家族制度はどうなる

高畠素之

『空想的社會主義の父』と呼ばれるシヤルル・フリエーは、嘗て家族制度を批評して、それは『強制と欺瞞との上に築かれた組織である』と喝破した。『女子は唯だ一つの權利を與へられるに過ぎない。權利とは何ぞ? そは男子を強制して、彼れの子に非ざるところの、即ち自然が、その眞の父の名をその顏に書いてゐるところの子を、彼れの子として承認させる權利に外ならない。』

文明呪咀を生命とするフリエーであるから、この言葉の半面には、男子の強制に對する反抗手段としての女子の欺瞞が、如何に家族制度の内部に行はれつつあるかを指摘したものに違ひない。が、他の反面に於いては、いはゆる『一般的強制と一般的欺瞞との戀愛組織』たる家族制度を撤廢し、自由意志に基づく男女の離合集散――自由戀愛に對する熱情を披瀝した言葉と解せられる。彼れは斯くして、彼れのユトーピアたるフアランヂユを描くに當り、友愛以外に制約なき社會状態を説き、自由戀愛の理想郷を寫影したのである。

單りフリエーばかりでなく、いはゆる空想的社會主義者の總ては、悉く家族制度に對する極端な排撃者であつた。十五世紀の先覺者トマス・モーアの『ユトーピア』は、さすがにプラトーンを直接に移植しただけ、放縱な自由戀愛を肯定しようとはしなかつた。けれども、婦人共有の思想に於いては一脈の共通點があり、家族制度に基づく婦人私有とは、おのづから別個な理想を提示して居る。カムパネラ、フエネロン、カベーを經て、ベラミーの『回顧録』やモリスの『無何有郷記』となれば、理想郷に於ける男女關係は著しく自由になり、戀愛が唯一の紐帶として扱はれてゐるのである。アナトール・フランス、ウエール等の二十世紀の作家が描いた理想郷に於いても、その事實に變るところがなかつた。

一方、科學的社會主義者と呼ばれる人々にあつても、例へばエンゲルスやべーベルに於いて見る如く、いづれも今日の家族制度に緊縛される男女關係を否定し、未來社會のそれが、自由戀愛に基礎すべきことを積極的に肯定してゐる。その點、空想的たると科學的たるを問はないので社會主義に對する最初の非難として、男女關係の禽獸化を攻撃する聲が各方面に姦しい。自由戀愛が果たして人類の禽獸化を意味するか否か、未來社會の男女關係が必らずしも自由戀愛でなければならぬか否か、凡ゆる社會主義者が悉く自由戀愛を肯定するか否か、それらの穿鑿は別問題として、男女關係が次第に制限的から自由的となり、いはゆる貞操觀念の根本が、次第に浮動し出したことは否むべくもない。それが社會主義的な思想の影響であつたか、或は自由主義的な思想の影響であつたかも問はない。が、兎に角も、大正ノラが飛び出したり、昭和ヴイヴイーが飛び出したり、カフエーの女給さへ『戀愛は神聖よ』といふ時勢になつたのである。婦人雜誌が競つて戀愛論を滿載するも宜なり、モダーン・ガールの跋扈跳梁も決して故なしとはしない。斯くて時代は、社會主義の到來を俟たずして、自由戀愛の樂園(?)を出現せしめんとしつつある。

食慾と性慾とは、人類の基本的慾望だといはれる。裸身の性慾にまとへし美服とも見るべき戀愛が、人生的關心に重大な意義を有つことも、素より理の當然といはねばならぬ。この當然の理が、何故に非善の理らしく扱はれて來たかの事情は後段に讓り、兎にかくも、戀愛に基礎せぬ結婚を罪惡視するに至つたことは、必ずしも青年男女の放縱とばかり言ひ切れない理由が多い。多ければこそ、擧世滔々として戀愛至上主義が流行し、フリエーのいはゆる『強制と欺瞞の上に築かれた家族制度』が、存立の基礎を危殆ならしめつつあるものと見られる。

家族制度を強制と欺瞞の二點から觀察したフリエーの解釋には、彼れが『天才と狂人の混血兒』と批評される男だけあつて、思ふに呪咀の餘りの多分なる誇張があつたであらう。だが人類の全生涯を八萬年と見なし、これを三十二の發達段階に區切つたフリエーを知る程のものなら、彼れが戀愛の強制的欺瞞的組織としてのみ、家族制度の成立を解釋しなかつたらうことも推察に難くあるまい。

