英雄崇拜と看板心理

高畠素之

ルバート・ヒユーズといふ男は、アメリカの何流どころの作家か知らないが、映畫の原作者として二三度プログラムで散見した記憶があるから、どうせ大した高級な代物とも考へられない。そのルバート・ヒユーズが彼等の稱して『建國の父』と呼ぶジヨーヂ・ワシントンの傳記を物し、彼れが如何に稀代の法螺吹きで賭博常習者で、その上手のつけられぬ好色漢だつたかを暴露したさうである。平民主義の本家本元を以つて自任するヤンキー族ではあるが、さすがに彼等の國民的偶像に對しては夢をつなぎたかつたと見え、ヒユーズの取り扱ひについては多大のセンセーシヨンを喚び起こし、寄ると觸るとその噂で持ち切りだといふ。新聞聯合の特派員ともあらうものが、何百金か何千金かの電報料を拂つて長文の通信を寄せ、昭和二年十一月二十二日附の各新聞が擧げて大々的に記事としたところを見ると、當の米國人は素より日本人も人事ならず喫驚したに違ひない。

ジヨーヂ・ワシントンといへば、小學校の修身教科書で庭の櫻樹を切つたといふ逸話でお目に掛かつて以來、何人に對しても『正直の典型』として記憶された筈である。正義人道、自由平等、博愛信義等、あらゆる善徳善行の代表者はワシントンであつたといふも過言でなく、苟めにも凡人と同列に考へるなどは、それ自體が冒涜であるかに畏怖されてゐたのであつた。人もあらうにそのワシントンが、山師で博徒で色魔であつたと聞いては、聖母マリヤの處女性が蹂躙された以上の珍事でなければならぬ。寄ると觸るとの大騷ぎも、必ずや無理からぬことゝ思はれる。

尤もヒユーズの摘發は、事實に立脚するよりもヨリ以上空想に依頼する部分が多かるべく、その意味では嚴密な傳記と呼ぶことも許されないであらう。だが、物の道理を考へ合はせると、如何にもそれが事實であるらしく見える。少なくとも、傳説化され神話化されたワシントンの印象よりも、無頼漢の親方として扱つたヒユーズの解釋が、まだしも事實に近く彼れの正體を寫映したと思はれる。といふ次第は、叛軍の總帥として『祖國』を建設した程のワシントンが、一筋繩や二筋繩の曲者であるべき道理はなく、酢いも甘いも噛み分けた道樂者であつたればこそ、喰ひ詰め者の荒くれ男を統御して大英帝國の羈絆を脱却する大芝居を打てたのである。修身教科書の材料として生れたやうな男なら、とうの昔しに田舎町の牧師として一切の覇氣を喪失してゐたことであらう。

日本人の祖先崇拜を輕蔑する米國人ではあるが、成り上がり者の悲しさを如實に表はして彼等は彼等の祖先を本國の迫害から逃れ出たピユーリタンに假定してゐる。或はさういふ分子もあつたらう。だが、それよりも遙か多量の分子は、今も昔も變らぬ一攫千金的出稼人であり、隨つて無頼漢的要素であり、いはゆる清教徒的要素は九牛の一毛にも及ばなかつたに違ひない。斯うした向ふ見ずの亂暴者が寄り集つたればこそ、少數蕪雜の軍隊を擁して『日沒なき帝國』の組織的軍隊を撃破し得たのであつた。總帥のワシントンだけ、ひとり高く清かつたとは、如何に贔負目で見ても見られる道理がないではないか。受胎告示を素朴的に信仰し、性交を前提とせざる姙娠の可能を盲信せざる限り、ワシントンの偶像性も信用する譯には行くまい。

引き合ひに出されたワシントンには氣の毒だが、世間大方の偶像的人物も素性を洗へば兄たり難く弟たり難く、佐倉宗吾が三百代言で幡隨院長兵衞が監獄部屋のカスリ取り、國定忠治が居直り強盗とあつては興も座も白らけ渡るだらうが、それが正眞正銘の正體である限り、なんともお氣の毒と申し上げるの外はない。ナポレオンが太閤秀吉でも、マルクスがクロポトキンでも、レーニンがムツソリーニでも、傳統のままを彼等の眞價と盲信するのはコケの骨頂、歳暮の賣り出しと同樣、何割かの割引があることを最初から覺悟して掛からねばウソである。勿論、さうはいふものの、筆者の微意は何も彼等の人物にケチをつけようといふのではなく、彼等の偉大は人後に落ちずこれを認めるに躊躇しない。唯だ何割乃至何十百割の掛け値があるといふに止まる。

