる空想を有望なる実想らしく説くところに議会主義者の巧言令色があり、かかる羊頭の看板に隠れて狗肉を売る卑俗野心家輩を跳梁跋扈せしめる危険が最も甚大なる意味で、議会政治に対する理由なき盲拝を脱却しなければならぬ時代的必要は少なしとせぬ。議会制度も落ち行くさきは少数専制である。して見れば、ロシアのソビエト制度やイタリアの職能代表制度と本質的な相違はなかろう。政務運用の便否を中心とすれば、まだしも後者の方が迅速的にして效果的であるかも知れない。

ただしかし、議会制度は多年の経験を累積せる結果、被治者の猜疑心を許容する余地が最も多く、それだけ少数者の専断を牽制し得るやうにはできている。人間のエゴイズムとエゴイズムとの角逐抗闘を緩和する上では、さすが老舗だけに手馴れたものである。人間が利己的動物であり、相互に優勝慾と猜疑心を挑発しあう存在である限り、いかにそれが胡魔化しの詐術でも、結局は議会制度のごとき機関によって政治を執行するよりほかに方法はないのであろう。だが、それは最善を得られざる場合の次善である。もし対立する二大政党の勢力的接近が著しくなり、中立的少数者の嚮背によって政権が常に浮動するとか、多数の小党に分立して離合集散が不常だというような時代が到来し、政治執行力と事務運用力とが著しく失墜した場合を仮定すれば、次善的機関としての議会制度もおのずから不信を免れないであろう。議会制度に満足していられるだけ、まだしも日本国民は幸福だと見るのほかあるまい。

――三月二十五日――


初出:『春秋』第2巻第5号(昭和3年5月)

注記:

本データは原文を新漢字新仮名遣いに改めた「高畠素之選集(新版)」です。旧漢字旧仮名遣いのデータは「偏局観測所(旧版)」をご利用ください。

改訂履歴:

公開:2006/7/30
改訂:2007/11/11
最終更新日:2010/03/09

inserted by FC2 system