歴史的に見た家族制度は、戀愛的條件とは自づから別個な經濟的條件の發現であつた。勿論それは、戀愛的條件が少しも作用しなかつたといふ意味でなく、經濟的理由が主體で戀愛的理由が客體だつた、といふ程の意味に過ぎない。性慾は食慾と共に、人類の基本的な慾望ではあるが、それなりの輕重は兩者の間に求められる。即ち『戀しさと飢じさとをば比ぶれば、恥づかしながら飢じさが先き』と喝破せる如く、食慾は性慾よりもヨリ直接的な慾望であり、同時にヨリ痛切的な慾望たるを失はぬ。

今日のいはゆる家族制度は、一夫一婦の男女關係を基礎とした小家族制度である。父と母と子と、この三者は家族制度の三要素をなしてゐる。尤も中には、一家の家長夫婦に對する父母夫婦があり、反對に子女夫婦があつて、三夫婦も四夫婦も、同一家屋に混居する例は稀らしくない。が、これとて三者合體の關係を、横斷的でなく縱斷的に延長したものと言ひ得る。ところで、斯くの如き家族制度の結合は、果たして、夫婦相互の單なる性的慾望のみを紐帶として成立してゐるであらうか。それ以外に寧ろ、食的慾望を中心とする部分が甚だ多い。即ち、家族の収入源泉たる家長を中心として、全家族の彼れに對する服從が約束される代り、家長に依る彼等の生活保障が約束され、そこに家族制度の基礎が確立されたのである。つまり家長對家族の關係は、封侯對武士の關係を縮寫したもので、そこには支配と服從の關係が、おのづから約束されてゐたことが知られる。封建の諸侯は、十石二人扶持の三百石のといふ家碌を與へる代償として、臣下たる武士に絶體の忠誠を強制することが出來た。家族制度に於いては、夫は妻に對し、父は子に對し、彼等の生命を保障する代りに、彼等の絶對なる貞操と孝養とを強要しつつある。

尤も實際問題としては、封侯對武士の關係も、家長對家族の關係も、それほど交換的なものではない。寧ろ自然の人情を發露したと見られるが、しかし人情を分析すれば、斯くの如き生活保障と併行するが故に、それだけ經濟的理由を重視すべきだとも言ひ得るであらう。隨つて若し、自由戀愛が高調されて家族制度が浮動しつつあるものなら、それは取りも直さず、家族制度の維持存續を困難とする經濟的理由が、別個に新しくし作用し出したと解釋するの外はない。

本篇の主題は、斯くのごとき經濟的理由、即ち、家族制度の根本を危殆ならしめつゝある社會的原因の糾明にあるが、順序として次に、家族制度の出現以前に於ける男女關係を概觀して見たいと思ふ。

地球上に人類發生の歴史が描き出されてから、既に今日まで數十萬年を經過したといふ。そんな太古の太古は素より、人類學者のいはゆる新石器時代に於いてさへ、果たして男女關係が、亂交的だつたか制交的だつたかの定説はなく、中には亂交状態を假定する論者もあるが、これとて有無を斷定する材料は確實でない。ポール・ラフアルグに從へば、最初は亂婚的であつたが、次第に共婚的になつたといふ。共婚状態とは、『一氏族の總ての女子が、他の一氏族の總ての男子の妻であり、また反對に、前者の總ての男子が後者の總ての女子の夫であつた』状態を意味する。

この當時の生活單位は氏族であり、異性も財産も氏族の共有であつた。ところが、斯うした氏族相互間の無制限的性交は、色んな理由で、次第に男女一對の形體に配合されることとなつた。その理由に就いては詳述し得ないが、斯く男女一對の形態に配合され出してからは、伴侶を得られない男子は勢ひ、外部から女子を掠奪して來なければならなくなり、それが習慣化した結果、女子を一個の『所有物』と見なす觀念を生ぜしめた。女子を財産とみなす觀念が生じてからは、單なる性慾對象としてばかりでなく、寧ろ却つて經濟對象としての多妻制度が奬勵せられ、男子の狩獵に對して女子の耕作が行はれるやうになり、愈(いよいよ)女子の財産的價値が増大して來た。然るに間もなく、耕作の仕事は男子に奪はれたので、多妻制度の維持は經濟的理由に於いて困難を加へ、次第に一夫一婦の制度を、道徳的なそれに非ずして、經濟的なそれとして出現せしめたのである。エンゲルスはいふ。『家族が氏族に發達したのではない。反對に氏族が、血縁を基礎とする人類社會の本源的形態だつたのである。氏族社會が分裂し始めたとき、種々雜多な家族形態が發展し來たつた。』