斯かる掛け値は如何なる徑路で生じたか? その直接間接の答辯が、實は本論の主題に擇ばんとする趣旨なのである。

英雄が時代をつくるか、時代が英雄をつくるかといふ問題は、鷄が先か卵が先かの水掛論と共に、昔から執拗に繰りかへされて來た爭點である。觀方によつてはどつちとも言ひ得べく、一人の英雄を中心として新しい時代がつくられる場合もあり、新しい時代に對する必要として英雄をつくり上げる場合もあり得る。『英雄崇拜論』の名著で知られたカーライルの如きは、英雄一元論で時代創成の意義を盡くさうとした代表的論客であるが、それも些さか狂信的に過ぎると反對に、スペンサー(その他大勢)の如く、英雄中心の從來の歴史を書き直すべしと主張する論據にも、少なからざる誇張があつたことを認めなければなるまい。要するに楯の兩面があつて、どつちへ軍配を擧ぐべきか困難である。

然し當今の常識では、英雄が時代をつくるのでなくて時代が英雄をつくるといふことに、殆んど衆評一致の傾きがあるやうに思はれる。それといふのも、今やデモクラシーの時代とあつて、萬物の尺度はその數量的多寡に於いて決定せられ、眞理は贊成者の多數を俟つて始めて立證せられるといふやうな一般的風習が、個人的才能を著しく輕視する傾向を助長したからに外ならない。賢人の一票も愚人の一票も、同等の資格を代表する世の中である限り、特に偉人や傑士を尊重すべき理由も必要もなく、いはゆる英雄主義の人氣が失墜したのも無理からぬところである。その代りといふのは變だが、反對の平民主義が時代の獨占的人氣を博し、白亞館の大統領も自動車の運轉手も人間として平等だといつた觀念が高揚され、英雄と凡人との差別待遇を極端に嫌忌し出したのである。殊に最近に至つては、あらゆる世界觀の根基といふ觸れ出しでマルクス主義が幅を利かせ、その唯物史觀的解釋が一般人心を支配するやうになつた結果、英雄が時代をつくるなどとは飛んでもない妄想であるかに思はれ、ますます英雄主義の人氣は褪化せざるを得なかつた。それも惡くはない。正當の理由も必要も窺はれる。同時に英雄崇拜家らしい口吻を洩らせば、それ自體が直ちに時代後くれと漫罵され、甚だしきは反動派と十把一束に片づける風潮も、決して無理とばかりはいへない事情も見出だされる。だが、茲に不思議としなければならぬ問題は、斯かる時代の平民崇拜的人心にも拘らず、實際の現象は却つて英雄崇拜的に傾向しつつある一事である。

イタリーのムツソリーニを筆頭に、トルコのケマル・パシヤ、スペインのプリモ・ド・リヴエラ、ギリシヤのリザ・カーン、モロツコのアブデル・クリム、支那の張作霖等、その他ラテン・アメリカや回教アジアの諸國には、枚擧に遑なき偶像的英雄が彼等の國民から支持されてゐる。更らに先進國と呼ばれる諸國にあつても、ドイツはヒンデンブルグを、フランスはポアンカレーを、骨董品ながらに國民の偶像的信頼を繋ぎ得るといふので第一線に起用し、イギリスはダイ・ハーヅ連を中心勢力とする保守黨内閣、アメリカはクー・クラツクス・クランの跳梁、日本は上下を擧げて劍劇の陶醉、どこに平民主義の面影を偲ふべくもない。社會主義國の本場ロシヤにしたところで、死んだレーニンの遺骨を佛陀のシヤリと同樣に禮讚し、たうたう彼れを『神』の玉座に祭り上げてしまつたのである。唯物史觀の素朴的な信徒であり、人間を土塊と共に一個の物質と見る國柄でありながら、これはまた驚くべき盲拜ぶりではないか。

舊い偶像を破壞して新しい偶像をつくることは、如何にも皮肉な現象といはなければならぬ。然しそれは、皮肉なりにも動かすべからぬ目前の事實である以上、英雄崇拜は時間と空間を問はぬ人間本能の現はれと見なければなるまい。武斷的ナポレオンから平和的ワシントンへと、崇拜對象たる英雄の條件は移動したが、これを一個の偶像として讚仰する要求が民衆にある限り、いつの世いかなる時に至つても英雄は民衆のために必要であらう。必要なればこそ、舊來の英雄概念に正反したる『英雄』を新しく創定し、彼等の崇拜感を遺憾なく傾倒するのである。引き合ひの序にワシントンを例證すれば、彼れは平民的で民主的であつたればこそ、即ち舊來のいはゆる英雄的條件を缺如してゐたればこそ、新しい時代の『英雄』として萬人の崇拜を購ひ得たのであつた。實際のワシントンが果して斯かる人物であつたか否か、これは多分の疑念があること前述の通りであるが、時代の平民的乃至民主的要求は實際以上にこれを理想化し、彼等の崇拜感を滿足せしめ得るやうな『人物』に造り上げたといふ方が正しい。隨つて、民衆に取つては、彼れの實際が理想的であつたか否かが、重要なのでなく、理想的な人物として彼れを造り上げることが重要なのである。その意味で、時代が英雄をつくるといふ觀方に誤りはないが、唯だしかし、この命題を唯物史觀的解釋にのみ適用することは異議なきを得ない。

