放言

高畠素之

堺利彦氏が一圓五十錢の菓子切手を取る取らぬの爭ひから、軍曹上りの國家主義者に錐で刺された。事件その者は餘りパツトしないが、こんな問題の起るたんびにデモ氣取りの新聞記者共の言ふ所が癪に障る。曰く、思想に對しては思想を以つて當らねばならぬ。思想に對するに暴力を以つてするは不埒であると。

彼等は主義者の思想が唯の思想でないことに氣付かぬものと見える。主義者といふものは、何ぞと云ふと直接行動を振り廻はす。面倒なら腕づくで來いと云ふ態度を採つて來た。態度ばかりではない。彼等の抱く思想その者が暴力の思想である。暴力の思想、暴力の態度が、暴力の行爲を以つて對抗されることは、砲彈に報ゆるに毒瓦斯を以つてする以上に對當の應酬ではなからうか。主義者にしても、マサカこれ式の暴力沙汰に屁古垂れる譯でもあるまい。今になつて『紳士的態度』(紳士閥!)を口にしたり、我々の目的は遠大である、我々は個人を敵とするに非ず組織にぶツつかるのだなどと弱音を吐いて居らうものなら、それこそ此先き嘗め〔ら〕れるばかりだ。

先年堺利彦氏が洋行しようとしたが、旅券が下らないのでおヂヤンになつたと云ふ話がある。然るに此頃、大杉榮が竊かに洋行したといふ噂を聽いた。其筋などもチヤンと知つてゐるやうだから、マサカ嘘ではあるまい。社會主義者には旅券をやらないが、無政府主義者なら竊かに洋行させるといふ筆法は、これも時勢の變遷であらうか。それからモスコーで片山潛と竝んで寫眞を撮つたとかいふ田口何んとかいふメリケン歸りの男なども、別に縛られた樣子もなく安閑と東京の隅ッ子で暮らしてゐるさうだが、これも矢張り時勢の變遷であらうか。

嘗て高尾平兵衞君等が勞働者の着る青服を着て歩いてゐるのを見て、なる程これで釣るのだなと思つたことがある。熊捕りは熊の皮を着、獵人は狐色の服を着るのだから、勞働者を釣るには青服も商賣道具であらう。

勞働者でもない人間が、やれ『勞働運動』の『勞働新聞』のとなんでもかんでも『勞働』の二字を看板にして、俺の新聞は勞働者の間に何千部這入つてゐるなどゝ自慢さうに吹聽してゐるのは、これも商賣ゆえと思へば憎む氣にはなれぬ。

文士録などを見ると、近頃勞働の經歴を麗々と書き立てることが文士共の間に大ぶん流行り出した樣である。これも何等かの意味で商賣道具と云へるならひやかす氣にはなれぬ。


底本:第一次『局外』第五號(大正十二年二月)

注記:

文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。

改訂履歴:

公開:2007/02/11
最終更新日:2010/09/12

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