社會進化における女性の位置

高畠素之

一、女性の所有

一定の社會に於ける女性の位置は、その社會の到達してゐる進化段階を表徴するものである。社會がまだ平和な原始的共産状態に止まつてゐる間は、女性の私有といふ現象も見られなかつた。當時の社會では、生活資料獲得の方法が幼稚であり、財産の保存や集積も殆んど行はれて居らなかつたのである。當時の社會に私有財産が發生してゐなかつたことは言ふまでもない。男女ともに團體生活上必要な勞務に服し、各種の有用物を生産したり消費したりしてゐたのであつた。しかし、誰もこれらの有用物を私有してゐるといふ觀念を持たなかつたのだ。

マクレナンやモルガンの主張する女性の共有は、この段階に見られる現象であらう。當時の社會的經濟的單位は、家族でなくて種族だつた。共有といふと聊か奇異に聞えるが、それは決して女性ばかりでない。一種族的集團の男女が、妻や夫を共同に持つてゐたのである。家族制度の萌芽である母系繼承、母系的家族は、この群婚時代に育くまれたものであらう。

しかし、人類社會はかういふ平和的段階から、戰鬪や狩獵による掠奪を特色とする段階に移つて來た。私有財産の發生と女性の動産化は、この時代に始まるのである。勿論、平和的段階でも、狩獵や戰鬪が全く行はれなかつたわけでない。偶然的突發的に、時にはまた頻繁に鬪爭や狩獵が行はれたであらう。しかし、掠奪的段階になると、それは最早や偶然的仕事でなく、常習的であり且つ最も榮譽ある仕事となつた。社會一般に好戰的空氣が漲り亘つて來たのである。

掠奪的段階において、強壯な男は常に暴力や策略を練り、かかる任務を果すべく努力してゐた。彼等にとつては、自然に提供するものを加工し利用する産業的勞働と、戰鬪や狩獵による掠奪的活動とは、全然違つた種類のものだ。掠奪的活動は尊敬に値するけれども、生産的勞働は蔑視すべきものである。隨つて、高貴な任務に從事する強壯な男性が榮譽ある人々であり、賤役に服する女性が卑しむべき者共であると考へられて來るのも無理でない。この差別感は、男女の仕事を益々分化させ、階級の發達を助長することになつた。狩獵者自ら彼れの斃した獵獸を携へて歸ることなく、これを運ぶ賤役のため、わざわざ女性を派遣するといふ習慣は、多くの狩獵種族の間に見られるところだ。彼等の差別感が如何に強烈であるかは、これによつて知ることが出來やう。

掠奪的社會では、獵獸の捕獲や他種族からの掠奪によつて、事實上生活資料が豐富になる。そこで.榮譽ある強壯な男性は、生産的規則的な勞働に從事する必要がない。生産的勞働は、女性及び男性中の老衰者や虚弱者に任しておけばいゝのだ。強壯な男性は、武を磨いて功名をあらはせばよいことになるのである。平和的な共産状態の下では、個々人間の競爭も、當時の種族生活上有用な物(多くは生産的有用性)を對象として行はれた。然るに掠奪的段階では、彼等の關心が專ら掠奪にある結果、個人間の競爭も暴力的功名を對象とするやうになる。そこで、狩獵の捕獲物や鬪爭による略奪品が、彼等の暴力を證明するものとして重要視されるやうになつた。

戰勝記念品として、所有者の優越を物語るものとして、物の占有が行はれて來ると、敗北種族の女性もまた戰利品と化する。敗北種族の女性を占有することは、他の物品を占有するよりも遙かに意味がある。女性の占有は、占有者の勇猛を證明するばかりでなく、その支配慾と強制慾とを滿足させることになるのだ。その上、當時の社會では女性の提供する勞務が頗る重要なものであつた。だから、私有財産の起源は女性であるとも見得るであらう。敗北種族の男性を奴隷とすることは、恐らく女性所有の行はれた後に生じた現象であらうと考へられる。

