士族の商法

高畠素之

郷里なら自信があるんだが……』と前置きしながら、しかし『民衆黨諸君の切なる勸告もあるので』と謙遜しつつ、我が菊池寛君は、東京府第一區から社會民衆黨公認の看板を背負つて立候補した。『一人ぐらゐは、文藝家の代表が議席を占めてもよいと思ふし。』と抱負の一端を披瀝したとも聞いてゐる。

如何にも菊池君らしい面目である。萬一の落選を警戒し、東京はどうでも郷里の金城を暗示したところといひ、萬更らでもなささうな文藝代表を自任したところといひ、文藝春秋社長に相應はしき『半世間人』を窺ひ得られる。若しこれが藤森成吉君(に限らないが)あたりなら、覺え立ての唯物辯證法か何んかで、天晴れ小ガ平大臣を『鬪ひ取る』式に克服したがるだらうが、さすがに同じ文學士でも、菊池君のアクは抜けてゐる。そんなヘマを他人樣の前で露出しようとはしない。文藝商品主義に一歩を先行しただけあり、世事の諸分けは心得たものである。

だが、その半面に、文藝代表を野暮に固執してゐるらしいところは、善くいへば分材を守る世間知りとも見えるが、惡くいへばそれなりにも、世間知らずの證據が發見されぬ譯でもない。世間といふ言葉が穩當を缺くなら、少くとも政治知らずの譏りは免れないであらう。その點、彼れが文藝家に非ず、企業家に非ず、同時に、文藝家であり企業家であるといふ事實、即ち私のいはゆる『半世間人』の面目を、遺憾なく看取せられる所以でもある。

今の三土藏相が嘗て文相たりし當時、彼れが文藝春秋社の存在を知らなかつたといふので、我が菊池君は『これを見ても、當今の政治家が如何に文藝に無理解であるかが知られる』と憤慨してゐられた。實のところ私は、菊池君のこの憤慨を見て、内心はなはだ滑稽に感ぜざるを得なかつた。失禮ながら、文壇隨一の世間人も、この程度では甘いもんだと思つたのである。

餅屋は餅屋、酒屋は酒屋、おのづから商賣往來を異にした二つの存在である。同樣にまた、餅の通は甘黨でなければ分らず、酒の通は辛黨でなければ分り兼ねる。上戸は榮太樓の甘納豆も藤村の羊羹も知らず、下戸は灘屋の黒松も加六の菊正も知らず、商賣ちがひとあつて見れば、抑も何區何町にそんな店があるのか、お互ひに少しも關知せざるが世の常ではないか。

文部大臣ともあらう者が、天下の文藝春秋社を知らぬとは何事ぞといふ憤慨は、菊池君としては如何にも尤もらしい憤慨に違ひない。が、この際は、文藝春秋社の文壇的特殊性が未だ普遍化されなかつたことに諦めをつけるの外はない。雜誌『文藝春秋』が、もし『講壇倶樂部』や『文藝倶樂部』やの如くであつたなら、いかな三土大臣でも、講談社や博文館と併べて文藝春秋社を記憶してゐたであらうことに、せめてもの慰めを求めてこそ、始めて押しも押されもせぬ世間人と稱し得る。好漢『文藝往來』の著書を有すれど、惜しむらくは政治往來も經濟往來も知らず、などと餘計なオセツカイに類するやうだが、實は菊池君の對選擧態度が、恰も三土大臣の文壇的無智と、同列の政治的無智を曝露するなきかを憂ふる老婆心に出でたことに諒承を乞ふ。

菊池君は社會民衆黨の公認候補である。無産政黨とは浮世を忍ぶ假りの名、民政黨支店として革新黨あたりと優劣を競ふ民衆黨のことであるから、ブルヂオア作家の元締を以て遇せられる菊池君を公認したところで、私は決して人間錯誤だなどとは考へない。寧ろ適材適所と考へる證據には、いつぞや菊池君も『自分には社會民衆黨あたりが手頃だ』と述懷してゐた如く、極めて似合ひの結合を發見するからである。何故に然るかといへば、上戸の甘黨談議に類する滑稽さを共通に感受し得るからに外ならぬ。

政治家の文藝的無智を嗤ふ菊池君は、勿論それなりに眞理を喝破してゐる。しかし同時に、文藝家や思想家も同じ程度に實際政治の眞理に對しては無智である。無智なればこそ、嘗て雜誌『隨筆』が、『好きな政治家』を質したとき、彼等は揃ひも揃つて『尾崎行雄』を擧げてゐた。政治家といへば尾崎行雄と考へるやうな人は、雜誌といへば直ちに講談社を聯想する程度の素人的無智階級に屬する。さすがの御歴々も、商賣往來を異にすれば、斯うも色盲になるものかと驚ろかされたが、我が菊池君もどうやらその埒外に出でないらしい。尾崎行雄氏をお山の大將とする革新黨と、民政黨支店たるに甲乙なき民衆黨あたりに、彼れ自身の政治的立場を求めたところは、當の三土大臣あたりから『菊池君もまだ政界の文藝春秋社を知らないと見える』など、竹箆がへしの啖呵を切られさうな危險も見える。

支那手品師の李彩だつて、商賣々々の功得を禮讃する當節である。菊池君がいかに、新聞記者のいはゆる『文壇の大御所』だつて、河岸を代へての政治家稼業に憂き身をやつす段になれば、最低の陣笠よりも尚ほ下風に立つ覺悟を必要とするであらう。況して獨力よく、立法機關を通じて文藝家の社會的地位を高上しようなどと考へても、百年河清を待つより以上の根氣を持續し得るか否か。――などと、まさか菊池君が大野暮にそんなことを考へてゐるとも思はないが、幸運にして立候補の機會に逢着せず、隨つてまた、當選の危險を絶對に所有せざる私などの立場に於いては理屈は、理屈として斯く言ひ得るのである。


底本:『中央公論』第四十三年第三號(昭和三年三月。「政治家としての菊池寛氏」の一つ)

改訂履歴:

公開:2006/01/21
最終更新日:2010/09/12

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