氏族形態から家族形態に移り、一夫一婦の制度が道徳的に高調され出してからも、女子を財産と見る習慣は容易に抜け切れず、掠奪的手段が購買的手段に變つたといふだけで、依然として女子の社會的身分は、男子に比して低劣ならざるを得なかつた。寧ろ却つて、家族制度の確立は、愈女子の身分低下を助長したと見らるべき理由が多い。

一般論はその程度に止め、日本社會史に於いて、如何にして氏族形態が家族形態に變遷したか、その經過を具體的に調べて見よう。

神武天皇より大化の改新まで、凡そ千五百年といふものは日本の氏族時代であつた。隨つて、その間の政治組織も氏族單位であり、天皇は直接に人民を統治されず、物部とか蘇我とか、大氏族の首長が人民を支配してゐたのである。大化時代に至るや、人口増殖に伴ひ農業上の技術が次第に進歩し、從來の氏族的共産制の維持は困難を加へ、氏族制度それ自體が不自然なものとなり、人民に對する苛斂(1)誅求の手段以外に意味なきものたることを曝露するに至つた。斯くて從來氏族の内部に包攝されてゐた家族は、いはゆる大化改新に依つて政治上、經濟上、宗教上の單體たることを、法文的に認容されることともなつたのである。

日本の氏族制度は、大化改新を機縁として、家族制度に社會的單體の席を讓るには讓つた。けれども、事實的にはその後なほ數百年間、即ち群雄が諸方に割據せる戰國時代まで、依然たる氏族時代の連續であつたと見るのが正しい。

戰國時代に至つて、何故に氏族的餘勢が家族主義に更替したかといへば、その主たる理由は、當時の武士氣質の變化に最大の原因を求められる。群雄が諸方に割據した戰國は、要するに弱肉強食の時代である。氏や素姓よりも、武力に於いて秀れた者が覇を唱へることが出來た。そこで武士は勢ひ、利を追うて東西に流浪するといふ風であつたから、容易に郷土的羈絆と氏族的觀念から脱却するを得たのである。斯くてまた氏族的名譽を表象する系圖の改廢も自由に出來たので、氏族的關心の代りに家族的關心が助長され、茲に氏族制度の餘映は完全に消滅してしまつた。織田、豐臣の時代を過ぎ、徳川家康が江戸幕府を開始するや、眞の意味の封建制度が始めて樹立された。封建制度の確立は、やがて家族制度の確立を意味する。その道徳的理由に就いては、前にも觸れたから詳述を避けるが、要するに家族對家長、家長對封侯、封侯對將軍の縱斷的關係が、生活保障と忠順誓約の相互關係に於いて結ばれた結果、家族生活の原理と同じ原理に從つて國家が組織され、家族愛即ち國家愛の精神を貫通し得たのである。『家族制度は日本國體の基礎だ』とは、一般の常識である。なるほど一時は、家族愛即國家愛たり得た意味で、家族制度が國家組織の基礎たるを失はなかつた。しかし、封建國家から近代國家に更替した日本、農本主義から商工主義(産業立國主義!)に進化した日本、その日本が果たして何時まで、家族制度を國家組織の基礎たらしめ得べきかは疑問である。現に日本の國法は、それが家族主義的であるよりは、甚だしく個人主義的であることを特色としてゐる。例へば、財産上の權利に就いていふも、家族は家長と同じく所有權を保障されてゐる。政治上の權利に於いても、一定の資格さへ具備し得たなら、家長と同樣の選擧權を、時には却つて家長の所有せざる權利をさへ、家族にその自由行使を許してゐるのである。その他、凡百の權利義務の行使に就いても、家長と家族、男子と女子の差別は著しく撤廢され、封建時代に見たる家族制度の面影は、今や次第に色彩を褪化せしめつつある。

尤も日本は、歐米諸國に比較して封建制度の放棄が新しいだけ、法律習慣の全般に亘つて、尚ほ幾分か家族制度の遺跡を止めてゐるかも知れない。しかしそれも、所詮は程度の問題に要約せられるべく、今後は日進月歩の勢ひを以つて、個人主義的特色を濃厚に發揮するだらうと考へられる。それは如何なる理由に於いてであるか? 日本の現在の國家組織が、個人主義の原理を原理として構成されてゐるからに外ならない。