オスカー・ワイルドであつたと記憶する。人類の夥しき發見の中にあつて、その最大なるものは『神』の發見であると喝破した。舊譯的信仰からいへば、許すべからぬ冒涜であるが、なるほどそんなところかも知れない。神が人を創つたのではなく、フオイエルバツハの言ふ如く、人が神を作つたのである。その姿に似せたのは、神でなくして實は人であつた。蟹が甲羅に似せて穴を堀る(1)如く、人はその姿に似せて神をつくり、而も善化し美化し得る最上の姿に於いて神を創造したのである。

民衆に取つての英雄は、謂はゞ神の現世的なる投影圖に外ならない。故に、英雄を英雄たらしめるには、あらゆる理想化が絶對に必要である。精神的な善化は素より物質的な美化さへ行はれる。倭躯赭顏の義經は斯くして美少年の典型となり、御曹子の名譽を獨占するに至つた。猿面冠者の異名を誰れ知らぬ者なき秀吉さへ、芝居の眞柴久吉として眞ツ白に塗り立てる光榮に浴した。現實無視も甚だしいが、英雄として彼等を崇拜する限り、遮二が無二でも容貌的美を具備させなければ滿足しない民衆心理を表明したものである。また『英雄色を好む』といふ下世話の譬にしても、好色の自己辯護に案出したといふより、英雄の必然惡を瞑目する窮策に出でたと解せられる理由が多い。それもこれも、理否曲直に拘らず彼等の崇拜する人物を、最上無缺の偶像に祭り上げたがる弱點を暴露したものに外ならぬ。理想化されし英雄の傳説的存在と、有るがまゝなる英雄の現實的存在との間に、如何に相違があるべきかは推想に難からないであらう。

そこで問題は、何が故に民衆は斯く英雄を必要とするかである。

人間は誰れしも自己の微弱を意識する。斯かる結果は、何か知ら超人的な力を求め、その庇護の下に身神の安全を計らうといふ本能を助長し、つひには全智全能の『神』を想定してまで、文字通り安心立命を見出ださうといふに結果せしめた。思へば淺ましき限りだが、今更ら文句をつけて見たところで始まらぬ。既に神信心が自分本位の利益本能から導かれたとすれば、果して神が存在するか存在しないか、さうした詮議立ては一切無用なるべき道理、鰯の頭が鮭の骨でも、信仰の對象に擇んで惡いといふ理屈は成り立たない。所詮は氣やすめである。氣やすめであるから、出來るだけ善化し美化して御利益の多大を買ひ冠り、自分だけ滿足してゐればよいといふ理屈にもなる。そこで『全智全能の神』といつた絶對超特の作品も生れた譯だが、その模寫たる英雄にしたところで五十歩百歩の相違を出ない。

戰國時代の英雄にしても秀吉が豐國神社に祭られ、家康が權現樣と崇められるといふやうに、少し氣の利いた男は悉く『神』の尊敬を拂はれてゐる。これ祖先崇拜の我が國民的美徳の發揚だから、大いに中外に向つて宣傳する價値もあるが、秀吉や家康にすれば苦笑を禁じ得ない記憶もあらう。まして石州津和野の荒くれ粂の平内が、優にやさしき縁結びの神樣に祭り上げられたなどは、さぞかし面喰つてゐることだらうと思はれる。だが、秀吉や家康は素より平内の末に至るまで、何もさう氣恥づかしがるには及ばない。けだし後世の民衆は、自分達の氣休めに彼等を神として禮拜するのだから、その代償に賽錢を貰ひ受けることは少しも差支へなく、鰯の頭や鮭の骨と共に、大手を振つて神樣らしく擔がれるに越したことはない。――などと、論題の中心はいつの間にか外れたやうだが、唯だ物の道理は斯くの如しといふ一例である。

