右翼こき下ろしの記

高畠素之

私は次男坊につれられて、たいてい毎週一度づつチャンチャンバラバラの活動をのぞくことにしてゐる。映畫も西洋のものは早くから好きで、この方は親爺それ自身の道樂として主もなる封切は大抵缺かさずのぞいてゐるから、なかなか以つて驅け出しのフアンぐらゐには負けないつもりだが、チャンチャンバラバラと來ては餘り有難くなかつた。しかし、これも住めば都で、觀ることを習慣にしてゐると、觀なければ矢ツ張り淋しい。觀てゐるうちに、だんだん役者の贔負もでき、それぞれの巧拙や持ち味も解かつて來て、次第に深か入りさせられるやうになる。いまの阪妻がマキノで賣出しの時分、高木新平や月形龍之介と同類同型の人氣役者として、人氣はあつてもその焦點が精々トンカツ屋の女中か芋屋の小僧程度を出でなかつた頃からして、この男のもつ特異な技能と持ち味には竊かに將來を期待してゐた譯であるが、案のぢやう彼れはいま映畫時代劇の比較的善い意味での親玉となつた。先頃、菊池寛君であつたか阪妻を賞めてゐたといふ噂をきいたが、阪妻を賞めたのでは恐らく僕の方が二年ばかり先きであつたかも知れない。

が、そんな事はどうでも好い。茲では映畫役者の品定めをするのが目的でない。次男坊から話が始まるのだ。この次男坊につれられて、毎度立ち廻り映畫を見物させられる譯だが、それについて五月蠅さい事が一つある。昔、堺利彦翁の賣文社の何見とかいふメリケンの社會主義者と稱する男が來て、それを帝劇物に案内させられたことを覺えてゐる。向ふは日本語が出來ないから、出てくる人物について一々何とか英語らしい言葉で説明してやらねばならない。初めのうちは、これも修業と思つて精々念入りに説明してゐたが、それを善いことにして一々のセリフの通譯まで強要し、しまひには舞臺に隱顯する黒ン坊を指してあれは仇の方か忠義の方かなどと言ひ出したので、ぐつと癪に障り、どうにも勝手にしやがれと捨てセリフを殘して逃げだして來たことが、いまでも笑草になつてゐる。

活動小屋で次男坊を對手にしてゐると、ちやうどこれと同じやうな苦しみがある。出てくる人物について、一々執拗に『善い人』か『惡い人』かを問ひ質されることだ。善い人、惡い人が、なぜ子供にとつてそんなに興味ある問題なのか、その點は餘り調べたことがないが、芝居を見ても、映畫を見ても、我々の小供の關心は殆んど全く、この一點に吸収し盡されてゐるやうに見える。大人から見ると、まことにたわいもない馬鹿々々しい心理だと笑ふかも知れないが、大人の心理にも實はそれと五十歩百歩の素朴單純さがあることを言ひたいがために、この話を持ち出した譯なのだ。

明治四十年頃、幸徳秋水がアメリカから歸つて、直接行動論といふものを唱へ出したのが縁で、社會主義者の論陣が兩者に分れた。一を硬派と稱し、他を軟派と稱して互ひに鎬を削り合ひ、硬軟それぞれの一語が、直ちに善惡そのものの符徴ででもあるかの如くに、この言葉が社會主義者だけの天下に流行した。かうなると物好きな奴もあるもので、さながら戸籍巡査のやうに一々同志を戸別訪問して、おまへは硬派か軟派かと詰問して歩くといふ代物も出て來た。文明が進歩して、汽車や自動車は愚か、飛行機やラヂオでさへ、モウそろそろ廢れ氣味だといふのに、人間の心理は依然として善玉惡玉の範疇に縛ばられてゐる。殊に何かの原因で爭ひが起つて、その勢ひが白熱化すると、一切が無内容な善玉惡玉のモツトーで支配される。

この頃社會主義運動屋仲間に大流行の左傾右傾又は右翼左翼といふ言葉も、畢竟するところ、我が次男坊の『善い人』『惡い人』が、幸徳秋水期の硬派軟派を經由して大正化された善玉惡玉の實質を一歩も出て居らぬやうだ。謂はゆる左傾派に言はせると左傾に一廉の理窟があり、右傾派に言はせると右傾のみが眞實の眞理で、左傾派は皆スリかゴマの蠅ででもあるかのやうなことをいふが、さういふ理窟そのものの實體が、どう考へて見たつて洗濯石鹸の泡以上に値打があるものとは思はれない。

