斷髪美學

高畠素之

私はよく『反動派』と呼ばれる。命名の當否に關しては、自づから別個の見解も有つのであるが、我れながら渡世的世向を多分に認める意味に於いて、必らずしも世評の失當ならぬことを承認しないでもない。その私が、モダーン諸嬢に追隨して斷髪の美を説かうといふのだから、些さかならず場所錯誤の嫌ひもあらうかと思はれる。だが、それもこれも時勢なればこそ、私のやうな天邪鬼がクララ、ボーのフラツパー振りに興味を覺え出した一事は、審美標準に於ける『結髪より斷髪へ』の時代的變化を物語るものでなければならぬ。

萬物は流轉する。美もまた流轉せざるを得ない。藝術家達は『永遠の美』を發見せんとして苦心したが、その意味からすれば、無駄な努力だつたとも云ひ得べく、時間空間を超越したる『美』などといふも〔の〕は、ただ藝術家の描く空想に於いてのみ存在が可能である。レオナルド・ダ・ヴインチのモナ・リザや、ダンテのビアトリーチエは、勿論それなりの美を當代の青年にも感受せしめるであらう。しかし彼女等は、美は如何に美であつたにしても、その餘りにも靜的な點が、極度に動的な時代の要求に合致し得ず、寧ろ銀座街頭に出沒するモダーン・ガールに比し、遙かに魅力を發揮し得ないに違ひない。

實際問題として考へても、昔しは瓜實顏に柳腰、風にも耐え得ぬ楚楚たる風情が美人の典型とされてゐた。いはゆる美人畫といふ美人畫は、それを畸型的にまで誇張したものであつたが、從來の審美標準に於いては、それを美人の典型として承認されたのであつた。けれども、當代の青年に對して、美人畫の美人畫、果たして美人的魅力を所有するか否かは疑はしい。恐らく全部が全部、それを美人として承認することを拒絶したがるであらう。けだし、舊來の美が今や當來の美でなくなつた證據である。

審美標準に於ける斯くの如き時代的變化は、矢張り現實生活上の原因を反映したものに外ならない。家族の生活が家長の収入に依つて支持され、女性は安んじて男性の庇護に安住し得た時代には、女性美は凡ゆる點で、非勞働的な部分に求められてゐた。瓜實柳腰は不健康の代表型である。七難を隱くすといふ色の白さも、貝殻に譬へられた爪の紅さも、烏羽玉の闇夜に競ふ頭髪の黒さも、悉く勞働的ならぬ點を特色とする。

單に容色に於いて然りしばかりでなく、服装や趣味に於いても。美人を美人たらしめる條件は、いやが上にも非勞働的な部分を強調するにあつた。文金の高島田に胸高の廣帶、褄を取らなければ立居振舞も自由ならぬ裾模樣、膝より下に及ぶ振袖、等、等。これらは總て、彼女等が如何に勞働に縁遠い存在なるかを誇張する手段であつた。古來、また女のたしなみとせられた百般の遊藝に於いても、一つとして彼女等の深窓性を誇張する手段に利用せられざるはない。茶ノ湯、挿花、舞踊、長唄、三味線、琴等、我々ごとき門外漢には決して算へ切れぬ多數のたしなみは、悉く斯かる目的の下に發達したものである。

そこで問題は、何故に斯くも不生産的な特色が、當時の審美條件に合致し得たかである。ヴエブレンの説に從へば、これは男性の名譽心を滿足させ得たからだといふ。

原始時代は暫らく問はず、未開時代に入つてからの女性は、甚だお氣の毒な次第であるが、男性の財産たる身分から出發したといふが今日の定説である。彼女等は所有者たる男性の妻妾であつたと共に、また奴婢として、生産勞働に從事しなければならなかつた。そこで妻妾の多寡は、所有者たる男性の勇猛的表象だつたばかりでなく、同時に財産的表象でもあり得たのである。その習慣は、一夫多妻制度が破壞され、一夫一婦制度が出現した後代に至るまで遺風を傳へ、妾女を美しく仕立てることに依り、男性は彼れの財産的身分を間接に誇示し、虚榮心滿足の手段に利用する風習を生ぜしめた。それが爲めには、容貌に於いても、風姿に於いても、衣服に於いても、趣味に於いても、如何にも非勞働的らしく造り上げた。斯かる結果、非勞働的な條件そのものが、やがて『美』の條件に算へられ出したのである。

これは洋の東西を問はない。支那婦人の纏足は人工美の最上を極めたものだが、西洋婦人が極度に腹部を壓迫した習慣の如きも、同じく非勞働的美を人工的に造り上げる努力に外ならなかつた。今日から考へれば、如何にも莫迦々々しい忍苦と思ふが、美容術で半日の空費を惜しまぬ化粧心と、さう大して距離の遠い『努力』ではあるまい。のみならず、人工は人工なりに、飽くまで非勞働的體躯を美人と見た當時とすれば、ヨリ非勞働的な條件が、ヨリ有利な嫁入條件に合致し得べきを以つて、大いに當然の理由を發揮したと見るべきであらう。今日の我が身は、昨日の人の身、仇やおろそかに考へては濟むまい。

