二六、社會雜感

高畠素之

負けて勝つ

納簾を貸して母屋をとられるとか、負けるは勝ちとかいふが、私は社會關係の進歩といふものは大抵この形で進んでゐるのではないかと思ふ。負けるのは名を捨てることで、勝つのは實を取ることである。負けたものは亡びるわけだが、勝つたものが決して實質的に勝つてはゐない。

早い話が、人類社會の經濟關係は奴隷制、ギルド制、農民制、賃銀制等いろいろな形に進んで來た。そして、一方の形から他方の形に推し移ることを社會の進歩とか發達とかいふ。進歩の各段階が鬪爭の形で展開することは、階級鬪爭説の教ふるところである。奴隷制から賃銀制まで進むには、その間いく種類となく鬪爭の段階を經て來た。鬪爭の都度、新興要素が在來の古い要素に打ち勝つのである。この意味からいへば、社會の進歩とは舊要素に對する新興要素の勝利の歴史だといひ得る。

しかし、その勝利といふのは、單に形の上だけの話であつて、實質上は却つて新興要素が古い要素に同化降服してゐるのではないか。奴隷制度に比べると賃銀制度は少なくとも形の上では非常な進歩であり、古い要素に對する幾段もの超克を示してゐるが、實質はこれもつまり形を換へた奴隷制度に過ぎぬ。だからマルクスは、賃銀制度を賃銀奴隷制度と呼んだのだ。その意味において、奴隷制度は負けて而も勝つたのだといふことが出來る。

同じことは、日本の政黨政治と官僚軍閥との關係についてもいひ得る。日本の政治史が官僚政治から政黨政治への推移を示してゐることは何人も疑はない。日本の政治的勢力の中心は、官僚軍閥の手から政黨に移動して來た。桂太郎は軍閥の母屋から飛び出して、みづから政黨を築き上げた。原敬は官僚軍閥を籠絡して、貴族院にも樞密院にも政友會の勢力を瀰漫させ、結局『純然たる』政黨内閣の俑をひらいた。田中義一に至つては、桂の手を一層素町人化して、舊軍閥の母屋からその儘既成政黨へ入婿した。これなどは、明かに政黨政治への降服をスタンプしたものといへやう。

斯う調べて來ると、なる程、政黨政治の勝利といふことも考へられる。しかし、それは形の上だけの話ではないか。若し形の上だけでなく實質上にも政黨政治の勝利だといふなら、政友會にしろ、民政黨にしろ、少なくともその首領は生へぬきの黨人から出て來さうなものだが揃ひも揃つて官僚軍閥上りを首領に頂いてゐる。一番黨人らしかつた原敬にしても、尾崎や犬養とはちがひ、もとを洗へば官僚育ちである。

その他、田中はいはずもあれ、高橋是清にしても、加藤高明にして〔も〕、若槻にしても、濱口にしても、結局政黨に席を移したとはいふものの、育ちにおいて出發點においては純然たる官僚ツ子であつた。

それも、首領や總裁がほんの申わけ的看板に過ぎぬといふなら別問題だが、政黨殊に日本の既成大政黨の首領は一種の獨裁君主であつて、積極的に能動的に自黨の一擧手一投足を決定してゆくのであるから、歴代の首領が斯く申し合せたやうに負けた筈の舊勢力陣營から選り抜かれるといふことには、何か特殊の社會的意義がなくてはならぬ。

それはつまり、官僚や軍閥の舊勢力が政黨に負け、政黨の納簾に降參したやうな風をして〔、〕その實、政黨の母屋を米櫃ぐるみ舊勢力化してしまふことを意味するものではないか。私にはどうしても、さうとしか思へぬ。それだから、世間の舌足らずが、やれ政黨政治の勝利の軍閥の沒落のと囃し立てゝも、そんな空念佛に相鎚を打つて見る氣になど私は戲談にもなれぬ。どうせ、舊勢力的母屋なら、納簾まで舊勢力の方が、氣の短い我々風情にはどれだけ助かるか知れないといふものだ。

支那の三民主義とやらにしたところで、いよいよ今度といふ今度は青日白日旗(1)が四百餘州にへんぽんとし出したさうだが、例の大勢順應といふ奴で猫が杓子でも元手いらずの三民主義に商賣かへといふ状勢だから、これも結局、納簾を貸して母屋をとられる御愛嬌に終らずんば幸ひである。謂はゆる凱旋三將軍のうち、蒋介石を除く他の二人が二人とも舊北方軍閥育ちであることなど、日本の官僚對政黨關係にさも似てゐる。

尤も、由來進歩とはさうしたものだからそれでよからうといふなら、なる程それもさうだと引き下る外はない。

流行思想

理論鬪爭だの辯證法的唯物論だのと言ひ出されると、またかと思はずにゐられない。上は一流の共産黨諸君から下は紅顏の學生勞働者諸君に至るまで、テレオロギーのアウフヘーベンのとしかつめらしい横文字を竝べて、理論鬪爭に夢中のやうだ。時勢とは言ひながら、辯證法の流行勢力も亦大なる哉である。