尤も左傾右傾といふ言葉には、歴史的の謂はれがあるさうで、試みに高畠素之君著『社會問題辭典』といふ本を開いて見ると、この言葉はもと、ドイツの國會で保守黨は議場の右翼に席をとり、急進黨は左翼に席をとつたことから由來したとある。つまり左傾とは急進に傾くといふこと、右傾とは保守に傾くといふことになる譯だが、どだい保守とか急進とかいふことをさう簡單に片附けてしまふといふことが、認識不足の善玉惡玉的頭腦にだけ許された特權ではないか。この筆法から行くと、筆者の如き保守的急進主義とでもいひたい思想の持主は、右傾的左傾派とでもいはないと納まりが附かなくなる。

謂はゆる左傾派の連中は、少くとも口吻と感情の上では現在の社會制度を否認し、國家をも否認するのであるから、その理論的根底の可否の詮議は暫く措き、その立場の單純と鮮明さとに於ては、たしかに如上の定義に照して左傾派と稱するに相應はしいものといひ得るかも知れない。筆者の如きは、現在の社會制度を否定する意氣込みと理論とに於いては、これらの左傾派にも敢て負けないつもりだが、國家の本質に叩頭する理論的武装に於いては、神武以來のコチコチな國粹保守主義と目すべきであるから、これは便宜上、右傾的左傾といつて言へない事もなからう。斷はつて置くが、右傾的左傾といふのは、右傾でもなく左傾でもないといふのではない。理論上謂はゆる右傾たるべき方面は極度な右傾であり、理論上謂はゆる左傾たるべき方面は極度な左傾であつて、その間に一貫した論陣を張るのであるから、これはこれなりに獨自の積極的立場だ。洞ケ嶽ではない。

翻つて右傾派と稱する一隊を見るに、これは又ちよつと處分に困まる代物だ。この派と來ては、青年團の蠅取デーと同じく、ただ右翼だ右翼だと騷ぐだけで、何が右翼なのか薩張りわからず、善玉惡玉の小兒病的傾向を最も端的に表現してゐる。卑俗低級な罵詈讒謗と、ヒステリー的自己辯護とを除いて、一體何が殘るのかと疑はせる位ゐだ。

右翼なら右翼で宜しいから、なぜその理論を堂々と眞向に振りかざさないのだ。理論がないのか。それとも實際運動に理論など要らぬ、波のまにまに大勢順應主義で誤魔化して行かうといふのか。理論的根底に立たない社會運動や政治運動なら、既成政黨だけで十分ぢやないか。普選實施を眼前にした大正十何年の日本社會主義運動界に、いま更ら既成政黨の糟粕のやうなものを擔ぎ込んで、どうしようといふのだ。

由來、日本の社會主義者の理論及び感情の共通的基調となつてゐたものは、無政府主義的傾向である。それが、いろいろの必要や流行に迫まられて、或る者はサンヂカリズムから共産主義に鞍替し、或る者は又共産主義から、更らに現今流行の右翼派と稱する方畫に商賣替して來たやうな始末で、それを我々は決して惡いことだとは思はないが、變説改宗したのならしたと、男らしくはつきり言つて貰はないと鬱陶しくて仕方がない。これは現今の左右兩翼に區別のない通有性だが、猫も杓子も變説改宗をまるで惡事のやうに心得てゐる。それだから、盗人の夜來たるが如き態度を採る。電車がこみ合つて座席のないとき、立つでもなく座るでもないやうな腰附きでもぢもぢしながら、いつの間にか座敷に割り込んでしまふ奴があるが、日本の主義者の變説改論にも、ちやうどさう言つたさもしさがある。何か疼しい良心で改變改論してゐるとしかは(1)、解釋のしやうもない譯だ。

