寄生蟲

高畠素之


勞働者は貧乏人であると同時に生産の實質的主體である。勞働者の勞働者たる所以は、單に貧乏人たる點にのみ存するのではない。貧乏人であつて、而も同時に社會の生命機能を左右してゐると云ふ點に、勞働階級の眞の價値、眞の歴史的使命が存するのである。生産に關興(1)することなき襤褸プロレタリアは、境遇より言へば社會のドン底に沈淪した極貧者であるとは云へ〔、〕社會の寄生蟲たる點に於いては貴族や僧侶と選ぶ所はないのである。

近頃『文筆勞働者』を喋々する者がある。筋肉勞働者に對して文筆勞働者といふ言葉が使へない事はない。然し此場合には、筋肉的たると文筆的たるとを問はず、社會の生産的活動に對する關□(2)を條件とするのである。所が近頃流行の『文筆勞働者』といふのは、例の文壇プロレタリア論者、一名文壇ゴロ又はヤクザ文士と稱せられる手合が自分自身のことを指して言ふのだからヤリ切れない。彼等と雖も或は勞働者が貧乏であるやうに貧乏であるかも知れぬ。然しながら、勞働者は社會の心臟である。勞働者が居なければ社會の生命は一日も持た〔な〕いのに引き換へ、プロ文士と稱する手合は、プロレタリアの看板に依つて自己の無爲無勞働をヂアスチフアイし乍らイクラかにしようと云ふ正眞正銘の寄生蟲である。彼等が一匹餓死すればする程、社會はそれだけ助かるのである。かゝる手合に勞働者の名を冒涜されては、勞働運動の局外者たる我々でさへツイ義軍を起したくなる。

勞働者の寄生蟲に、今一つ例の主義者と云ふ奴がある。茲に主義者と謂ふのは、勞働者の爲の社會主義を看板にして意識的又は無意識的にメシを食つてゆく職業的社會主義者を指すのであつて、職業的ならざる社會主義者の殆ど絶無なる今の日本に於ては、直ちに社會主義者その者を指すものと見て差支へない〔、〕かやうな主義者が根絶されて困るのは警察ぐらゐなもので、少なくとも社會と勞働階級とは大いに助かるのである。

此意味に於て、最近『勞働週報』と云ふ雜誌が勞働運動に主義者を出入させるなと論じたのは、頗る我意を得てゐる。結構な提案である。然し勞働運動から締出を喰はすべきものは、ひとり主義者のみではない。主義者と同根一族のものに、勞働運動屋といふのがある。例へば友愛會の幹部の或者や、『勞働週報』の編輯經營者の如きは、皆勞働者にあらざる勞働運動者で〔、〕結局勞働運動を賣物にしてゐるものと見做すの外はない。かやうな寄生蟲は、勞働運動のために百害あつて一利なきものであるから、主義者やヤクザ文士と一括してゴミ溜に投げ込むべきである。

勞働者の解放は、勞働者自身の仕事でなければならぬ。餘計なお世話かも知れないが、局外者として之れだけの獨り語を年頭の辭に代へて置く。


底本:第一次『局外』第五號(大正十二年二月)

注記:

※文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)關興:ママ。關與の誤か。
(2)關□:下一文字欠落。蓋し關與ならん。

改訂履歴:

公開:2007/02/11
最終更新日:2010/09/12

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