この女性掠奪の風習は、所有結婚、即ち強制に基く結婚を生じ、男性を家長とする族長的家族を發生せしめた。平和的な原始共産社會では、平等な存在であつた女性も、かくして完全に動産化することとなつた。女性及び其他の奴隷は、富の證左であると同時に、富の集積手段であつた。殊にそれは、牧畜種族において然りであつた。彼等の間では、所有する女性・奴隷・家畜の多數が、經濟的優劣を計る尺度となつたのである。當時の女性が、それ自身一の人格でなく、單なる價値單位であつたことは勿論である。

隨つてこの段階では、一夫多妻制が行はれてゐた。富裕な者、權力のある者程、多數の妻を私有することが出來たのだ。

二、富の蓄積、購買結婚

奴隷の利用は、つまり種族的集團の生産力増大である。集團中の優越階級は、次第に多くの剩餘生産物を私有財産として蓄積するやうになる。そして彼等は、戰鬪的掠奪よりも、奴隷的生産制度による經濟的搾取に熱中することとなるのである。彼等の蓄積してゐる剩餘生産物は、やがて他の種族的團體と平和的に交換されることとなり、遂には交換を目的とする生産すら行はれるやうになつた。

この段階では、掠奪的活動が排除され、戰利品、捕獲物などといふ掠奪的功名の記念物の代りに、集積した財産が成功と榮譽の證左となるのである。勿論さればと言つて、一切の勇猛が社會的な賞讚を受けなくなるわけでない。勇猛と功名は依然として最高の尊敬を受けるであらう。掠奪的本能と掠奪的能力を尊敬する念慮は、久しきにわたつた掠奪的段階における訓練によつて、一般の思想習慣に沁み込んでゐるからである。ただ、かういふ掠奪的能力を示し得る機會が、次第に減少するのである。言ひ換へれば、最高の名譽は依然として、掠奪本能發揮によつて得られるであらうけれども、これに次ぐところの、若しくは普通一般の名譽と尊敬を受けるためには、富を集積すればいいといふ事になるのである。

富の集積が、社會的に賞揚さるべき行爲になると、間もなく富それ自體が、内具的に名譽あるものとなる。即ち初めは、富を集積する能力の證左として、財産の所有が尊敬されたのであつた。然るに今度は、相續によつて取得したものにせよ、掠奪によつて取得したものにせよ、富そのものに榮譽があるから所有者が尊敬されるといふ事になつたのである。かういふ社會では、何人もその自尊心を滿足せしめるために、出來る限り多量の富を集積すべく努力するやうになる。殊に、富が所有者に一定の權力を許與する媒介となることも、集積の動機として見逃すことが出來ぬ。

富の所有が社會的名譽の根柢となつたと言つたところで、單にこれを所有してゐるだけでは、尊敬を博し且つそれを維持して行くことが出來ない。即ち富の所有を表明しなければ、世人の尊敬を受けることが出來ぬのである。そこで富を表明する方法が發達して來る。生産的勞働を絶つことは、第一の方法である。掠奪的な段階でも、生産的勞働は劣弱階級の證標であり、優越階級は絶對にこれを嫌忌してゐたのであつた。この傳統は社會的發達が進むに從つて、更らに勢力を得て來るのである。

掠奪的段階では、非生産的階級と生産的階級との區別も、一種の禮式に過ぎなかつた。強壯な戰鬪者達は賤役を避けるために苦心してゐたけれども、狩獵その他に依つて實際上生活資料獲得に役立つてゐたのである。然るに今や奴隷制度が確立して、牧畜者その他の隷屬階級が出現したため、生活資料の獲得を掠奪的勇猛に依頼しないで濟む程、産業が進歩してゐるのだ。この段階における生産は專ら奴隷によつて行はれ、富も主として奴隷によつてあらはされる。隨つて勞働の回避は、奴隷の所有、富の所有を表明する所以となり、社會的尊敬を博する手段と化するのである。