今の國家はブルヂオア國家だといつて、心の底から現在の國家本質を否定してゐる連中が寄り合つて、先きに勞働農民黨といふものをでつち上げた。その宣言と稱するものを見るに、大體は紋切型の社會主義的口吻を當り障りのない文言で表白したものに過ぎないが、終りの方へ持つて行つてちつと許り我が國情に降參するとか、三千年の歴史に叩頭するとかいつた文句を竝べ立てゝゐる。今の國家がブルヂオア國家であり、歴史的の凡ゆる國家が階級搾取の國家であり、而してブルヂオアや階級搾取はプロレタリアの敵であるといふ、社會主義者は(2)お定まりの口吻を以つてすれば、義理にも我が國情に叩頭したり、三千年の歴史と握手したりすることは許されない譯だが、從來の考へ方が間違つてゐたことに氣がついたから、この際思ひ切つてさういふ右傾化を斷行したといふなら、それも決して惡いことだと思はない。

が、さういふことは、苟くも主義主張を以つて立つ程の人間にとつては致命的に重大な事件だ。非國民的立場から國民的立場に改過遷善することは、惡魔が天使に鞍替したも同然である。何故、その改過遷善の次第を堂々と天下に向つて宣明しないのだ。勞働黨の宣言を以つてその懺悔状に役立たせるといふなら、それでもよいから何故その懺悔の趣意をもつと明瞭に高調しないのだ。終りの方へ持つて、申分け半分にちつとばかり降參の合圖を與へただけでお茶を濁さうといふ料簡は、曩に述べたやうな中腰になつて滿員電車の座席に割り込まふといふ態度と同じく、あき巣ねらひのさもしい性根を曝露したものだ。

これでは、まだまだ、本心からの叩頭とは受け取れない。たゞ、中腰になつてゐるといふに過ぎない。中腰をエサとし、玉よけとして、官憲と世間の目を眩ましつつ實行運動の座席に割り込まふといふ考へだ。理論の本質から割り出した變説改論ではなく、政策上の單なる功利主義に過ぎない。さういふ手くだを見破れないで、こんなふざけた政黨の存在を許して置く官憲も官憲で、よくよくの朴念仁といふほかはない。そんな料簡だから、國體に降參し三千年の歴史に叩頭した筈の右傾勞農黨が何時の間にか共産分子に占領されてゐるといふ痛快な結論を展開して來ることになるのだ。かうなると、前の第一次無産黨たる農民勞働黨には共産分子がゐたから解散したのだといふ、官憲の間抜けさ加減をますます笑つてやりたくなる。

が、官憲の間抜けさ加減は、もともとそれが商賣だから致し方もないが、勞農黨に引つ込まれて右傾の看板だけ利用され、揚句の果ては放り出されるやうに脱黨した總同盟以下何々會某々組合の鬪士諸君に至つては、一體どのツラ下げて天下にまみえようといふのだ。

第一次無産黨は、總同盟がぬけたから解散された。第二次無産黨たる勞農黨は、總同盟が加盟したから解散されなかつたのだといふと、總同盟はまるで官憲の三太夫みたいなもので、全く以つて偉いものになつてしまふ譯であるが、それならそれで勞農黨そのものを官憲の三太夫たる位置にまで向上させる位ゐな實力と誠意と努力があつて善ささうなものぢやないか。それを共産派襲來の羽音に脅えて、こそこそに逃げ出すとは何たる不爲體だ。共産派が襲來して、共産派がそんなに不都合なものなら、自分が逃げ出す前に先づ敵を撃退することに憂心をやつしたらどんなものか。敵が既に黨内に食ひ込んでしまつたといふなら、進んでそれを放り出す工夫をすれば好いぢやないか。工夫はしたが、放り出せなかつたといふなら、それは自分が無力無能な證據だから、默つて神妙に引き退がれば好い。脅えて逃げ出したくせに、偉らさうなことをいふから、ちよつとからかつて見たくなるのだ。

かういふ場合の實力といふものは、單に頭數だけの問題ではない。大義名分の問題だ。たとひ頭數は少なくても、その言ふところに理義が立ち、至誠がこもつてゐるならば、必らず大方の同情と共鳴を博し得る。勞農黨を曲りなりにも右傾させて、コソ泥的にもせよ兎にかく國情と歴史に準據した愛國的立場に讓歩させるまでにした點は、恐らく黨内右翼分子の努力の結果と思はれる。そこで、彼等は飽くまでこの立場に膠着し、この立場を力説して、共産派一味の侵入を撃退すればよかつたのだ。それには、ただ小兒病的に右傾だ左傾だと怒鳴つてゐるだけでは駄目である。何故、共産派の加盟を許すべきでないかの理論的根據を宣揚することが必要だ。何故、共産派が非國民賣國奴であり、何故、反共産派が愛國主義國民主義に改過遷善したかの論據を洗練し高稱して、堂々と對立した戰陣を張ることが必要だ。

