危險性のない人柄

高畠素之


吉野さんとは殆んど石の届く近所に住んで居り、それにいろいろお世話にもなつてゐるのだが、まだ本式に御目にかかつたことがない。吉野博士は常識的の思想家である。取扱ふ問題も、取扱ふ態度も、表現の樣式も、すべて常識的であるから、相當專門の物でも我々素人が讀んでよく解る。かういふ型の思想家は學問普及の上からいつて非常に貴重だと思ふが〔、〕出來そこなふと困る。名を指して恐縮だが、大山郁夫氏などは、この吉野式を聊か惡く行つた形と思ふ。取扱ふ問題は平々凡々だが、言ひ廻しが鰻のやうにペタンで、解りにくい。

國粹方面では吉野博士を目の敵にしてゐるやうだが、決してそんな方面から恨みを受けるやうな人格ではないと思ふ。尤も博士のデモクラシーが、共和主義のやうに思はれてゐるかも知れないが、さう思ひ過ごすにも當るまい。人柄は危險性でない。この點からいへば、世間的に吉野博士と對立されてゐる私の懇意な上杉愼吉博士などの方が、餘程危險分子が多いやうにも思はれる。


底本:『隨筆』第一卷第二號(大正十五年七月)

注記:

句読点を補った場合は〔 〕内に入れた。

改訂履歴:

公開:2006/12/17
最終更新日:2010/09/12

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