軍縮なら出直せ

高畠素之

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ワシントン會議に際し、フランスの反對で立ち消えとなつてゐた補助艦制限に關する第二次會議は、如何なる形式かで再び持ち出されるものと思はれてゐたが〔、〕果してクーリッヂ大統領の名に於いて米國から提出された。然し今度は、會議の成果を危ぶんだものか、米國が主催國とならずして國際聯盟の軍縮委員會に委託し、その機關を通じて日、英、米、佛、伊の五國會議を招集しようといふのである。當然の豫想が當然のままに出現したのであるから、筋書どほりフランスとイタリアは反對を表明し、日本と英國が外交辭令を以つて『贊成するの光榮』を回答して、これも當然の筋書で三國會議の開催といふ段取りにまで漕ぎつけた。

番組の順序からいへば、これから三國會議の大詰が開幕される事になつたわけである。ところが、イザといふ瀬戸際になつて肝腎の舞臺裏に故障ができ、幕内主任のクーリッヂまで『三國ぢや心細い』などと弱音を吐き出し、どうやら雲行きの程が怪しくなつて來た。しかしどの道、このまま幕を開けずにお客を歸すことは出來ないから、曲りなりにも芝居のケリはつけるのであらう。果して如何に結末をつけるか、總べては開幕後の樂しみとして待つのほかはあるまい。

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元來、我々の方からいふと、この會議にフランスやイタリアが『イエス、オーライ』で參加すると考へてゐたのが、そもそもクーリッヂの自惚れである。それは單に、ワシントン會議當時の感情的咀唔といふ問題からばかりでなく、國際勢力の微妙なる物理原則により、先づ第一にフランスが二の足を踏み、隨つてイタリーが逃げを打つべきことは火を瞭るより明らかであつた。銀行屋あがりの悲しさに、金で物を言はせ得る氣で多寡をくくつたのが、飛んだ面目玉の處分に困る結果となつたわけである。

フランスの海軍政策が、英國の貿易破壞を直接の目標としてゐるのは、前世紀以來の傳統である。即ち嘗て巡洋艦と水雷艦を盛んに建造したのは、貿易航路の破壞は大艦より小艦が有利だと打算したからであり、現に今日、潛水艦と飛行機の建造に熱中してゐるのも、これと全く同じ理由にほかならない。そのフランスが、彼等の手足をもぎ取る補助艦制限に贊成する道理はあるまい。殊に最近では、一萬一千噸の巡洋艦十二隻、三千浬の可航力ある驅逐艦百隻、それに潛水艦七十隻の建造を一九三一年までに完成しようと急いでゐるのであるから、尚ほさら素直に言ふことを聽くはずはない。

同じことはイタリアに對しても言ひ得る。遠慮會釋を知らぬムッソリーニは、地中海に於いて絶對にフランスを凌駕する海軍力を所有しなければならぬと豪語してゐるが、アドリア沿岸その他に於ける列強との複雜な利害を考へれば、フランスが參加しない以上、その當然なる對抗的必要から參加を肯んじないのが當然である。

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そこで日本はどうかと言へば、これもフランスやイタリアと異なるところがない〔。〕南は臺灣より北は千島、樺太に至るまで、その細き海岸線を防禦するには、速力に於いて優れたる巡洋艦や航力に於いて優れたる潛水艦等に頼るのほかはない。殊に工業その他の原料品を悉く海外に仰ぎ、年々膨張する人口に對して食料品の脅威を受けてゐる以上、一旦緩急あれば連亙せる島嶼を補助艦によつて聯絡し、大洋の外敵を斜斷すべき痛切なる必要に訴へられてゐる。その日本が、補助艦に於いて主力艦同樣五・五・三の比率適用を強制されるなら、寧ろ會議の席上から去るべきである。

もつとも、主力艦同樣の比率といふのは、單なるクーリッヂの希望に過ぎないし、これに對しては日本も圓曲に不滿の意味を暗示してゐるやうだから、蓋が開かれて見なければ海のものとも山のものとも斷言しがたい。唯だしかし、我々としてはこの第二次軍縮提議が、補助艦に於いて比較的優秀な日本の海軍力に對し、平和主義の羊頭を掲げたる英米兩國が、或る限界線以上の削減を強要せんとする下心からなされたことを警戒しなければならぬ。直言すれば彼等の小犠牲を賭けて、日本の大犠牲を道連れに擇ばんとしてゐるのである。尚むしろ、彼等の利得の代償に日本の損失を強要せんとしてゐるのである。

