新自由主義の『必要』

高畠素之

改造社からの注文によると、上田貞次郎氏が新自由主義なるものを提唱してゐられるさうだ。不注意にも筆者は、今までそれを知らずにゐたのであるが、これを機會に新自由主義の如何なるものであるかを讀んでおくのも無益であるまいと心得、創刊號以來の『企業と社會』(上田氏の雜誌)を取り寄せて通讀して見た。

しかし、讀後筆者は無益な時間を空費したことを悔いた。正直なところ、上田氏の述べてゐられることには、主義と言ひ得るほどの首尾一貫したものが見出せない。口癖のやうに『新自由主義の立場からすれば』といふ言葉を用ひてゐられるが、新自由主義とは如何なるものであるか、何處にその理論的根據があるのか、改めて御説明願ひたいやうな次第である。『新自由主義の必要』を始め、『社會主義と自由主義』、『新自由主義と農村問題』等の諸論文にあらはれてゐるものは、要するに氏の所謂舊自由主義、即ちマンチエスター派自由主義の苦悶と焦燥に過ぎないのだ。それは決して、『新自由主義の提唱』と言ひ得るほどのものでない。

從つて彼れこれ批評するのも大人氣ない話であるが、折角批評を頼まれたことだから、強いて問題にして見る。

上田氏の諸論文の中、新自由主義の根本原理を主張したものと看做せば看做し得るものは、『企業と社會』創刊號の『新自由主義の必要』であらう。自餘の諸論文はつまり新自由主義の實際的應用である。ところで、『新自由主義の必要』から、最も原理的な字句を拾ひ上げて見ると、大體次ぎのやうなことになる。

新自由主義は、政治的方法として、議會を中心に置くべきこと』を主張し、『此デモクラシーの政治機關の運用を進歩せしむると共に、他方には政治の方針を確立し』、『保守主義及社會主義と竝立して自由主義の立場を固め』んとするものださうである。そして、經濟的には『自由競爭の自然的調節力に依頼せんとする』ものだから、『産業振興の方法として自由貿易主義の復活を要望し』、『企業の國有公有に反對し、企業間の自由競爭を重んずる』こと勿論である。

これだけでは、しかし、舊自由主義と何の變りもない。前半は尾崎行雄氏あたりから、後半は武藤山治氏あたりから、常々聞かされてゐるところだ。然るに殊更ら『新』と銘打つのは何故かといふに、次のやうな相違點があるからだと上田氏は言ひたいらしい。即ち、『新自由主義は舊自由主義の如く單純なる個人の自由、即ち個人が他の個人又は政府の干渉を免かれるといふことだけを理想としてはならぬ。それは我國民の一人一人をして其天分を充分に發育し得しむるの自由でなければならぬ』點だ。換言すれば、『個人の自由自律に立脚したる健全なる自治』を目標とする點に、『新』と稱し得る特異な立場があるつもりらしいのである。

しかし、上田氏が他の部分で『市營事業と其職員』を論じ、市電の利益を生み出すためには、『從業員たる各自が協力して無駄な費用を省くことを要する。電氣局全體の空氣が勤儉勵行を尊ぶやうにならなければならぬ。一人一人の責任感が強くなければならぬ』と説いてゐられるところから察するに、この『個人の自主自律に立脚したる健全なる自治』も、從來、大工業の經營者たる武藤山治氏式自由主義者が、口を酸くして力説してゐたところと異なるとは考へられない。

要するに氏は、『我國の現状にては曾て國民經濟の隆興を促すために取られたる資本主義扶植策が、其目的を達したる後において尚ほその餘弊を殘してゐるから、先づ之を一掃して資本主義そのものを自主的ならしめなければならぬ』ことを、『經濟生活安定にすることが必要であるとするならば、國家の干渉は決して不可でない』が『國家が若し補助するならば、其自立の力を養ふように補助すべきである』ことを主張してゐられるだけの話なのだ。

氏はかゝる『新』自由主義の立場から、社會主義を論じ、農村問題を論じてゐられる。しかし、『社會主義の歴史を遡つて見れば種々の流派があるけれども、皆財産の共同と産業の民主的經營を主張せざるものはない。』が、現在における『國營及市營事業の生産能率の擧らざること』を見れば、産業の公有も一場の迷夢に過ぎぬといふやうな主張は、とうの昔に討論終結となつてゐた筈だ。

また氏が農業保護關税や地租輕減に反對してゐられるのも、成程無理のない次第だと首肯される。何故といふに氏は、新自由主義の看板によつて、舊自由主義の強調、その有力な支持者である加工的工業資本家の代辯に努力してゐられるのだから。實際、氏の所説は新自由主義の提唱と見ればこそ辻褄が合はないが、舊自由主義の強調と考へれば、それなりに理路整然たるものがある。

上田氏はいふ。日本においては『外國の原料を用ひ、内國の技術と勞力を用ひて加工したものを、更に外國の販路に輸出して利益を得るといふことを立國の大方針としなければならない。然らば此貿易上の發展について何が必要かといへば、軍隊の後援にあらずして輸出商品そのものの品質よくして價格低廉なることである』と。