單に生産的勞働ばかりではない。富の所有者は、更らに一切の僕婢的勞務をも拒否するやうになる。卑俗的な勞働に從事することは、平生僕婢にこれを命じてゐる人々、絶えず僕婢にかしづかれてゐる富裕な人々にとつて、耐え難いものと考へられるやうになる。そこで、富裕と優越とを表明するには、あらゆる卑俗的賤役的勞働を拒否しなければならなくなる。勞働に熟練し、これらの勞働を嫌惡しないことは、取りも直さず貧困と隷屬の表徴である。

かうして優越階級は、全く非生産的な生活を送るところの有閑階級となる。生産的勞働を回避する結果、即ちその閑暇の結果として、彼等の間には學問や藝術、殊に直接人間生活に寄與するところのない知識や技術が發達する。神祕科學・古典語學・詩形論・家庭音樂・運動競技等の如きものがそれである。また有閑階級は、凡ゆる形式的儀式的な儀禮を進歩せしめるものである。一切の儀禮は有閑階級の勢力と共に消長すると言つても過言であるまい。近代社會では上流階級の人々でさへ十分の作法を心得てゐない、と昔氣質の紳士が長嘆するのは、これ取りも直さず有閑階級の勢力が衰微して來たことを物語るものである。

有閑階級が發達するやうな時代には、各種族とも定住生活をつづけてゐる。隨つて他の種族から女性を掠奪して來ることは、殆んど不可能であつた。そこで、結婚は多くの場合族内的に行はれる。しかも、女性は依然として有用な動産であるから、代償なしに得ることは出來ない。所謂購買結婚なるものはこの時代の現象である。富裕な階級にとつては、多數の女性を所有することが、經濟的優越の表徴となつたであらうから、當時に於いても一夫多妻が多く行はれてゐたに違ひない。

三、女性の勞働免除

掠奪的段階における女性は、主人のための苦役者であつた。主人たる男性の消費物を生産し管理することが、女性の仕事であつた。女性の消費は、女性自身の生活の愉樂と充實のためでなく、課せられた勞働を繼續してゆくために許される必然惡に外ならなかつた。極上等の食糧品、アルコール飲料、珍奇な装飾品などを用ひるのは、支配者たる男性の特權であつた。かかる財物の不生産的消費は、勇猛の徴標として尊敬に價ひするものとされたのである。

女性にとつては、これらの贅澤品の消費が一切禁制であつた。この禁制は女性ばかりでなく、子供及び卑賤な階級の男性にも適用されてゐた。今日の社會でも、女性が男性に比して、ヨリ節慾を重んずる風を示すのは、この當時における絶對命令的因習に基くものである。殊にアルコール飲料や麻醉劑は、それが極めて安價に得られる國の外、強制的に愼しむべきものとされてゐた。主人の愉樂を増し、若しくはその聲望に寄與し得る場合の外は、一切の奢侈品を消費すべきでないといふ因習が、永い間培はれてゐたのである。この因習は今日においても、女性の動産視が甚だしいところに、最も強く殘つてゐるやうだ。

しかし、有閑階級の發達は、次第に女性の生産的勞働を免除し、支配者たる男性の聲望のため、奢侈品の消費をも許すこととなつて來た。女性が生産的勞働から脱却することの出來たのは、掠奪結婚が行はれなくなり、且つ有閑階級的儀禮が發達してからのことである。かういふ社會では、上流階級における正妻が名門の出身であつた。そこで門閥の重んぜられる當時においては、優秀な血統を傳へるものとして、正妻に僕婢以上の地位が與へられることとなつたのである。

一方、當時は形式的な儀禮が發達し、いろいろな儀式や、家具調度の取扱ひに關する禮法などが煩雜になつてゐた。隨つて有閑階級における正妻は、主人に對する奉仕や、儀式的又は家内的勞務のために、事實上賤役に從事する暇がなかつたのだ。そこで彼等は、門閥の傳承者であることと相俟つて、先づ生産的勞働を免除されたわけである。

