茂木久平論

高畠素之


■實行力の多い男である。計劃と着手とが殆ど同時に働く。計劃のためには、有らゆる手段を案出して猶豫なくグングン進んで行く。彼れの偉い所は、先づ此實行力、此押しとガムシヤラである。

■然し押しが強いばかりでは成功するものでない。空な計劃では、實行力はあつても徒勞に終る。計劃の選擇が機敏でなくてはならぬ。茂木と云ふ男は一見オモチヤの横綱式鈍物に見えるが、此點には可なり機敏である。だから彼れの立てた計劃は大抵成功するのだ。

■今はないが嘗て茂木の向ふを張つた男に北原龍雄と云ふ〔の〕があつた。此男も相當機敏で計劃の上にいろいろ新機軸を出したが、惜しいかな實行力が伴はない。可なり面白い計劃を立てるのは善いが、まだ着手しない中に(或は着手したかしない中に)早くも次の計劃に乘り移つてゆく。計劃□山が古證文のやうに堆だかくたまる。目的に向つて慕進する勇氣と押しがないからだ。其の實行力がないから、計劃中に早漏してしまつて、已むを得ず次の計畫で手淫しようと云ふことになるのである。茂木の偉い點は、此計畫上の早漏症と手淫癖が少しもないことだ。

■但し此二つの特色を除くと穴だらけの男である。鈍骨のようでゐて、筆も立ち辯も達者な謂所(1)口も八丁手も八丁のところを見ると、中々隅に置けぬシロ物のやうではあるが、人の氣持などは頓と呑み込めさうもない。皮肉に賞められても本當に賞められたと感じさうな男である。それに――若いとは言ひ乍ら――今少し見識があつてもよささうに思はれる〔。〕計劃を實行した後に、それを一層大きな計劃の爲に活用する(若くは活用するやうに見せかける)抱負も用意もなささうだ。だから過激派の宣傳費を詐取して來ても、それをたわいなく遊蕩に費消したり、子分にくれたりしてしまふのである。せめて宣傳ビラの百枚も撒いて置いたら、後の祟りも少なかつたらうにと思はれるが、そんな用意の毛頭なささうな所は、何と云つてもポンチである。

■宣傳費と云へば、主義者の奴等は頻りに茂木を犬だとか、ブローカーだとか抜かしてゐるやうだ。見やうに依つては犬とも言へやう。けれどもさう言ふ奴が犬でないかあるか考へて見るがいい。主義者の頭株で――とつた金の高こそ茂木には及ばないにした所で――茂木以上に汚い眞似をして居らぬ奴が幾人いるといふのだ。たゞ茂木は自らブローカーをすると正直に公言して居るに反し、主義者の先生は主義の爲にのみ生きてゐるやうな顏をして、取つた錢の千分の一で宣傳ビラを造つて、それをソツクリ警察の手に廻るやうに仕組む事と、ロシア飢饉救濟といふやうな運動で鯛を釣らうとたくらむ點とが違ふだけである。

■若し夫れ主義者の下廻りに至つては錢は欲しくても進んで出稼ぐほどな勇氣もなく、誰れかれが錢をとつて來たと云ふ噂でも聞けば、宛らサカリのついた野良犬のやうに執拗くつき纏つて二圓三圓と云ふおコボレを頂戴する以外に能のない手合ばかりだから、此んな手合が茂木を犬だと言つても始まらない。

■附記、茂木久平は若いせいでもあらうが、兎かく親分になりたがる癖があるやうに見える。之れは茂木自身を大ならしむる所以でない。今の内は充分磨きをかけて、親分の方は大器晩成を期するのでなければ、大きな親分にはなり得まい。周圍の鷄鳴狗盗も其つもりで、精々茂木を大きく仕立てるやうに努めなければいけない。


底本:第一次『局外』第二號(大正十一年十一月)

注記:

※文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)謂所:ママ。蓋し所謂の誤ならん。

改訂履歴:

公開:2007/2/11
最終更新日:2010/09/12

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