神樣になり損ねた古來の英雄とて、後世の崇拜を購ひ得るまでには、原形を止めないまでの善化美化が行はれてゐる。又してもワシントンだが、彼れの實際がヒユーズの摘發した如き人物であらうと思はれるに拘らず、あらゆる善事善行のチヤムピオンとして今日通用するのは、斯かる善化美化が幾百千たび繰り返へされたがためであつた。後世の識者は、荒唐無稽なりに彼等を理想的人物の典型につくり上げ、以つて愚夫愚婦の人格鍛錬に標本たらしめると共に、あはよくば自分もお裾分けに與づからうとしたに過ぎない。その效果は必らずしも絶無でなかつたから、プラグマ的には英雄崇拜の正用逆用が世道人心に裨益せる部分おほく、その限りでは英雄が時代をつくつた場合も必無としない。

閑話休題、要するに英雄とは以上漫録した如く、人類の崇拜本能の上につくり上げられ、神と共にあらゆる善化美化を經て一個の偶像となり、當初の實物とは似ても似つかぬ超凡性を附與された『僞人』だと言ひ得る。而もかうした僞人の設定は、自己の卑小を保護せんとする努力の反映であり、同時に民衆に取つての傀儡であることも暗示したつもりである。けれども、單にそれだけの説明では、英雄の出現を促した物理的乃至心理的原因の全部を盡したとはいひがたい。民衆に取つて英雄の『必要』は、更らにヨリ直接にしてヨリ深刻なる理由を胚胎してゐる。

それは何であるか? 十六夜の月を待つ氣永さで刮目を乞ふ。

今もいふ通り人間には、自己の微力を補はんとして、何か知ら強力なものゝ庇護に依頼したがる癖がある。これは人間の保存本能に出發してゐる。それ故に人間は、權力なり武力なり金力なり、或は他の何等の力なりに於いて、自分よりもより強力な人間を求めて外敵の侵害を防ぎ、一身の安穩を計策するやうになり易い。二十軒に足らぬ山間の部落などにあつてさへ、必らず勢力家と稱せらるゝ二三の人間があり、これを取り卷く數人の追隨者は、その勢力家に阿附迎合することに於いて彼等の利益を守護しつゝある事實を見かける。それが一村となり、一郡となり、一縣となり一國となつて、次第に範域を擴大するにつれ、ヨリ以上の勢力家から更にヨリ以上の勢力家へと對象を移動し、同時に追隨者の頭數も次第に増大して行くが、斯かる勢力家の庇護の下に一身の安穩を期待する衆凡的心理は共通し、唯だ斯かる關係を複雜に累積して縱層的ならしめたるに過ぎない。政友會といひ民政黨といひ、レパブリカンといひデモクラツトといふも、畢竟はかうした關係の縱斷組織と解せられる。隨つて、それらの政黨が似たり寄つたりの人物を網羅し、主義も政策も同じく似たり寄つたりであることも不思議ではなく、若し兩者に相違があるとすれば、相互に對峙する二つの勢力として反對のための反對を繰り返へした結果、むしろ偶然的に斯かる相違を發生せしめたと見るべきである。

反對のための反對とは、いはゆる敵本主義の意味である。掲揚した一定の主義なり政策なりは、不言不語の野望を巧言令色する手段であつて、それ自體が結合の動機となるのではない。無論、ウソから出たマコトといふ諺があつて見れば、最初は巧言令色のために擔ぎ上げた看板であつても、恰かも彼等の結合が主義政策の實行にあつたかの如く思ひ込み、これに狂熱を傾注するといふ場合も有り得よう。例へば我が無産諸黨の分布の如く、最初はヨリ多く個人的な利害問題や感情問題やを中心としたに拘らず、いつの間にか便宜のための看板に引きずられ、どうやら主義そのものの異同であつたかのやうに啀み合ふ状態がそれである。また、民政黨の義務教育費全額國庫負擔論にしたところで、政友會の地租委讓論に對抗し得る看板といふ意味から考案した事實を忘れ、傳家の祕寶の如くこれを吹聽しつつあるが、これなどもウソから出たマコトの好適例でなければならぬ。

尤も、その段になれば、地租委讓の看板だつて同斷であつた。政友會が地租委讓を擔ぎ上げたのは、普選通過に依つてデモクラ的人氣を憲政會に獨占されんことを警戒した結果、その上を越すデモクラ的看板を發見しなければならなくなり、貴院改革だ知事公選だといふ看板と共に地方分權といふ看板を拾ひ出し、論理の當然で地方財政の確立を圖らなければならなかつた窮餘の一案である。今にして四年度實施の五年度實施のとお茶を濁ごしてゐるが、實行の可能性などは最初から齒牙にかけなかつた以上、いざ鎌倉となつて面くらふに少しも不思議はあるまい。