正妻に次いでは、僕婢のうち直接主人の身邊に仕へ、家内的勞務に携はらなければならなかつた者が、生産的勞働を免除されたであらう。多くの僕婢が非生産的雜務に服してゐるといふ事は、その所有者の經濟的優越を物語るものでなければならぬ。だから、生産を免除された僕婢は、家内的雜務のために、生産的勞働に服してゐる餘裕のないことを示さねばならなかつたのである。常に家内的雜務に追はれてゐることを示すためには、かかる勞務に熟練してゐなければならない。僕婢が平生荒仕事に從つてゐるやうに感ぜられる武骨粗暴な態度で、主人の身邊に仕へることは、主人の經濟的優越感を傷つけ、その體面を汚す所以だとされた。

勞働の免除と共に、妻女や僕婢の消費も主人の體面のためとなつた。女性が美服をまとふのは、主人の愉樂を増すためばかりでない。その富裕的立場を、經濟的優越を誇示するためである。隨つて女性の衣服は、高貴なものであらねばならぬと共に、著用者が生産的勞働に從事してゐないことを明示し得るものでなければならぬ。例へば大きなボンネツトや高い踵の婦人靴の如きものは、著用者が生産的勞働に從事することの絶對的不可能を示してゐるものだ。また、僕婢に對して、制服乃至揃ひのお仕着せを與へるのも、主人の體面のためでなければならぬ。

かういふ現象は、封建時代において最もよく見られるところである。有閑階級の發達は、封建時代において頂點に達してゐたのだ。王侯領主の生活は、代表的な實例である。上層の階級に行はれる事物は、ヨリ下層な階級に絶えず模倣されてゐるものである。だから封建時代には、かういふ現象が一般に模倣され、普遍化することとなつたのである。

しかし今日の社會では、最早やかういふ生活樣式が代表的なものでない。一人の支配的男性に從屬する僕婢の數は、次第に減少して來てゐる。封建時代には、事實上一夫多妻制の餘風が上流階級の間に殘存してゐた。しかし今日では、それも殆んど失はれてしまつてゐる。勿論、さればと言つて、有閑的生活樣式が一切消滅し切つてゐるといふわけではない。永い年月の間に培はれた因習は、今日尚ほ餘映を放つてゐる。けれどもそれが、漸次衰滅してゆくべき運命にあることは、疑ふ餘地がない。

四、現代の女性

現代の社會では封建社會と違つて、一般の男性に閑暇を氣取る風習が尠ない。殊に中流以下の階級では、さうなつてゐるのである。今日のやうな生産的段階では、これらの男性にとつて、周圍の事情から閑暇を氣取る必要がなくなつたのだ。しかも事情は逆轉して、かつては男性の代理的苦役者であつた女性が、閑暇と富裕を誇る因習の代表的遵奉者となつてゐるのである。試みに今日の中流家庭を見よ。妻が相當な衣服を纏ひ、彼女自身が装飾物である家庭で生活用具の手入れや保管に服したり、有閑的虚禮を果すべく外出したりするために、主人たる男性は精根限り活動してゐるではないか。

所有、被所有の關係は全く一變したかのやうである。しかし、今日女性に與へられてゐるところの閑暇と浪費は、本質上女性自身の愉樂と幸福のためではない。それは所有者たる男性の體面と優越とを保たんがためである。この點においては、封建時代の女性と差別がない。今日の女性は、男性自身が閑暇と浪費に耽り得ぬ状態に置かれてゐるため、その體面を保つべく代理的行爲を許されてゐる迄である。女性の閑暇と浪費とは、依然として永久的僕婢の烙印に外ならない。

顧みれば私有財産の發生以來、女性は一貫して男性の動産であつた。女性の樂園は母系繼承時代、群婚時代と共に終焉を告げたのだ。それ以來、女性史は常に暗黒の頁を辿つてゐる。騎士(ナイト)時代における女性が、榮譽と尊敬を贏ち得てゐたかの如く見えるのも、皮相的現象に過ぎないのである。貴婦人に豪奢な生活が許されてゐたのは、所有者の優越を明示し得るからに外ならない。だから、表面上、騎士の愛敬を受けてゐた貴婦人も、實際には夫の絶對的支配を受ける奴隷だつたのだ。夫の出征中、數年間に亘つて妻を塔の中へ監禁しておいたといふやうな話は、決して珍しくないのである。十字軍の騎士が出征に當つて、妻の身體(からだ)へ錠をおろしたといふ事實は、當時の女性が事實上、榮譽と尊敬の權化でなかつたことを語るものであらう。