辯證法的唯物論も勿論結構であらう。しかし、この頃の信者諸君は箸の上げ下ろしにも辯證法を適用しないと氣が濟まぬらしい。そこで流行の勢ひも『坊主憎けりや』を逆に行つて福本式用語の末にまで及ぶ。プロレ文學雜誌や勞働團體の宣傳ビラまでが、辯證法であり『戰ひ取らねばならぬ』である。類比を求めるのも相濟まないが、宛然猫とシヤクシが握り太のパラソルを得々と持ち廻る光景に似てゐる。握り太も程を越えるとパラソルの實用價値は兎も角一切合切が呪はしくなつて來る。パラソルと辯證法のない國はないか、と嘆聲を發したい位だ。

パラソルや辯證法に關する新流行は、何うしてこれ程一般化したのであらう。――などゝ言ふと御信心の諸君から尤もらしい長講を承はらねばならなくなるかも知れないが、吾々にも吾々の見解がある。それは、流行の根源となる新奇さが、パラソル乃至辯證法の本質にあるのでなく、外形的附隨的な、何うでもいゝ點にあることと、模倣が容易なことゝに基くのだらうといふ事だ。

パラソルの柄の太さは日燒を防ぐその實用性に關係がない。實用性に關係がなく、しかもこれを愛用することに依つて、ある新らしさを表明出來るとすれば、暗示にかゝり易い猫やシヤクシが滔々と模倣に陷つてゆくのも成程と肯ける。假に新發明が本質的なものであり、實用性が全く變化したとすれば、模倣も勢ひ大げさになるから、柄のそれの如く一般化して行く筈がない。

そればかりでない。パラソルの柄位ならば、流行を追ふことも經濟的にさ程困難を感じないで濟む。高價にして珍奇な織物が發明されたのでは、猫やシヤクシが流行の波に乘る事は出來ない。しかし多寡が數圓のパラソルなら、模倣も極めて手輕に出來る。それ位のもので敢て隣人に遲れをとる必要もないと言ふことになる。

この關係は、装身具一般の流行がよくあらはしてゐると思ふ。即ちパラソル、シヨール、手袋といふ風な比較的安價であり附隨的なものは流行の變遷も激しいが着物や帶のやうにより高價な、より本質的なものは變遷も割合に緩漫(2)である。それは經濟的にも心理的にも後者が前者ほどに容易く模倣出來るものでないからだと思はれる。

理論鬪爭や辯證法が流行的勢力を得たのも、要するに外的附隨的新奇さが愛好されたに過ぎない。大した努力や危險なしに模倣出來るところから一般化したまでのことである。理論的戰ひ取りで或る新らしさと勇敢さをあらはし得るとすれば、紅顏の少年ならずとも雷同したくなるだらうではないか。理論鬪爭の深化と言へば大げさだが、パラソルの骨が十本から十二本に進化するやうなものである。單語の二三と辯證法の公式を學ぶことに依つて自己陶醉が出來るなら、二圓なにがしでパラソルを買ふよりも容易な話だ。

猫の眼のやうに變る流行思想は多かれ少かれ理論鬪爭的要素を含んでゐる。型や色が如何に變化しても、パラソルや帽子そのものが廢れないやうに、實用性を持つたものゝ生命は比較的永い。たゞ、その上に新味を加へた流行品のやうに、耳目を刺戟しないだけだ。刺戟もいゝが縞リボンや理論鬪爭にかこまれると、柄に合つた古ソフトでもかぶつてゐる人が床しくなつて來る。

革ぶくろ

理論鬪爭の親類筋と看做すべきものに、プロレタリア藝術運動がある。しかし、前者と違つてこれは、外形的な新奇さだけを案出するのが目的ではないらしい。尤もプロレタリア作家の中にも、新感覺派とやらの諸君の尻馬にのつて外形的新工夫に憂身をやつしてゐる人がないでもない。が、プロレタリア論客諸君に從ふとプロレタリア・イデオロギーに基く内容的に新らしいものでなければならぬらしいやうだ。

この頃では、プロレタリア作家も可なり商賣雜誌へ進出して來たが、巧拙を兎に角とし、取材の對象を兎に角とすれば所謂ブルヂオア作家のものと大した隔たりがない。勞働者や貧民を扱つたからと言つて、必ずしもプロレタリア小説が出來上がるものでないことはプロレ作家諸君が自ら範を垂れ給ふところである。