政黨の主義政策ばかりでなく、凡そあらゆる看板といふ看板は、決してそれ自體のために擔ぎ上げるのではない。敵は本能寺にあつて、それがため自己一身の利益をもたらし得るが故に擔ぐのである。デモクラシーだつて、コムミユニズムだつて、××××だつて、文化生活だつて、既にそれが看板である限りは、擔ぐ當人が看板の庇護で商賣が成り立てばこそ擔ぐのである。啻に空理空論的な看板のみならず、レーニンを擔ぎ、ムツソリーニを擔ぎ、張作霖を擔ぎ、田中義一を擔ぐ心理も同じこと、擔ぐ方は擔ぐことに依つて利益があるから擔ぐのである。故に這般の因果關係を探索すれば、擔がれる要素があつて擔ぐ條件が生れるのではなく、擔ぐ人間があるから擔がれる人間が出來ること明瞭であらう。

スペンサーを筆頭とする平民主義の一味徒黨が喝破するごとく、從來の歴史はなるほど英雄の歴史であつた。だが、それ故に從來の歴史は本當でないといふのは變である。何となれば、英雄は時代の民衆が擔ぎ上げた看板なるを以つて、英雄の歴史は即ち平民の歴史であらねばならぬからである。英雄の行跡は民衆の行跡の縮圖的記録であり、當該時代の民衆的要求を如實に反映した意味で、從來の歴史を新しく書き直すべき必要は毫も認められない。堺利彦翁せつかくの宿望たる『平民日本史』の完成も、その意味に於いては無駄な努力と評するの外なく、民衆を離れて英雄なき代りに英雄を離れて民衆なし、何ぞ英雄視と別個に平民史を編纂する必要あらんや。

英雄と民衆とを斯く二元的に分別する解釋は、これを強制支配の一事に依つて觀察することに出でてゐる。即ち『共産黨宣言』のいはゆる『×××階級鬪爭の歴史である』的人生觀に拘泥し、英雄と民衆とが氷炭相容れざる存在であるかに誤認した結果と思はれる。勿論、それも滿更らのヨタではない。けれども、英雄に依る民衆の斯かる強制支配の一面には、以上に列擧した如き英雄に對する民衆の任意服從があつたことも見逃してはならぬ。右の任意服從は民衆の利益を本位として馴致されたものである限り、これを皮相的な強制支配の一點から解釋することは許されない。

『萬國の勞働者』は一本立ちぢや微力なるが故に、相互に『團結』して強大な力を得ようとするのである。組合をつくり政黨をつくるのも、畢竟は自分自身の利益を擁護する手段であり、微力を強力化する打算の現はれと解せられる。謂はゞ平民主義の正道である。ところが、一たび組合乃至政黨が結成されるについては、そこに幹部とか指導者とか稱する特殊の人物が出現してくる。この人物は最初、當該團體を代表して内外の折衝を分擔する程度の役目を仰せつかるに過ぎなかつた。が、いつの間にか、先頭を切つて彼等を號令する程度の權威を獲得してしまふ。けだし、一團を代表する限り、彼れが手腕に於いて卓越せる人物だつたに相違なかるべく、隨つて各人の尊敬に支持される結果、彼れに對して任意服從が馴致されたからである。事態が茲まで發展すると、彼れを支持する一團は、ヨリ多數の成員を吸収してヨリ強大な勢力を蓄積する必要から、彼れの人物を實際よりもヨリ以上に吹聽し以つて主義や政策と共に彼れを一團の看板に擔ぎ上げるやうになる。勿論、これには無意識的な『親の慾目』も作用するであらう。が、更らに有意識的な『虎の威を藉る狐』の狡智が作用することも事實である。斯くて皮肉にも、彼れを次第に親分化し暴君化して、人物の偉大性を寄つて募つて築き上げてしまふ。而も主義とか政策とかの抽象的看板より、人物の看板は遙かに具象的であるから、引力も重力も隨つて現實的な道理であり、その結果はやがて主義や政策の看板力を凌駕し、以つて人物の一枚看板を高く掲揚するといふ状態にまで發展せしめる。主義や政策はつひに附録的意義を出で得ない。現にマルクシズムのレーニズムの、或はムツソリーニズムのといはれるやうに、人物あつての主義だつたことを立證してゐる。