然るに今日では、餘り世知辛くなつた結果、如何に名譽心の旺盛な男性であつても、収入の過小が贅澤の過大を許さなくなつたのである。それどころか、自分は素より妻女ともども、共稼ぎをするの餘儀なき經濟状態を急迫され出した。そんな状態では、ナリやフリを顧みる暇はない。尤も少數の富豪とか貴族とかは、家長一個の収入に依つて家族全員の贅澤を許されてゐる。が、多數の勤人階級や勞働階級の妻女は、會社なり、銀行なり、商店なり、工場なりに入つて父夫の収入不足を補はなければ、一家の生計維持が困難な状態に置かれてゐる。昔しながらの深窓振りを誇示したくも、時間と金錢に於いて事情が許さないのである。

そこで先づ、結髪は束髪へ、束髪は斷髪へといふ順序で、實際生活上の便利を基礎とし、頭髪革命が疾風迅雷的に殺到したのである。勿論、他の一面に於いては、米國映畫を通じての模倣心理も有力に作用したではあらう。だが、既に模倣の眞理を喚起したに就いては、米國類似の社會的條件が日本にも準備されてゐたと見るの外なく、如何に怪奇美を愛好するモダーン・ガールだつて、さもなければ、一足飛びの斷髪を斷行する勇氣があらうとは考へられぬ。

米國は御承知の通り、筋肉的にも頭腦的にも、勞働の需要が甚だ旺盛な國である。この旺盛な需要に對して、男性勞働者のみでは到底應じ切れないので、社會の凡ゆる活動部面に女性勞働者の供給が刺激され、惹いて、女子教育を彌やが上にも盛んならしめた觀がある。男性に伍して活動する彼女等は、舊來の非勞働的服装の不便を痛感したに相違なく、斯くして先づ、服装上の男性化を促進し、やがて頭髪上にまで適用することとなつたものと思はれる。而もそれなりの美感挑發に腐心した結果は、舊來の風俗に倍加する魅力を男性の上に投げかけるを得た。斯くてその始め、生活上の實際的必要から促がされし風俗革命は、やがて實際的必要を感ぜざる婦人をも渦中に捲き込み、寧ろ化粧的必要に於いてこれに追隨せしめるに至つた。斷髪ならぬ者はヤンキー・ガール非ず、流行もこれほど猛威を逞しうすれば、追隨しない者が醜婦の烙印を押されてしまふ。

日本に於ける婦人服の移入も、今やどうやら擧世的流行を喚起せんとしつつある。その態度は未だ遙かに、ヤンキー・ガールの斷髪流行には及ぶべくあるまいが、幼少女に於いては些さかそれに近き感なきを得ない。實際、今日となつては、お下げにした和装の女學生などを見ると、時代と場所とを錯誤した存在であるかにさへ思はれ、天の作せる折角の實質を損傷すること、幾割であるかを知らぬ。これなどは、少女美に對する時代的批評眼の移動を明證するが、若し彼女等が、成年の女性として押し廻す時代となつたら、洋装的適應性の驚ろくべき進化の半面に、和装的適應性の甚だしき退化を暴露するに至るであらう。

事態が茲まで進轉すれば、毛唐服の、お河童さんのと嘲笑する者もなかるべく、モダン・ガール的存在に對しても、一々これを白眼視する暇がなくなるであらう。一方、資本制生産の發達に伴ふ職業分野の女性的解放と、相對的収入遞下に基づく經濟的家族動員とは、日進月歩の勢ひを以つて職業婦人群の増大を促がし、彼女等の装身的男性化を愈よ加へるであらうから、女性美に對する現在的標準は、根本から覆へされるに違ひない。

風俗習慣に於ける斯くの如き洋化は、曩にもいへる如く、これを受け容れる下地があつたればこそ移入された。文明開化を盲目的に隨喜渇仰した鹿鳴館時代と違ひ、生活的にも、感情的にも、歐米的水準にいつの間にか接近してゐたので、單なる模倣としてのそれでなく、寧ろ一個の便宜として、人情風俗に於ける『歐米』を不自然でなく消化するを得たのである。これ資本主義下に於ける『平均化の傾向』を明證したもの、日本の資本主義が歐米のそれに接近すればするほど、愈よ歐米化の傾向を濃厚ならしめると思はなければならぬ。

さて最後に、然らば何故に、美の標準が靜的なものから動的なものに移動したかである。

言ふまでもなくそれは、時代の實際的必要が活動的であらねばならなくなつた結果、一切の靜止的なものを拒否することになり、心理的にも甚だしく性急となつたからに外ならない(1)

機械の速度は凡ゆる人間生活を制約する。ピストンの開閉度數、ベルトの廻轉度數が増大するにつれ、人間心理も愈よ性急とならざるを得ぬ。けだし、機械に直屬する筋肉勞働者ばかりでなく、凡ゆる生活を機械の充用の上に展開する現代人は、嫌でも應でも、機械への適應を餘儀なくされるが故である。

斯ういふ時代に當面した彼等は、瓜實柳腰の容姿を愛好すべく、結髪和装の風情を享樂すべく、餘りに生活的にも感情的にも氣ぜはしい。振袖より洋服、結髪より斷髪、次第に審美標準を移動したのも故なしとはせぬ。

必要は萬物の母だといふ。實際生活の必要から編み出された彼女等の斷髪であつたが、斯くしてそれが、如何にも活動的な時代の要求に適應するを得たため、今や前人未發の『美』を獲得することが出來たのである。


底本:『婦人畫報』昭和三年三月(二百七十一號)

注記:

※文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。
※「クララ、ボー」はClara Bowのこと。
(1)外ならない:底本は「外ならにない」に作る。

改訂履歴:

公開:2006/12/17
最終更新日:2010/09/12

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