プロレタリア文學におけるこの理論と作品の遊離は、プロレタリア作家が在來の藝術形態殊に小説を追ふてゐるところから生ずる必然の現象ではなからうか。小説がプロレタリア・イデオロギーを盛るために發生したものであるか何うかは知らない。然し少くともそれが、プロレ論者の所謂ブルヂオア藝術の典型的形態であることは否定されないであらう。それは今日の所謂ブルヂオア文學が小説を中心としてゐる事に依つても察せられる筈である。ブルヂオア文學の形態をかりて、プロレタリア文學の實を擧げやうと試みてゐるのであつて見れば、ミイラ取りが兎角ミイラになり勝ちなのも、已むを得ない結果だと言はねばなるまい。

小説には小説としての歴史があり約束がある。プロレタリア作家であらうと何であらうと小説を書かうとするには、或程度までその約束を守らなければならぬ。さもなければ作者の意圖如何に拘らず、小説といふ名稱が與へられないのだ。そこに忠ならんとすれば孝ならざる結果が生ずるといふことも考へられるのである。

そこで私は思ふ、プロレタリア作家は何故新しい形態の藝術を案出しないのであらう、と。新しい酒必ずしも古き革ぶくろにもらねばならぬわけであるまい。理解し享樂するために、豫備的教養を必要とするところの貴族的藝術に捉はれず、プロレタリアの感覺へ端的に訴へる新しい藝術を創造して行く事こそ、本當のプロレタリア藝術運動なのでなからうか。

現在の小説がブルヂオア小説であり、現在の作家がブルヂオア作家であるならばそれはそれなりに放任しておけばいゝ。恐らく放任しておいても、ブルヂオアと共にその勢力を失つてゆくであらう。それは丁度、謠曲の如き貴族的音樂が次第にその勢力を失つて來たやうなものである。徳川初期の町人が謠曲を『戰ひ取る』ことだけに熱中してゐたら、淨瑠璃や小唄のやうな民衆音樂も容易に生れて來なかつたであらう。

小説や戲曲に捉はれてゐることそれ自體が、救はれざるブルヂオア意識を暴露してゐる。謠曲だけが音樂でないやうに、小説だけが文學でない。所謂ブルヂオア文壇だけをねらつてゐるからプロレ運動が物欲しげに見得るのである。プロレタリア文學が新しい酒であるならば革ぶくろも新しく案出すべきである。

社會的浸潤

嘗て文學の社會的浸潤がしきりに問題にされてゐたやうであつた。實際文學の普及は年と共に進んで來る。小説類の圓本が何れも數十萬の讀者を蒐めてゐるのを見ても、その社會的浸潤力が如何に著しいかゞ知られるであらう。

しかし、文學は何故斯くも著るしく普及して行くのであらうか。文壇の人々は、恐らく親の慾目でその全部を文學の内在的本質的價値に歸するであらう。勿論私も文學の内在的價値を否定しようとするのでないが、それ以外に一つの外部的事情も作用してゐるだらうと考へる。

それは一と口にいふと、三十一文字のたしなみに伴ふやうな優越感である。茶の湯、生花〔、〕謠曲等の教養が階級的優越の證左と考へられる社會的傾向である。勿論今日では茶の湯、三十一文字の類も昔ほどの勢力を持つてゐない。上層階級の趣味嗜好は常に下層階級へ傳播してゐるものであり、これらの趣味教養が今日では可なりに一般化してゐるからである。そして、上層階級には他の新しい趣味嗜好が植つけられて來てゐる。しかし、何れにしても、これらの教養がその内在的價値を離れ、階級的優越を以て社會に臨んでゐることに變りがない。

嘗ては文字を知ることそれ自體が、支配階級の特權であつた。歌を詠じ文を綴ることは、全く彼等に限られてゐたのである。謠曲や、茶の湯のたしなみも、決して一般的なものでなかつた。一般的なものでないといふ事は、それらのものに外部的尊嚴を附與する。上層階級の子弟が、これらの教養を強いられてゐたのは、内在的價値のためでなく、その外部的尊嚴〔、〕階級的表徴のためであつた。

今日では文字も一般に擴められ、文學も亦可なりに一般化してゐる。すべての特殊な教養は、それが一般化するにつれて、外部的階級的尊嚴を失つてゆく。隨つて文學も、最早や昔ほどの外部的尊嚴を維持してはゐない。殊に今日の支配階級必ずしも有閑階級でない結果として、不生産的な仕事が一切輕蔑されるといふ傾向もないではない。しかし、今日でもすべての奴隷的勞働者が文學的素養を持つわけに行かない。文學がわかるためには、幾分の閑暇と富を必要とするからである。だから、事實上文學の消費者は大部分、上中流階級の妻妾子弟といふ代理的な有閑階級なのである。

文學の社會的浸潤は、茶の湯、生花の普及がさうであつた如く、多分に外部的尊嚴の助けを受けてゐる。文學を知ることがある偉さを表明し得る限り、その社會的浸潤も續くであらう。社會的浸潤と共にある偉さも次第に減少してゆくから何れ文學書を抱へて歩くだけでは何の誇にもならなくなるに違ひない。


注記:

※句読点を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)青日白日旗:ママ。青天白日旗か。
(2)緩漫:ママ。

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