しかし、産業革命によつて從來の封建的生産制度が破壞され、あらゆる封建的諸關係が覆へされてしまつた。從來有閑階級が占めてゐた支配的地位は、活動的な資本家階級によつて奪はれた。閑暇は最早や經濟的優越の表明ではなくなつたのだ。有閑階級の後光は、完全に剥ぎ取られて終つたのである。資本主義社會における理想的生活樣式は、不斷に經濟的活動を續ける資本家的生活でなければならない。

多くの男性は、最早や有閑階級的因習に捉はれてゐることが出來なくなつた。著しく増大して來た勞働階級はもとより、中間的諸階級も安閑として閑暇を氣取ることが出來なくなつたのである。殊に勞働階級の如きは、家長たる勞働者の賃銀が次第に低下して來てゐる。彼等は最早や、有閑階級的因習に從つて、その妻に代理的な閑暇を貪らしておくことすら出來なくなつた。中間階級の生活も、封建的社會におけるそれに較べて著しく困難なことは言ふまでもない。中間階級の中には、その生活を支へ得ずして、賃銀勞働階級に沒落してゆくものが尠くないのである。

その上、資本主義生産の下では、機械の使用が盛になつて來る結果、勞力が著しく單純化される。特殊な熟練と力とを必要とする勞働は、次第に減少して來るのだ。そこで、家長の収入低下と相俟つて、女性及び少年少女の勞働者が増加するのである。實際今日の勞働階級にとつては、性及び年齡の區別は何等の社會的價値を持つてゐないのだ。

資本主義生産は、個人の自由及び獨立を前提する。自由主義は資本主義社會の思想的背景なのだ。十八世紀の中葉以來、個人の自覺と獨立とが絶叫されてゐるのは、即ちそのためである。個人主義の思想は、永い間動産的地位に安住してゐた女性に、覺醒を促すこととなつた。その結果として、勞働階級以外の女性も家庭を離れて職業を求め、經濟的獨立を計るやうになつて來たのである。一九二三年、アメリカには八百五十萬の婦人勞働者、九千人の女醫及び女性齒科醫、千七百人の法律家、千八百人の女牧師があり、女性の從事してゐない職業が僅か三十三種に過ぎなかつたといふ事實は、如何に女性の獨立が盛んになつて來たかを示すものであらう。

女性の大部分が、男性の扶養と支配を仰ぎ得ないといふ今日の經濟的事實は、再び女性を自由と獨立の樂園に復歸せしめやうとしてゐる。女性の經濟的獨立と家族制度の崩壞とは、避くべからざる社會的傾向である。しかし、今日の社會においては、尚ほ多分に封建的因習が殘存してゐる。隨つて、事實上男性の扶養と支配とに依頼することの出來ぬ状態にありながら、尚ほ家庭的城塞と因習的虚榮とを離れることの出來ぬ女性も尠なくない。

一方、一部の女性中には、封建的因習の一切を否定するあまり、極端な反抗と放縱を誇としてゐるものもある。保守的封建的女性と急進的反抗的女性、それらが錯然として複雜な色彩をなしてゐる。それは今日の如き、過渡時代においては避けられない現象であらう。現代の女性は、動産的地位からそれ自身獨立した存在たる地位に移されやうとしてゐるのだ。營々勞苦して妻に閑暇と浪費とを代行せしめる男性が次第に減少して行くであらう如く、安閑として閑暇を貪つてゐる女性も、漸次減少してゆくに違ひない。すべての女性が、かういふ有閑的因習から解放された時、女性史の暗黒な頁は閉ぢられるのである。その時こそ永い年月の動産的地位から、すべての女性は原始的樂園に解放されるであらう。


底本:『女性』第十卷第五號(大正十五年十一月)

注記:

※総ルビ(漢数字を除く)

改訂履歴:

公開:2008/01/27
最終更新日:2010/09/12

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