藥石の效なき普選

高畠素之

今の議會的人種にあつては、進歩主義の保守主義のといつたところで、所詮は目糞と鼻糞を比較するやうなものである。苦節十年の放言と贊成起立の習癖は、偶然に進歩と保守の分別を決しはしたが、肚を割つたら五十歩も百歩もない。新藥を看板に三派が共同販賣した普選にしても、根が嫌々ながらの調合であるから、大阪仁輪加の鼻糞まるめたアンポン丹ほどにも期待されなかつた。その上、樞密院の貴族院のといふ素見客にいぢくり廻され、香氣も抜け、靈氣も失せ、さらでだに効目の點は怪しくなつて來た。

このまやかし賣藥を化學的に分析し、一々ダメを押した日には際限がない。依つて茲のところは、商標や包装紙のケチをつけるに止めて、新有權者未遂八百萬人の健康を祝することとしよう。

勿體らしい斯道の理屈に從ふと、制限選擧が權利を與へぬことを原則とするに反し、普選は與へることを原則とするさうだ。納税資格を撤廢し、神官僧侶、學生生徒、教員等にまで選被兩權を開放したことは、一見原則を裏切らなかつたやうにも見える。しかし華族の戸主を除外し、特科學校竝に志願兵出身にして國民軍に編入された者を除外するなどは、一向に聞こえぬ理屈である。

衆議院だけを國民代表機關の如く吹聽し、何かといへば華族横暴の貴院專斷のと出る癖に、肝心の華族をロツク、アウトしてどうなるか。これでは兩院を名實共に對等ならしめ、國民六千萬の利害を華族五百に匹敵させることとなる。而もその保證を具體的ならしめたのは普選法の功績であり、將來の貴族院横暴を奬勵するのものそれである。更に軍人出身者を無視したのは血税負擔者を不具廢疾者と同列ならしめるゆゑんで、これだけでも普選主義の根本を蹂躙したといへよう。

問題の喧しかつた缺格條件にしても、如何にして權利享有者を少なからしめるかの苦心である。無意味ながらも年齡制限を二十五歳以上としたなら、馬鹿やチヨンでない限り、機會を平等ならしめるのが普選主義とやらの精神らしい。それを鰻香を匂はせるだけで、權利行使者を嚴格に規定し、一定の住居に一ケ年以上とか、貧窮に依り公私の救助扶助を受けざる者とか、凡そ無意味な制限を設けて權利を享有させまいとする。

政府及び三派の揚言では、何よりも財産的差別待遇を撤廢するのが眼目だとのことだつた。冗談ぢやない、財産的差別といふのは納税差別に限られはしない。救助扶助を受ける貧窮者を除外したのは、法律を以て差別待遇を明記したことである。單にそればかりでなく、一年以上も一定の住居を構へるなどは、貧乏人に出來る相談ではない。單位的な貧乏人でなくとも、工場主や重役の風向きで失業を保證されてゐる勞働者や腰辨は、權利剥脱の可能率が甚だしく多からう。

續いては『貧困』とか『住居』とかの、字義適用範圍の曖昧なことも困る。政府側の答辯では、市町村制に關する規定に準據すると、まるで鬼の首でも取つたつもりらしいが、肝心の市町村原制がヨタだから助からぬ。殊に市町村だけの範圍なら、一選擧區内の權利參加に公平を缺かぬが、甲開票區と乙開票區で資格の有無が分れては、所に依つて法の適用を二ならしめる譯である。況して住所プラス居住の住居などと來ては、下手な手品師には使ひ分け兼ねる難曲に相違ない。

選擧方法に於いては、選擧期間短縮、開票區制、不在投票制等、少しは意味のある部分に見える。しかし二千圓の保證金制度などは、無きに越したことはない。

理由とするところは、孑孑候補の亂立を防ぐためだといふ。然るに孑孑候補とは貧乏候補とシノニムである。法定數を得票しなければ、保證金を沒収すると手先で脅しつけ、二千圓を溝に棄てても惜しくない人間だけを指定したあたり、さすがに周到な用意の程を窺はれる。

最後は選擧區の問題だ。政友會の小選擧區主義と、革新倶樂部の大選擧區主義に挾まれた憲政會が、猿智慧にも中選擧區とは考へたものだ。しかし盗人にも三分の理はある。大選擧區は同志相食の弊あり、小選擧は黨爭激成の憂あり、そこで間を取つた中選擧區といふまでは無難だが、その實、兩弊兼備を忘れたのは飛んだ猿の尻笑ひである。

普通選擧を大選擧區と竝用すべきは、尚ほニギリにワサビの關係である。死票を少なからしめるためには、大選擧區を土臺とするしかない。仰るごとき同志相食を緩和する方法なら、江木翰長手製の比例代表を採用するがいい、而もこれを採用しないのは、國民に徹底してゐないからではなく、散票を掻き集められると既成黨人の當選率が激減するからである。

これを要するに有るは無きに勝る意味で、アンポン丹なみの普選でも些かの興奮劑とはならう。しかし例の治安法を全院一致で通過させた程に、普選主義の根本とは縁の遠い目糞鼻糞連の細工である。抜裏もあり間道もあり、ドテン返しも釣天井も仕掛けてあるに違ひない。

廣い世間には、普選と聞いただけで、無産政黨組織の準備を考へる人もある。共産黨、社會黨、勞働黨、小作黨、水平黨、それもよしこれもいい。だが、それを公然の結社と認めるか認めないかは、偏へにお上の方寸に屬する。ところで、お上の方寸そのものだが、獨り合點の善意的解釋どほりに動いて呉れると思ふのはどんなもんか。差し當つては例の治安法だ。鷺を烏といひくろめ兼ねない商賣で、無産政黨組織だけを法文の適用的解釋外に置くとは思へぬ。つもりつもりの喰ひ違ひに驚ろく位なら、最初から頭上のウツバリに氣をつけるのが地道な世渡りである。


底本:『改造』第七卷第五號(大正十四年五月。「畫時代的「普選」の研究」中の「批判」の中の一つ)

改訂履歴:

公開:2006/02/19
最終更新日:2010/09/12

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