ところが、彼等はさういふ態度に出られない。出るほどの論據も何もありはしないのだ。ただ、ふとした利害衝突、勢力爭ひから、共産派との對立となり、その結果專ら官憲に對する玉よけとして右傾の看板を掲げるやうになつたといふだけのものに過ぎない。若しさうでないといふなら、何故論理を以つて改過遷善の筋道を立てないのだ。何故、コソ泥的の中腰だけで誤魔化さうとするのだ。

彼等にだつて、理論的關心が全然缺けてゐるといふ譯ではない。その證據には、時々理論めいたモツトーを持ち出す。初めに、『科學的日本主義』といふやうな鎌首を出しさうにした。さういふ名稱に相應はしい理論的内容が果して成立し得るかどうかは私の知らないところだが、これでも結構の筈であつた。この名稱に從つて、理論の構造をでつち上げ、それを旗印にして反對派と論陣を張るといふなら、それはそれなりに見上げたものだと言ひたい氣になつたであらう。ところが、さういふ鎌首を出しさうにしたから、ちよつと小突き廻はさうとしたら、その儘おとなしく引ツ込めてしまつた。彼岸前の青だいしよだつて、いま少しはたよりになる。

扨てその次ぎに浮び出たのは、『現實主義』といふ幽靈だ。現實主義、結構である。みづから現實主義を以つて任じようといふからには、敵は定めし空想主義を旗印にしてゐることであらう。それならそれで結構だから、何故今日この際しかく改まつて現實主義を高調せざるべからざるに至つたかの所以を明にし、その前に先づ、謂ふところの現實主義とは一體どんなものかを説明してかかる必要があつた。しかるに一向、さういふ事をしようとしない。そして、ただ現實主義、現實主義と怒鳴るだけだ。怒鳴るだけなら、夜店の叩き屋だつて、もつと呂律が廻はる。

現實主義とは官憲の三太夫を勤めたり、玉よけの工夫をこらしたりする事だけをいふのでもあるまい。それだけの現實主義なら、共産派の空想主義の方が餘つぽど現實的だ。共産派の理窟と作戰の方に現實味がヨリ多いからこそ、いつも此方は押されたり、乘つとられたりしてゐるのではないか。結果はお臺目を裏切つて、右翼理論の虎の子のやうな現實主義も、斯うしていつの間にか影が薄れて行つた。

そこで、今度は何を出すか。引つ込める度び毎に、幽靈の理論的輪郭が薄くなるのは悲慘の極だ。最初の科學的日本主義といふ奴なら、滑稽は滑稽でも角張つてゐるだけまだ取り柄があつたが、それが現實主義となり、續いて『小兒病』となり、最後に『國法の範圍内』『社會進化の過程』と來ては、もはや何とも申上げようがない。一體、どこの何國の政黨に、國法の範圍外を標榜したり、社會進化の過程を無視したりして政黨を造らうとする間抜けがあるか。『それはさうだろう。けれども、我々は從來國法非認主義でやつて來たのだ。それを今度改めて公人にならうといふ譯だから、國法遵守の一點を強調することに意味がないとはいへまい』――と、こんなことを言つて、嘲弄の網の目を潛らうとした右翼主義者がある。が、それは此方で言ふことだ。さういふ次第なればこそ、尚更ら先づ第一點に、何故國情と國法に降服せざるべからざるに至つたかの論據を展開する必要があるといふのだ。しかるに、一番大事なその方の理論は中腰でお茶を濁して置きながら、やれ國法に從ふの、直接行動を排斥するの、やれ温着の、忠實の、と徒らに妥協的な弱音を吐く以外に知惠がないのは、これこそあさましい素町人根性といふもので、現實主義でも何でもない。

要するに、日本の右翼主義者といふ一派には、理論的の武装や根據が微塵もなく、有るものはただ現状への妥協降服的本能と、利害打算のブルヂオア的手管だけだといふことになる。ほかに、さも一廉の學説ででもあるらしく自由主義的に口吻を弄する傾向も見えるが、この口吻の濫費が、國家國體への降服と如何ばかり頓珍漢してゐるかといふ根本の考察などは、一向にお構ひなしである。

