家族主義と個人主義

高畠素之

日本は家族主義の國だとよく言はれる。しかし、最初から個人主義だつた國がないやうに、未來永劫家族主義に止り得る國もない筈である。家族主義の擁護者達が、『個人主義の國』だとしてゐる西洋諸國にも、嘗つては家族主義の時代があつたのだ。家族主義も個人主義も、要するに社會の經濟的發達が生み出すそれぞれの段階である。集合的家族時代から父權的大家族時代へ、更らに近世の個人的家族時代へといふ進化は、各民族各(1)國民間の特殊事情を超越した普遍的形相なのだ。從つて、日本だけがその圈外に立ち得ないこと勿論である。

然るに今日尚ほ日本で家族主義が支持されやうとしてゐるのは、歐米諸國に比べて經濟的發達が著しく遲れてゐた結果であらう。農業が代表的産業である時代には、各國ともに大家族主義が保たれてゐたのであつた。土地の占有が自由に行はれた時代には、その上に勞働する人間が多ければ多い程、澤山の富が生産されたのである。從つて多數の家族を擁する者程富有であり、多數の人民を支配する征服者程、より強大な武力を備へ、より優越な政治的權力を獲得し得たのであつた。この時代において家族の膨張、人口の増加が望まれたのは當然である。大家族主義はこの時代に派生する普遍的現象だつたのだ。

徳川末期に至るまで、日本では農業が代表的産業であつた。そして始めは、土地の占有、未耕地の開發が可なり自由に行はれてゐたのだから、大家族主義が讚美されてゐたに違ひないのである。土地占有が自由であれば、増加した家族を未耕地の耕作に從事させ、より多くの富を獲得することが出來たからだ。尤も、徳川時代の中葉からは租税の苛斂誅求が甚だしいから、新田の開發は勿論、耕地さへ放棄されることがないではなかつた。しかし、かういふ特殊な事情があつたとは言へ、大體において當時の經濟組織が大家族主義を有利とするものであつたことは言ふまでもない。

かうして大家族主義の維持存續を必要とする經濟組織が、比較的最近まで續いてゐたことは、今日尚ほ家族主義の餘映を盛んならしめる所以だと考へられる。ヨーロツパ諸國では、中世都市の發達と共に家族主義時代から脱却して來たのであつた。然るに日本では、維新後ヨーロツパの近代的工業が移入されるまで、經濟的に家族主義時代を脱却し得なかつたわけなのだ。吾々の眼界には何時も原始時代からの歴史發達過程が入つて來るわけでない。大體において、現在を起點として五十年なり百年なりの歴史が遡られるだけだ。そこで、つい日本の家族主義が固定的永久的なものであるかのやうに感じられるわけであらう。

しかし、維新以後の經濟的發達は、事實上、大家族主義の根據を破壞しつくした。産業界における農業の位地は、新興の近代的工業に奪はれてゐる。近世工業は賃銀勞働者、殊に不熟練勞働者の激増を招來した。そして、家長たる勞働者の賃銀低下は、家長權の實質的根據を失はしめたのである。農業時代には、家長の指揮によつて協力的に勞働してゐた各家族が、今やそれぞれの賃銀を稼ぐべく、工場に走らねばならぬこととなつた。機械の發達は次第に不熟練勞働の需要を激増し、家庭的城塞から婦人や(2)子供を狩り立てゝ行く。從つて今日における勞働階級の家庭は、封建時代のそれとは違ひ、一種の合宿所と化してゐるのである。

一方、耕地獲得の困難と農村の生活難とは、農民の離村を激増させる。未耕地の開發が殆んど不可能な今日では増加した家族の耕すべき土地がないのである。かうして、今日では一切の家族主義的基礎が失はれてゐるが、反對に個人主義の經濟的根據は益々完成されつゝある。

資本主義が、自由主義的個人主義的思想を隨伴することは言ふまでもない。從つて資本主義の移入後制定された日本の法律には、可なり個人主義化した部分がある。しかし、元來家族主義的思想に立脚してゐるだけに、日本の法律は頗る過渡的な不徹底なものとなつてゐるのだ〔。〕法律が社會的輿論、社會的制裁の具體化したものである以上、(3)かゝる法律の行はれてゐることは、社會の一般的思想がかういふ過渡的不徹底に陷つてゐることを示めすものだと言はなければならない。

考へて見ると、實質上家族主義の根據が失はれてゐる時代に、尚ほ多分に家族主義的傾向を持つ過渡的思想が蔓つてゐることは、滑稽でもあり不便でもある。分別盛りの子息が情死しようとしたからと言つて、北里博士が社會的制裁を受けなければならぬのは滑稽至極である。事實上獨立してゐた家族の遺産が、未亡人の手に渡らず、戸主に沒収されてしまつたりするのは不便極まる話だ。

現代における大小の家庭的悲劇は、多く事實上の經濟的な個人主義状態と、形式的な法律的家族主義制度との衝突に基くのではなからうか。家長の支配力が次第に失はれ、家族的生活が支持されなくなつたのは止むを得ない現象である。人類の生活單位が次第に縮少されつゝあるのは、是非善惡を超越した避け難い傾向なのだ。大河の流れが何れに向つてゐやうとも、吾々はこれを阻止することが出來ない。大河の流れは、勢の赴くまゝに放任するほかないのである。徒らに奔流を阻止しようとすることは、無用の犠牲を多からしむるばかりだ。個人主義化が避け難い奔流であるからには、徒らに抵抗することなく、寧ろこれに適應、これを善導することが、最も禍を小ならしむる所以であらう。


底本:『文化生活』第四卷第十號(大正十五年十月)
『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂,昭和五年)再録。

注記:

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改訂履歴:

公開:2007/12/2
最終更新日:2010/09/06

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