個人主義の原理とは、資本主義の原理と同義異語である。民力涵養的論客は、古來日本が農業を本位としたことを力説する。古來は如何にもその通り、農本國であつたればこそ家族的協働が奬勵され、惹いて家族制度を基礎とする封建國家の維持存續に貢獻したが、現在では少くとも、商工産業主義を立國の基礎としてゐる。而も日本の商工業は、英米に亞ぐ程度の發展を遂げるに至つたのである。家族制度を破壞する立國原理を採用しながら、滔々たる反家族主義の風潮を慨世憂國するのは、蝮膽を與へて飼犬の狂暴を後悔するの愚に齊しい。

日本は何故に、農本主義を放棄せねばならなかつたか? 國土狹くして地味痩せ、毎年百萬からの人口を増加する状態では、舊套依然たる農村政策を以つてしては、國民的福祉の保障を絶對に不可能としたからに外ならぬ。日清、日露の兩戰役は、斯かる日本國民の商工業的飛躍を目的として起こされたが、幸ひに戰勝の結果は、滿蒙地方及び支那本土に發展の機會が與へられることとなつた。やがて歐洲大戰の戰禍から遠ざかり得た偶然は、火事泥的に商工業の發展を促進し、押しも押されもせぬ大資本主義國の實質を獲得したのである。

資本主義は更めて説明するまでもなく、個人的營利の原則に立脚してゐる。個人的營利原則とは即ち、各人が一錢でも多く貨幣利得を収めようとする活動に外ならず、各人を擧げて利己的ならしめる意味で、個人主義の楯の反面的表現である。ところで、斯かる貨幣利得は如何にして収奪するかといへば、結局、生産方面に求めるしかないこと明瞭、生産方面に於いて出來るだけ斬新有效な機械を充用し、以つて大資本に依る大量生産をなすのが第一である。

然るに此の機械の充用といふことは、一面に於いて勞働者たる人々の熟練的特權を打破し、老幼婦女を擧げて勞働場裡に投入せしめる結果に導く。從來の手工的熟練に倚頼した時代には、多年の經驗と訓練とが絶對に必要であつた。けれども、如何なる手工的訓練よりも、遙か精巧にして微妙なる機械が生産上に充用され出してからは、人力は機械の補助機關として役立つに過ぎず、如何なる技術上の經驗も訓練も必要としなくなつた。そこで勞働者を使用する資本家は、高い賃銀を拂つて成年男工を雇傭するより、寧ろ老幼工でも婦女工でも、ヨリ廉い賃銀で使用し得る者を有利とした爲め、妻も子も娘も擧げて、工場に殺到せしめるに至つたのである。

勞働の熟練的特權が認められた時代には、多年の經驗と訓練を積んだ勞働者一家の主人が、その熟練的特權に於いて多額の収入が得られ、以つて一家の生計を支持することも可能であつたらう。だが、その特權が剥奪された今日となれば、彼れ一個の収入を以つてしては、家族全員の生活を支持することは容易の業でない。だからこそ、好むと好まぬとに拘らず、彼れの妻女乃至子弟をも勞働場裡に隨伴する結果を導いてしまつた。その結果、職業に有りつくため彼等相互の競爭を激甚ならしめ、惹いて賃銀の低下を相互的に助長することとなる。斯くて、多々益々彼等の受くべき賃銀を相對的に減少し、多々益々彼等の家族の勞働參加を強制することになつてしまふ。資本主義制度が、富める者をして愈富ましめ、貧しき者をして愈貧しからしめるといふマルクスの命題はその意味で、痛烈に眞理を喝破したと言はなければなるまい。

勿論この場合、家族全員の収入合計が、家長一個の収入に倚頼してゐた從前に比し、總計的に多額なるべき場合も少くはないであらう。だが、當面の問題として、斯く一家の収入源泉が分散して見れば、家庭とは事實に於いて、血縁に繋がれる人々の合宿所に過ぎない。形式上の家長はあつても、彼れの収入は一家の總収入の一部を構成するに過ぎず、彼れ一個の収入を以つては、たうてい一家の生計を維持し得ないのだから、從來の如き權威は、決して彼れの家族に揮ひ得ないことになる。

家長の實質が喪失した以上、家長を中心とする家族制度が維持される筈がない。經濟的實質を所有してこそ、妻に對しては貞操の義務を強制し得べく、また子に對しては孝悌の義務も強制し得たであらうが、表札上の名儀人としてだけなら、貞操も孝悌も『御戲談でせう』である。況して外に出でては相共に機械の附屬物として酷使され、無味乾燥なる勞働に疲弊困憊して歸り着いた家庭が、秋風落莫たる合宿所に過ぎぬとあつては、一切の家族的温情が雲散霧消するのも當然であらう。資本主義下の家族制度は、斯くして次第に沒落の運命を辿りつつある。