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言ふまでもなく、米國や英國の平和主義はイカサマである。といふ意味は、女郎屋の亭主の神信心のごとく、平素の惡業を一遍の祈祷で帳消しにしようといふ狡猾さ以上に、信心をタネに善男善女の臍繰りを捲き上げようといふ圖太さを含んでゐる。もちろん彼等とて、滿更ら鬼の念佛だけで『世界平和』を唱へてゐるのではない。算盤玉を彈いて見て、平和であつて呉れた方が利益だから、一流の素町人的打算に於いて『平和』の御託を竝べるのである。『金持ち喧嘩せず』といふ諺がある。これは勝敗に拘らず、喧嘩して金持ちに利益がないからといふ打算心理を皮肉ッた言葉だと思ふが〔、〕英國や米國の平和主義は恰もそれに該當する。英國は本國に百四十倍する屬土を有し、いはゆる『日沒なき帝國』の矜誇を負ふてゐる。米國は米國で三百七十四萬方哩の國土に無限の資源を藏し、獨特の地理的優勝を利して南北大陸の獨裁權を握つてゐる。而も兩國竝びに其の屬領は、移民の入居を拒み、少數の國民だけで富の享有を獨占し、他人の飢餓と貧窮に對しては甚だしく慘虐である。彼等に取つては、戰爭を賭けてまで領土を擴大する必要は毫もなく、新領土の開發と統治に餘計な金を費ふ暇に、現に有する寶庫を拓いた方が遙かに利益である。

これに反して、我が日本の如きはどうであるか?國土狹小にして而も地味瘠せ、天然の資源は極端に惠まれてをらない。加ふるに英帝國及び米國に比し、その人口密度は十倍を超え二千餘人(一方里)といふ數字を示し、更らに毎年八十萬の口數を増大しつつある!

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斯くのごとき日本が、内部に溢るる生靈の捌け口を海外に求めるのは當然である。而もその當然なる措置さへ、四方八方から閉め出しを喰はされる現状では、勢ひ『腕づくでも』といふ心理に導かれるのも已むを得まい。素より日東の君子國民は、飢ゑても穗をつまざる鷹の氣概を示してゐるが、その氣概を果して何時まで持續し得るかは疑問である。

若し將來戰爭が起り得るとすれば、それは腕にかけてもといふ最後の場合である。その場合に於いて、腕にかける方も勿論よろしくはないが、對手をこれに導くまで富と領土を獨占する者は更らによろしくない。況してその獨占が、嘗て掠奪せる富と領土である限り、彼等の貪婪に天誅を加へるのも面白いではないか。

偶然の機會で金持ちの家に出生した爲、他の偶然の機會で貧乏人の家に出生した者の勞働搾取が惡であるなら、家と國とを代へた場合も同樣に惡であらねばならぬ。同時に前者の罷業權が立法的に是認されるなら、後者の戰爭權も正當として認めなければならぬ。金づくが腕づくより陰險にして惡辣である限り、『所謂軍國主義』よりも『所謂平和主義』の方が、陰險にして惡辣なる程度は上である。

幸か不幸か日本は、英米的素町人から軍國主義と呼ばれてゐる。眞僞の詮索は別問題として、假りに日本が軍國主義的であつたにしても、日本をして斯く軍國主義に傾かしめた根源は、富と領土を獨占して日本人の生活權を脅威した英米の罪過である。他人のお節介をする前に、自分の責任を棚の上からおろして見たらどうだ。

閑話休題、右の理屈を一般論に還元すれば、戰爭誘發の原因はクーリッヂの言ふ如き『軍備競爭』にあるのではなく、もつと根本的なる富と領土の少數獨占にある。末節の末節たる軍艦などを問題とする前に、眞に世界の平和を念慮とするなら、乞ふ、一切の所有する富と領土を解放せよ。その上で相談を持ち込むなら、單に海軍といはず陸軍も全廢して見せようではないか〔。〕さもない限り〔、〕貧乏世帶の瘠せ我慢ではあるが、オイソレとお爲ごかしの軍縮相談などには乘りかねる『光榮を有する』のである。


底本:『經濟往來』第二卷第四號(昭和二年四月)

注記:

句読点を増加または改訂した場合は〔 〕内に入れた。

改訂履歴:

公開:2006/12/17
改訂:2007/11/11
最終更新日:2010/09/12

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