右の事實は端的に、人間が天賦的に英雄崇拜的動物であることを立證する實例でなければならぬ。勿論それは、偉大な人物を尊敬するといふ道徳的な動機よりも、或る人物を偉大ならしめることに依り、その看板の陰にかくれて商賣しようといふ功利的な動機をヨリ多く含む意味に於いて、凡人道の裏道を示す行き方であつたことが知られる。平民主義の表道を分け登るにしても、英雄主義の裏道を分け登るにしても、眺めんとする月は共に衆俗の功利的打算であり、發しては平民主義となり、凝つては英雄主義となつたにしても、根本の動機が自己保存の本能に置かれる限り、氷炭相容れざる二つの存在と見る解釋は誤りでなければならぬ。デモクラシーのアメリカで、ワシントンやリンカーンやウイルソンを偶像に祭り上げたり、ボリシエヰーキのロシヤがレーニンを神樣あつかひにしたり、一見いかにも矛盾する現象と思はれやすいが、所かはれば品かはる、看板を偉大ならしめて置いて取り卷きの凡人群が一ト儲けしようといふ本能を通有する以上、結果の相違は取り立てて不思議がるにも當らないのである。

世態人情の複雜性が増大すると、何事にあれ眞理の所在は裏の裏にかくされ易い。英雄主義といふ如き單純素朴な看板は、それなりに擔ぐ動機を容易に端睨せしめるが、正反對の平民主義といつた看板になると、奈邊に動機するか一寸わかり兼ねるのである。寧ろ前者が英雄の庇護にかくれて野望の追求を圖るに對し、恰かもこれに抗爭して萬民平等の理想を實現せんとするのであるかにも考へさせる。現に當代の常識では、前者が惡玉の代表で後者が善玉の代表と考へられてゐる。だが、卑俗低劣な我慾に、執着する人間性の現はれが、一方だけ邪惡で他方だけ正善であるべき道理はない。ソコにソコあり、正善らしく巧言令色して動機の邪惡を胡魔化し、隣人のためと見せかけて祕そかに自分のために圖るといふ裏道も有り得る。正義人道、自由平等、××××、社會革命、世界平和、等、等はなはだ多くの看板は斯くして有象無象に依つて擔ぎ上げられたが、元を洗つて見れば我が身の後生を願ふ念佛である。

その人情的弱點に突け込み、最も巧みに看板的效果に於いて利用したものが、取りも直さず、英雄であり傑士である。彼等はこの看板を最も巧みに利用することに依つて、我れと自らを看板の位置に成り上がらしめ、更らに彼れを看板的に利用する者をして新しい看板たらしめ、斯くして亞流に續く亞流はいつまでも際限がない。

社會主義の看板を『科學的』の名に於いて利用したのは、實にカール・マルクスその人であつた。マルクスの看板を『半歩前進的』に利用したのはレーニンであつた。レーニンの看板を『戰ひ取る的』に利用したのは福本某であつた。福本某の看板を『プロレタ藝術的』に利用したのは……馬の骨か牛の爪でもあつたらう。が、兎にかく斯のやうに、上は牛頭より下は鷄尾に至るまで(3)、看板は擔がれる者より擔ぐ者の必要に生ずることを繰り返へし、這般の消息をもう少し卑近な實例に於いて立證することに依り、看板掲揚と英雄崇拜との相縁奇縁性に落着をつけよう。

ウヌボレとカサケを一切放棄して直言すれば、人間は老若賢愚を問はぬ手前勝手な動物である。上下交々利に走るのは孔孟時代の支那人ばかりでなく、生きとし生ける東西古今の人間は、自分の名利を求めるに汲々としてゐる。唯だ自利追求(4)の手段に於いて、これを露骨ならしめるか、圓曲ならしめるか、直接ならしめるか間接ならしめるかの相違はあるが、自己の名利を豫定せずに他人の名利ばかり圖る人間は認められない。尤もその場合、全部の人間が結局の自利を意識して他利を圖るとばかりは限らず、時に意識せずして他利を圖る場合もあるが、これとて嚴密にいへば、他利即自利の打算が習性化した現はれと見るべきである。これ先刻御承知の如き保存本能の然らしめるところ、耶蘇基督を最大の個人主義者に奉つたワイルドの解釋も、その意味では必らずしも逆説とばかりはいへない。

名利的人間の集團たる社會は、斯かる複雜多岐な個人的勢力をゴツチヤにしてゐる。各人は各個の利害を有し、若し純粹に自分だけの利益を追求しようとすれば、四方八方と衝突し續けてゐなければならないであらう。そこで勢ひ、小の蟲を殺して大の蟲を生かす工夫を考へ、損して得とる打算のもとに、その場合に於ける最も根本的な利害を生かさんとするやうになる。組合や政黨の例は前述の通り、その他の如何なる團結もかうした利害關係を基礎にして構成されてゐる。つまり自分の利益を齎すには、これと共同の利害關係をもつ多數の人々と合體した方がヨリ有利だからに外ならない。