そこへ行くと、左翼共産派と稱する一派には、單純ながらも型の如き一個の理論がある。この理論は、全部外國からの受賣りである。受け賣りといふと、少なくとも『受け』てから賣ることを意味するが、その『受ける』餘裕すらない位ゐの切迫した輸入直賣品である。けれども、もともと相應にたしかな材料を種にして、マルクスやレーニン以下多數の老練な製造元に依つて叩き上げられた品物だけに、この方はどことなく確かりしたところがある。だから、その儘の輸入品ではあつても、單純な頭の持主には信仰や熱意を起させ得る力もあるし、運動統合上の千なり瓢箪たるに相應しい原動力ともなり得るのだ。謂ゆる左翼革命主義の連中は、斯ういふ輸入品を唯一無二の御神輿として擔ぎ上げ、それに隨喜渇仰の涙を滾してゐる。

筆者の如きも、この輸入直賣の御神輿に對しては、或る程度の興味を有ち、共鳴も感じてゐる。若しこれを純粹の學説として、それだけを評價するといふ段になれば、謂はゆる右翼派の言ひ分や口吻を理論化したとして考へた場合の學説よりも、筆者は左翼派の學説の方にヨリ多く傾倒するであらうことを斷言し得る。

しからば、それほど傾倒し得るところのある左翼理論――共産主義なるものを、筆者は何故それに加擔しないのみか、寧ろ仇敵視してかかることを持論としてゐるのか。それには理由がある。第一に、今の世界は國家對立の時代だといふこと、而して世界の強國はみな(日本も勿論)帝國主義を國是としてゐるといふこと、第二に、共産主義の本場たる勞農ロシヤの如きも、世界に於ける最も露骨旺盛なる帝國主義國家の一つであるといふこと、第三に、今日の共産主義なるものはロシヤ帝國主義の侵略的武器の重大なる一要素となつてゐるといふこと、先づ大體これだけの理由である。

今の世の中では、如何に立派な學説と雖も、それを或る一國が自國の特殊教條として宣揚してゐる限り、これをさういふ關係から引き離し、單なる學説として贊否を決定する譯には行かない。一國内の問題ならば兎もかく、苟くも國對國の問題になるとすべてを自國本位の立場から考量し評價するやうになることが當然である。

勞農ロシヤといふ背景から引き離した共産主義理論には、たとひ幾多の長所があり、大いに採るべきものがあるとしても、勞農ロシヤが巨大なる帝國主義の國家である以上、この背景から獨立した共産主義の評價は、その現實的贊否の問題とは沒交渉たるべきである。そしてロシヤが帝制以來の一大帝國主義國家であるといふ事實を疑ふやうな態度を採る者は、恐らく共産黨の手先き以外の仲間には見出されないであらう。

勞農ロシヤは、少なくとも陸軍に於いては世界に於ける最大軍備國の一つである。彼れは今、常備歩騎兵四十八個師團、民兵二十七個師團を擁し、現役兵六十萬、軍費三億八千萬圓といふ尨大なる軍備力を左右してゐる。この尨大なる軍備を右手に掲げ、共産主義のコーランを左手に振りかざして、世界征服の壯圖を行はうといふのが、彼れの本能的野心である。革命の當初、民族自決とか何とか體裁の好いお臺目を振り廻したが、それが全然ヨタであり世界を欺く瞞着手段に過ぎなかつたことは、帝制以來の尨大なる侵略領土シベリアを手放さうともしなかつた一事に徴しても明かである。手放すどころか、これを足場として今やますます滿蒙方面に侵入の手を伸ばさうとしてゐるのだ。

