放言

高畠素之

無政府主義のエンマ・ゴールドマンが共産ロシアの惡口を書いたとかで、山川菊榮女史が頻りに憤慨して裏切り者とか何とか言つてゐるが、無政府主義者がボリシエ井ーキを攻撃するに何の矛盾もない筈である。尤も事實の敍述が菊榮女史の實地視察して來たところに照して曲解を含むと云ふやうな事は、我々遠謀者の容啄すべき筋ではないが、此攻撃文を資本家の新聞に投じて六千弗の原稿料を得たと云ふやうな事をさも鬼の首でもとつたやうに吹聽してゐるのは滑稽である。ボリシエ井ーキの攻撃文を資本家の新聞に投じて高い稿料を得るのが罪惡か、それともボリシエ井ーキの提灯を矢繼早に(而も夫婦お揃ひで)、『改造』『解放』其他色々の資本家の新聞雜誌に賣り込んで相當高價な原稿料をせしめることが善徳か位ゐは、何んぼ世間知らずなブルヂオアのお孃さんの菊榮女史にだつてチツトは分りさうなものぢやないか。こんな事は、お互ひ大目に見えるがいい。

國粹會の梅津勘兵衞氏に會つたら、こんな事を言つてゐた。『主義者などは我々の手で片づければ何でもない事だが、そんな時にはいつも警察が中に這入つて、主義者のことについては君等は絶對に手を出さんで呉れろと言ふ』と。如何さま、事なかれ主義を何よりも大事にする文明國の警察官としては言ひさうな事であるが、これで見ると、今日ともかく主義者が蟲の息をつないで行けるのは、全く警察のお蔭と云ふことになる。警察の惡口ばかりも言へまいて。

福田狂二君等の勞働協會が、社會主義者に向つて無政府主義撲滅の檄を飛ばした。『彼無政府黨の首長は官府より錢幣を取りて以つて遊蕩に供せり。又上海共産黨より巨萬の運動費を詐取して』云々と云ふのであるが、時筋柄ヘンナ事を考へたものだ。無政府主義と社會主義との區別は、官邊から錢を取るか取らないかと云ふやう〔な〕事に存するのではない。大杉榮と堺利彦又は山川均との區別は、其いづれか一方のみが上海から運動費を詐取して、遊蕩(又は生活費)に充てたか何うかと云ふやうな事に存するのではない。露西亞飢饉救濟などゝ云ふベラ棒な誤魔化しと海老鯛をやらんだけでも、大杉の方がまだ幾分氣持が善い。

大杉榮と云へば、後藤新平から錢を貰つたことを今頃になつて、さもエラさうに吹聽してゐるが(當時は嚴重に隱してゐたものだ)、何うせ吹聽するの外はないと覺つたものなら、白状ついでに外の事も、今やつてゐる事も、男らしくみんなブチまけてしまへ。


底本:第一次『局外』第二號(大正十一年十一月)

注記:

文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。

改訂履歴:

公開:2007/02/11
最終更新日:2010/09/12

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