出身の血縁や地縁や、或は學縁等を辿つて結ぶ『閥』も同じ理由である。門閥、藩閥、學閥等の名稱は今なほ存し、從來に比較すれば多少稀薄となつたとはいへ、各方面に顯然たる勢力を揮ひつつあるのである。藤原の一門が道長を中にして『望月の缺けたることなし』と豪語し、平家の一族が清盛を戴いて『平氏に非ざれば人に非ず』と放言したことを思へば、往時の門閥的勢力が如何に強大であつたか察知するに難くあるまい。かうした血縁關係に基づく閥的結合は、徳川時代まで連綿として續いた。明治の年代に入るや、血縁關係はやがて地縁關係に基づく閥的結合に變り、長閥とか薩閥とか、いはゆる藩閥が猛威を揮ふに至つたのである。一方それと同時に、出身學校の縁故に依る結合も促がされ、赤門閥、三田閥、早稻田閥、一ツ橋閥、藏前閥といふやうに、甚だ多くの學閥が官界、政界、藝術界、實業界等、あらゆる方面に抗爭を續けつつある。その他、あらゆる縁故を辿る小閥は枚擧に遑なく、前述の如き二十軒足らずの寒村に於いてすらこれを見るとすれば、行住坐臥いづれも閥的關係ならざるはなしと言ひ得よう。組合や政黨の如き集團も、素より一個の閥的關係に於いて結合するところのもの、唯だそれが學閥や藩閥の如く、單純素朴な形態を取らぬといふに過ぎない。

利益追求(5)の途上に於いて、人間は單一獨個では無力なるが故に斯く相互依頼の心理を助長する。つまり斯くすることのみが、彼れを有力ならしめる唯一の方法だからである。右の依頼心は當然、量的條件と質的條件との兩面に集中せられる。前者は外部の共鳴者をヨリ多く掻き集める努力に向けられ、後者は内部の結合をヨリ強く結び着ける努力に向けられる。然るに、掻き集めも結びつけも、これを出來るだけ效果的ならしめるためには、表示する看板の吸引力と重壓力とが絶對に必要である。而もその看板が、抽象的であると具象的であるとは問ふところでない。が、唯だ看板としての威力に於いて、具象的なものは抽象的なものより遙かにヨリ有力である關係上、よし最初は主義的看板に依つて導かれた結合であつても、次第に人物的看板を掲揚する必要が内外とも促がされて來るのである。そこで好むと好まざるとに拘らず、一團の中心となるべき人物を見出だし、寄つて募つて看板的に偉大ならしめるやう、實際以上に彼れの人物を吹聽するといふ結果にも立ち到る。ウソから出たマコトの譬へに洩れず、最初は人おどかしの看板のつもりだつたのが、本當に人がおどろいたのを見て逆輸入的に自分までおどろき、いつの間にか最初の敵本主義を忘失する場合もなしとせぬが、無意識なりに親分を偉大ならしめて置いて自分の偉大も一擧兩得し、看板の陰にかくれて商賣を忘れぬところは、さすがに三ツ兒の魂だつたと感心させられる實例が多い。

看板を擔ぐ動機は、斯くの如くに卑俗でもあり低劣でもある。然し擔がれる人物は、さればといつて必らずしも卑俗低劣であるとは限らない。如何に信心からでも、まさか鰯の頭や鮭の骨とは違つてゐよう。擔がれるには擔がれるだけの看板的素質もあつたのである。唯だ一旦、これを看板として擔ぎ上げる段になり、實際以上に誇張するため周圍の人間より圖ぬけて偉大らしく吹聽され、現物の名殘りを留めないほど修飾されるといふに過ぎない。勿論、擔ぐ方の側からいへば、さうなつて呉れて初めて思ふ壺であるが、空間的に時間的に距離が遠くなればなるほど傳説化の程度が著しく、ますます現實の人物とは似ても似つかぬ架空の人物が出來あがつてしまふ。

冒頭に引例したワシントンについていへば、たとひ彼れが指摘された如き無頼漢であつたにしても、獨立運動の一枚看板に擔ぎ上げられるには、確かにそれだけの人物的長所があつたに違ひない。ヒユーズ自身も『驚ろくべきほど信義に篤かつた』ことを認めてゐるさうだが、この一事が他の色魔的、博徒的、山師的な弱所を補つて餘りあつたればこそ、周圍の取り卷きから看板的偉大を吹聽される光榮に有りつけたのである。而も一犬の嘘は萬犬の嘘に役立つを以つて、背徳ワシントンはいつの間にか高徳ワシントンに傳説化され、有りの儘の眞實を喝破した(らうと思ふ)ヒユーズが、却つて四面楚歌の憂き目を見るといふ皮肉な現象をさへ生ぜしめた。恐るべきは英雄に對する崇拜心理に非ず、實は直接間接にこれを導いた風俗(6)の看板心理である。