如上の例證は、便宜上ただ勞働者の一家を引用したに過ぎない。勞働者以外の家庭にあつても、一部少數の貴族や富豪を除く多數の勤人的家庭は、今や全く勞働者の運命と同じ經路を追隨するに至つた。父は古手官吏で母は老女教員、兄が會社員で弟が銀行員、姉がタイピストで妹がシヨツプ・ガールといつた家庭は、隨所にこれを發見し得るのである。彼等は何れも十呂盤なり、簿記棒なりの附屬物として働らき、やがて彼等の合宿所に貧しき夢を結ばなければならぬ。収入源泉の分裂、家長權威の失墜、貞操觀念の浮動、孝悌意識の稀薄、一つとして勞働者の家庭と異る部分を認められない。相違はただ、彼等の背廣と青服とのみである。

經濟上の一家總動員は、斯くして資本主義制度下に於ける絶對普遍の傾向となつた。而も尚ほ、資本制生産の發達が高度に達すれば達するほど、無産者群は量的にも質的にも、彼等の生活程度を次第に低下すべきを以つて、經濟的總動員は愈深刻ならざるを得ない。斯くて父は父、母は母、子は子といふやうに、各自の生活費は各自の収入で支辨する時代が到達したなら、好む好まぬは別個の問題として、家族制度の牙城も、自然天然に倒壞しなければならぬのが當然の理法である。けだし、家族的結合の基本紐帶たる經濟的條件が失はれ、女子に對する男子の性的支配が無力となる結果、戀愛を基調とする自由離合が促進されようからである。

當世流行の戀愛結婚論は、斯かる時代の到來を十分に首肯せしめる。勿論それは、素朴的でもあり發芽的でもある。が、親と親との定めた見合結婚を承服しなくなつた原因には、經濟的總動員の餘儀なき結果として獲得した生活上の自信が、彼等及び彼女等をして、戀愛結婚の讚美に傾向せしめた部分が甚だ多い。尤も現在のところ、餘りに制限的だつた過去の戀愛觀に對し、反動的に却つて、自由的なそれを渇仰するといふ程度に過ぎぬが、やがて次第に、自由戀愛は道徳的にも一般の承認を得る日が來るであらう。十年の後か、二十年の後か、それとも百年の後かは知らず、嘗て家族制度が氏族制度に更替した如く、今後は家族制度が他の新しい別個の制度と更替するに違ひない。

社會主義者達はその時機に關し、財産上の私有制度が共有制度に更替した場合に豫定してゐる。しかし私は、敢てその時機を俟たなくとも、自己の収入を以つて自己が生活しなければならぬ事情が深化すれば、恐らく家族制度は無用の長物化すべしと信ずる。而もさうした状態は、資本主義のヨリ高度なる發達が當然これを招來すべきが故に、資本主義下に於ける自由戀愛時代の出現も、案外近き將來に期待されるのではないかと考へられる。フリエーが『強制と欺瞞の上に築かれた』といふ家族制度の缺陷は、今後とも愈醜態を露出するに至るべく、貞操の權利義務は有名無實となるであらう。

最後に一言を加へる。斯く言へばとて、私は決して、自由戀愛の讚美者でもなければ渇仰者でもない。寧ろ反對に、自由戀愛などと大層らしくいはれると、蟲酸が走るほどの反感を覺えるのである。家族制度に對しても亦然り、私情に於いては人後に落ちずその諄風美俗性を認め、家族的結合を通して助長される愛國的精神が、又なく美しきものと常に感じてゐる。しかし一方、日本國民の福利増進は、飽くまで資本制生産の發達に倚存しなければならぬと考へる一人として、その當然の結果たる家族制度の壞滅も、一個の必然惡として瞑目しなければならぬと考へてゐる。自由戀愛に至つては、これも一個の社會的必然の反映なる意味に於いて、善惡是非の彼岸に觀照するのみである。


底本:『女性』第十三卷第三號(昭和三年三月)

注記:

※底本は総ルビ(漢数字を除く)。一部を除き削除した。ルビは丸括弧内に小字で残した。
(1)苛斂誅求:もと「苛劍誅求」

改訂履歴:

公開:2008/01/27
最終更新日:2010/09/12

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