私のいたづら書き

高畠素之

論文でも感想でも、凡そジアーナリズムの原稿といふほどのものは、私は何もかも「いたづらがき」のつもりで書いてゐる。だから、ことさらいたづらがきといふ物は書けない。私に向つて、いたづらがきを注文するのは、酒をのんで置いて今度はお酒をと注文するやうなものだ。洒落も、いたづらに過ぎると、駄洒落にもならない。


底本:『婦人公論』昭和二年十月(二百六十六號。「私のいたづら書き」の中の一つ)

改訂履歴:

公開:2006/12/17
最終更新日:2010/09/12

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