豐臣秀吉も西郷隆盛も、ナポレオンもビスマルクも、レーニンもムツソリーニも、その他あらゆる數百千の偉人傑士と雖も、恐らく『來て見れば左程でもなき富士の山』であらう。藩閥の巨魁伊藤博文や黨閥の親玉原敬やは素より、遙か降つては主義閥の元兇大杉榮にしたところで、彼等は生前から周圍の凡俗的閥群の功利目的のために看板的效果を發揚してゐた。而も彼等の光彩陸離たる劇的最後は、看板的效果を彌やが上にも助勢した傾きがあり、今や次第に傳説化の程度が年と共に濃厚とならしめつつあるかに見られる。何十年の後、何百年の後、彼等が明治大正の『英雄』に祭り上げられぬとは誰れが保證し得よう。その場合、彼等の人と爲りは遺憾なきまで傳説化され、彼等と偶然に出生を同じうして彼等を見聞した我等の印象とは、似ても似つかぬ偶像的資格を附與されてゐるに違ひない。若しヒユーズの如き白眼者が現はれ、彼れがワシントンに下したと同樣の偶像破壞を企てたとしたら、恐らくヒユーズが現に受けつつあると同樣の非難漫罵を蒙むらなければならないであらう。何ぞ知らん、彼等の人と爲りは事實に於いて山師的であり、博徒的であり、或は色魔的でさへあつたのである。

思ふに『英雄』に對する謂はれなき現代的反感は、それが超人的な或る種の力を所有し、その力を強用して無理無態に當代の民衆を支配したと見る誤解に出でてゐる。隨つて、英雄と民衆とは全く相容れざる二つの利害を代表する存在であつたかの如き誤解も生じ、江戸の敵を長崎で打つ心意氣に於いて、あらゆる反感と呪咀とを挑發するに傾いたのである。ところが、さうした平民的彼等であるに拘らず、實際に處世する態度は黨同閥異の限りを盡くし、それぞれの利害關係や縁故關係やで閥をつくり、中心となるべき看板的人物を擔いで意識的に彼れの偉大を助勢してゐる。デモクラシーだの社會主義だの、凡そ偉人傑士の輕蔑をもつて身上とすべき筈の一派に於いて、特にその傾向が著しいことが認められる。それもそのはず、閥をつくり看板を擔ぐのは、これに依つて商賣に有りつかうといふ凡人道の逆面的な現はれであるから、ヨリ多數の凡人的集團たる彼等が、平素の口吻に似もやらぬ英雄崇拜の馬脚を露はすべきが當然である。むべなる哉、デモクラシーの本場を以つて許す米國民のワシントンに對する偶像崇拜や、共産主義の大本山たる露國民のレーニンに對する偶像崇拜や、である。日本國民などは、古來尚武の氣風を以つて名高く、自他ともに英雄主義のチヤムピオンとして許してゐるのであるが、米國民に於けるワシントンや露國民に於けるレーニンの如く、しかし偉大なる國民的偶像を崇拜し得ざりしことを悲しむ。

英雄主義と平民主義とは、斯くして楯の兩面に過ぎなかつた。謂はば凡人道の表裏である。隨つて、現代は民衆時代であつて英雄時代でないといふ議論は、それ自體が淺薄きわまる解釋でなければならない。民衆の時代になればなるほど、英雄は民衆に取つて『必要』の程度を増し加へる。武斷的であるか平和的であるか、專制的であるか民主的であるか、母性的であるか娼婦的であるか、凡そかうした英雄を英雄たらしめるところの條件は、當該時代に彼れを擔ぐ民衆の『必要』に依つて決定されるのである。その意味に於いては、時代が英雄をつくるといふ命題も正しい。それだけに尚ほ、英雄の歴史が民衆の歴史であらねばならぬ理由も見出だされるのである。


底本:『改造』第十卷第二號(昭和三年二月)
『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂,昭和五年)再録。

注記:

※伏せ字(、、、)は×××に換えた。
※ルビは省略した。
(1)穴を堀る:ママ。『英雄崇拝と看板心理』も同じ。
(2)政黨の主義政策:底本は「政黨主義政策」に作る。『英雄崇拝と看板心理』によって改めた。
(3)至るまで:底本は「至るま」に作る。『英雄崇拝と看板心理』によって「で」の字を補う。
(4)自利追求:『英雄崇拝と看板心理』は「名利追求」に作る。
(5)利益追求:『英雄崇拝と看板心理』は「自利追求」に作る。
(6)風俗:『英雄崇拝と看板心理』は「凡俗」に作る。

改訂履歴:

公開:2006/7/2
最終更新日:2010/09/12

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