二つの失業

高畠素之


失業者には二重の意義がある。第一は、資本主義經濟そのものに直接相伴ふところの恆久的失業者(マルクスの所謂産業豫備軍)、他は資本主義經濟に必然相伴ふ現實投資の伸縮に依つて半減せしめられるところの暫行的失業者。いづれも資本主義の本質に結びつけられてゐるものであるが、前者はヨリ本質的、直接的である。

資本主義の下における産業の發達は、資本の蓄積(集積及び集中)に表裏する。蓄積とは、社會全體の資本がヨリ大となることである。生産の發達とは、ヨリ大なる資本の充用を意味する。ヨリ大なる資本の充用は生産力の發達を意味する。生産力の發達は生産物資の増大を意味する。

然るに、資本の蓄積は一面に恆久的失業の存在を伴ふ。資本が擴大されて、生産力が増進するといふことは、資本中の生産機關(機械、建物、原料)に充用される部分(マルクスの所謂不變資本)が増大して、勞働者雇傭に充用される部分(マルクスの所謂不變資本(1))が相對的又は絶對的に減少することを意味する。即ち資本の蓄積が進み、生産の發達が進むに從つて、勞働者の雇傭に投ぜられる資本部分はますます減少して來る。これがため、雇傭せられざる、職を得ざる不斷の勞働者人口が造り出される。資本主義と共に機械經營が發達して、熟練技術の絶對必要を驅逐するといふ傾向も、この失業軍の擴張に貢獻する。なぜならば、この場合には、勞働者たるべき資格標準が低下せしめられ、それだけ勞働軍の範圍が擴大されることになるからである。資本主義が舊來の熟練工のみに依つて固められた勞働軍の限界を突破して、未熟の婦女、幼童をもこれに拉致したといふ事を以つてしても、この傾向の全豹(2)を推知することが出來る。

兎にかく、斯樣にして恆久的失業者が造り出される。この失業者は、軍隊の豫備軍、用水の貯水池の如きものである。資本家は必要の場合には自由に此貯水池から水を引き出し、不用になつた勞働者を自由に此豫備軍中に放り込む。資本家の貯蓄銀行みたいなものである。

けれども此過剩の人口は、マルサス主義者の謂ふ如く、人口が食物以上の急速力を以つて増殖する結果ではなく、反對に物質の生産が、勞働者雇傭に充用すべき資本部分以上の急速力を以つて増大する結果である。換言すれば、生産力増進の結果である。

第二種の失業者は、現實投資の伸縮につれて生滅するものである。現實の投資は、産業界の景氣につれて絶えず伸張し収縮してゐる。それが伸張した場合には、勞働の需要も殖えるが、需要の増える割には賃銀は昂騰しない。殖えた需要は先づ恆久豫備軍を以つて充たし得るからだ。この豫備軍の全部を以つてしても尚充たし得ないといふ程に、勞働需要が殖えることは、戰時其他異常な場合を除いては滅多にないことである。投資が収縮して、勞働需要の減少した場合には、過剩となつた失業者は無造作に貯水池へブチ込まれてしまふ。この貯水池が大きくなればなる程、勞働供給の重壓が殖える譯であるから、それだけ賃銀は壓迫されて、就業勞働者の生活もますます苦しくなる。

これが資本主義の下に於ける失業者の本體であつて、資本主義の基礎に立つ限り、これに對して根本治療といふものはない。膏藥や鼻藥程度のものはあらうが、さういふものを論ずるのは私の天職でないから、茲で尻尾を切る。


底本:『經濟往來』第一卷第八號(大正十五年十月)

注記:

※句読点を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)不変資本:ママ。蓋し可変資本の誤ならん。
(2)全豹:ママ。

改訂履歴:

公開:2006/12/17
最終更新日:2010/09/12

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