そこで『我國が自ら自由貿易主義によつて互惠的態度を取』り、輸出上の束縛を脱すると共に、輸入を自由ならしめて輸出工業の生産費を低下せしむる必要が生ずるのだ。國産奬勵、輸入防遏の思想は絶對に放棄すべきものでなければならぬ。それは『保護されたる物が輸出工業の原料であれば直接に生産費を増加すべく、又之れが原料以外のものであつても一般物價を騰貴せしめて間接にその生産費を増加』し、『その結果輸出工業の發達を阻害』するからである。

かういふ輸出工業の立場から見れば、『食糧品の價格を高くすること』が、『斷然否定しなければならない』のは勿論である。上田氏によれば『今の日本の國勢が十九世紀初頭の英國の如く、主として輸出工業の發展に依頼しなければならないことは明かで』あり、そのためには食糧及び原料品の輸入を自由にしなければならぬのだ。『我農政學者、農業代議士、農會代表者等の立論は、動もすれば農村の維持と農産物の自給を國民生活の根本的必要條件となし、如何なる犠牲を拂つても此條件を充さねばならぬとする。其結果が農業保護を目的とする關税政策其他の偏狹なる主張』となり、徒らに國力の發展を損ひ、『都市人の所得の一部を割いて農民の所得の貧弱なるを補ふ』に過ぎぬこととなる。だから、農業に對しても商工業と同じく、出來るだけ保護干渉を避けて、自由競爭の自然的調節力に委すべきだといふのである。

今日において農民の所得が、如何に都市工業者のために搾取されつゝあるか、即ち米價が如何に商工業者の壓迫するところとなつてゐるかといふ問題は兎に角、如上の主張によつて上田氏が徹頭徹尾代表的輸出工業たる紡績業其他加工的工業の利害に立脚してゐられることが判る。上田氏の代辯される種類の工業資本家群にとつて、『現今の時勢は決して國家の武力的發展によつて領土擴張又は勢力範圍の擴張を行ふべき時勢ではない』のだ。『對露交渉の如き場合に止むを得ず』國家の勢力を利用するのは認めなければならないけれども、『此の如き手段を政策の中心に置くことは終局において甚だ不利なるもの』となるのである。

そこで上田氏は、自由貿易主義を強調し加工的産業の伸張を計らうとされるのだ。考へて見ると、かういふ主張は、從來兎角その活動を阻止されてゐた自由主義の苦悶と、自由主義の支持者たる一部の資本家群の焦燥とをあらはしたものに外ならない。實際氏の言はれる通り『我國では政府の先導の下に産業革命がなされた。そこで明治年間に富をなした所の大實業家は殆んど皆官邊に縁故を結んだ所の「政商」であつて、又當時の大會社と稱するものは殆ど悉く政府の保護會社であつた』。明治の中頃に多くの學者が自由主義を唱へたけれども、『當時我國の産業状態は未だ之を容るゝことが出來なかつた。經濟政策としての自由主義は學者の議論たるに止つて、實業界の何れにおいても之を實際に受入るゝものはなかつた』のである。そして、ドイツから新たに輸入された國家主義が、却つて勢力を得ることになつたといふのである。

しかしこれは、日本の資本主義にとつて避くべからざる經路だつた。英國のやうな資本主義的先進國から自國の産業を保護するためには、ドイツや米國でさへ國家の保護干渉に俟たねばならなかつたのである。日本における産業の資本主義化は更らに遲れてゐたのだから、資本主義扶植時代は勿論のこと、その後に至つても英國流の自由主義よりもドイツ流の保護主義を採らねばならなかつたのは止むを得ないことだ。

そこで自由主義も、觀念的享樂としてこそ流行し得たものの、經濟的には著しい勢力をなすことが出來なかつた。自由主義の苦悶と焦燥とは、即ちそこに生ずるわけである。上田氏は『大正十五年の今日において、眞に重商主義の餘弊を一掃すべき學説を要求する時代に入つた』と言はれるが、今日における日本の經濟界は決して十九世紀初頭における英國のそれと同一の状態に置かれてゐるわけでない。今日では各國ともに國家主義的時代に入つてゐるのだから、日本だけが自由貿易主義で太刀打ちの出來る筈がない。日本の産業は加工的工業だけから成り立つてゐるわけではないのである。今日における國際的の經濟鬪爭は、悉く『國家の武力的發展』を背景としてゐるのだ。

自由主義は主として加工的資本家に支持されるものであり、その強調は資本家階級内部における彼等の分け前をより多からしめようとする努力に過ぎぬ。今日における代表的産業が加工的のそれでなく、採鑛その他の原料生産部門だとすれば、自由主義の強調は一の時代錯誤だといはれても仕方がない。


底本:『改造』第八卷第十一號(大正十五年十月。「新自由主義批判」の中の一篇)

注記:

※上田論文の不鮮明箇所(括弧、助詞)は高畠の引用に従った。

改訂履歴:

公開:2006/2/19
最終更新日:2010/09/12

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