全集と雪嶺翁

高畠素之


◇この間、三宅雪嶺翁の我觀社の同人が來て雜談のうちに全集の話が出た。近頃は全集が下火で講座が無暗に流行り出したが〔、〕全集も實をいふと、出るだけのものは大抵出てしまつて、ちよつと種切れの姿なのだ。それでもまだ、出るべくして出ないものがある。いま個人を出すとしたら誰れがよからうとの問に對して、私の答は對手が我觀社の同人であつた爲でもあらうが〔、〕先づ三宅雪嶺翁あたりが一番だらうといふ所に落ちついた。雪嶺全集の話は、私は前にも或る出版屋から全集の提唱があつたとき主張したことを憶えてゐる。

◇全集は單行本と違ふから、何といつても老大家で印象が津々浦々にまで浸み込んだ人間でないといけない。所謂流行兒で單行本の受けが素晴しく善い人でも、全集となるとそれだけを標準として適否を定めるわけには行かない。老大家、若大家といふやうなことは兎も角、全集となれば勢ひ全體の定價も張るわけであるから、親がかりの書生や脛噛りの娘息子ではちよつと手のつけやうがない。それで全集の講讀決定權は自然一家の主人の手に握られることになつて、家庭の文化装飾たる意味を多分に加味して來る。だから、この家庭装飾品たるに適しないやうな著者だと、いくら流行兒でも全種の主體たるに適しないわけだ。

◇田舎の醫者や辯護士の家庭に入ると、よく漱石全集や鴎外全集が床の間にヅラリ竝べられてあるのを見る。漱石などは讀んで面白く、氣品もあり澁味もあつて、それに何しろ廣く鳴り響いた大家と來てゐるから、全集としては申分ない資格であらう。これに比べると、大杉榮全集などは、經營者の智慧の無きを表白してゐる。大杉が漱石よりエラクなかつたといふのではない。けれども、彼れはいろいろな意味で全集の主體たるに適しない條件を具へてゐるのだ。

◇大杉は著者としても可なりな人氣を集めてゐたことは事實だが、彼れの讀者は多く書生か又はプロレであつて定價の張る本を消化し得ない位置にある。それに何しろ、あの看板では家庭の置き物にならない。この後ちの點が一番決定的であることを、出版者は忘れてゐたやうだ。

◇大杉に比べると、厨川白村などは危險の意味がなく、寧ろ家庭装飾たる資格は相當に具へてゐたやうであるが、これも人氣に逆比例して全集の落伍者たる成績を示した。この人は一種の人氣者で、單行本の賣れ行きは素晴らしくよかつたが、彼れの販路は多く女學生である。それも高女三四年頃から卒業前後にかけての女學生である。女學生の本代なんてものは月々の小使錢の中から遣繰り算段されて行くものであるから、定價の張るものではいけない。精々一圓代から二圓がらみといふ所が一番手輕なのだ。白村の本も、この級の定價だと吸い込まれるやうに賣れて行く。しかし全集となると、女學生には荷が重すぎるし、さればといつて晩酌にウニの香でも樂しまうといふ髭の生えたお親爺さんが、今更ら白村でもあるまいといふことになる。大杉にしろ、白村にしろ、かういふ位置、かういふ種類の著者は、なまじ全集などにしないで廉刷本でも出せば屹度成功する。

◇以上の意味で、雪嶺全集を可とする理由は大抵呑み込めたらうと思ふ。雪嶺翁も近來は昔ほどの元氣がない。何となく、老ひ込んで影が薄くなつた。年をとつたせいでもあらうが、そればかりではない。元來、彼れは國粹的の風格で通つて來た思想家だ。國粹といつては語弊があるかも知れないが、少なくとも薄ッぺらなメリケン的傾向に對立して、重々しい東洋趣味を發揮した點が彼れの最大の身上であつた。それが近來、どうした風の吹き廻しか、いやに歐化かぶれして薄ッぺらな左傾書生の尻拭ひでもしさうな傾向になつて來た。當人の思想が實際さう變はつたからといへばそれ迄の話だが、何だか四十姿(1)さんが急に厚化粧にこり出したやうな趣きで、我々にはちと悲慘の感を伴ふ。商人が納簾や商標や店の風容を變へていけないのと同じやうに、學者思想家も、その風格的焦點を錯亂させては臺なしだ。六十年の苦心が何の爲だつたかといひたくなる。

◇かういふ意味で、私は才人雪嶺翁の近來の印象を餘り有難く思つて居らない一人であるが、それはそれとして、何といつても彼れは大物であり、いろいろな意味で天下に廣く深い足跡を止めてゐる。だから、一般の人氣や愛慕は昔ほどでないとしても、取り殘されたガン首の中から今全集でも出さうといふ話になれば、やつ張り彼れをイの一番に推すのが、營業的に見ても順序ではあるまいかと思ふ。


底本:『隨筆』第二卷第一號(大正十六年一月)

注記:

※句読点を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)姿:ママ。

改訂履歴:

公開:2006/12/17
最終更新日:2010/09/12

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