共産主義を武器として、その宣傳にかぶれた民族を片つ端から統合し、以つて一大ロシヤ的帝國を形成しようといふのが、彼れの本來の意圖である。彼れは斯ういふ立場から、先づその政策をドイツその他の歐洲諸國に對して實行しようと努めたが、この計畫は事毎に失敗した。そこで鋒先を東洋に轉じ、東洋から逆に西洋に勢ひを及ぼして、その目的を貫徹しようといふのが、現在に於ける彼れの對外發展方針となつてゐるのだ。かの天山からゴビを横ぎり、北滿を通じて浦鹽に達する尨大な地域を自由の勢力範圍となし、將來極東にロシヤ帝國を建設しようといふ帝制以來の宿望も、今日に於いては更らにその規模を擴大して、西はペルシヤ、アフガンから、東は北滿殊に東支鐵道沿線にわたつて勢力を植ゑつけ、ホロンベールや新彊にまでも魔手を伸ばし、唐努烏梁海を併呑し、外蒙の殆んど全部を勞農聯盟に誘ひ込み、進んでは全蒙聯盟を形勢せしめて、これを自己の支配下に置かうとしてゐる。

東洋に對する勞農ロシヤのこの帝國主義的野望を、最も現實的に裏づけるものは、蒙古方面に於ける鐵道敷設の大計畫である。最近の報道に依れば、勞農政府はこの計畫の第一着歩として、先づシベリア鐵道沿線の一都市ウエルフネジンスクよりキヤクタ經由外蒙の中心クーロンに達する新鐵道の敷設計畫に着手し、すでに工事上の諸材料を送つて、着々工事を進めてゐるとのことだ。この鐵道計畫の實現に依つて、いよいよ外蒙併呑の宿望が事實となつて現はれる譯である。これを足場として、勞農政府が更らに支那中央に對する政治上及び經濟上の進出を企てるであらうことは既定の筋書といつて差支ない。

要するに、斯くの如きものが勞農帝國主義の正體である。而して共産主義なるものは、斯かる背景から浮び出で、斯かる背景の力に依つて利用せられつゝあるところの帝國主義的侵略武器の一つに過ぎない。それ故、斯ういふ状況から引き離して考へた單なる社會理論としての共産主義が、たとひ如何に完備された理論體系であるにしろ、苟くも獨立の一國民としてそれに傾倒し、それに隨從するといふことは、これ取りも直さず、事實に於いてロシヤ帝國の勢力範圍に自國を賣國する結果となる。それも斯ういふ現實の状況を十分に認識した上での話ならまだしも、日本の共産主義者と稱する手合のやうに、ただ譯もわからず中學生が女學生を贊美するやうな調子で、夢中でその尻を追ひ廻はすといふのでは、洒落にもならない。

尤もこれは、共産主義についてのみいふことではない。イタリアのフアツシズムにしたところで同じことだ。イタリアのフアツシズムはイタリア現在の帝國主義的基調原理であるから、これをその儘日本に持ち込んで宣傳するといふことは、日本の國民精神をイタリアの帝國主義に同化せしめる結果となる。若し、フアツシズムの宣傳者下位春吉氏がこの意味で日本にムツソリーニズムを發賣するといふなら、我々は彼れに對しても、ロシヤ帝國の出張員山川均氏に對すると同じ非國民的取扱を報酬することになるであらう。

要するに、レーニズムにしろ、ムツソリーニズムにしろ、善いところは善いと判斷するのも結構だし、進んでその善い部分を採用することも一向差支ないことだとは思ふが、それもこれも皆、日本國家を目安としての話だ。日本國家の發展のため充實のために有利なものであるならば、共産主義だらうが黒シヤツ主義だらうが、善いところはドンドン採つて利用すべきである。

けれどもそれは、利用であつて隨從ではない。主體は日本だ。日本が消化主體になるのだ。ドイツの毒瓦斯を日本に採用し、イギリスの軍艦を日本に採用するとしても、それは日本がドイツの家來となつたり、イギリスの手下となつたりすることを寸毫も意味すべきでないと同じだ。それは日本の武力の充實と精錬のために、日本の身體それ自身の榮養のため、發育のためにするのである。日本人として日本の國家國體以上に尊貴なるものはあるべき筈がない。日本人としては、日本を大にし、日本を強くし、日本の國民的理想を行ふことが最高の道徳である。

この立場から、ただこの立場からのみ、どんな外來思想でも、それが日本のためになると鑑定されたなら、遠慮なく朝鮮牛なみに活殺利用して行けば好い。右傾たると、左傾たるとは、問ふところでない。


底本:『改造』第九卷第一號(大正十六年一月)

注記:

(1)してゐるとしかは:ママ。
(2)社會主義者は:ママ。

改訂履歴:

公開:2006/02/19
改訂:2007/11/11
最終更新日:2010/09/12

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