流行

高畠素之


無名作家が新進作家となり、新進作家が一躍して流行作家となり、而して夫れがマンナアリストとして葬り去られるまで、作家といふ生物の天與の命數は思ふに兩三年を出でないものであるらしい。

茄子紺衰へ、新橋色廢れ、藤色滅び、お納戸全盛を謳はれる此の秋の流行だつて、半歳を出でず無慘にも凋落してしまふ。唐棧風の縞柄が幅を利かしてゐるといふ噂も、いつの間にか立ち消えとなつてしまつた。生者必滅、夢の浮世とは觀じつゝも、尚ほ餘りに興亡盛衰の烈しきに驚愕せざるを得ぬ。

七面倒な理窟を學者にいはせれば、流行とは其時々に適用される『諸文化形態の總體に對する總括概念』なさうだ。從つて蠶種が蠶となり、蠶が蛹となり、蛹が蛾となる其の變遷とは譯が違ふ。從つてまた衣裳の縞柄色合の變轉のみならず、下は八木節、奸商伐征、ロイド眼鏡、市川左團次、添田唖蝉坊等も、この原理の勢力範圍もしくは支配圈内から逃れ得ない。

一時大層な人氣を呼んだ社會主義やストライキ騷ぎだつて、その時々の流行り廢りで進退してゐる。平民社時代の馬鹿騷ぎが、赤旗事件、大逆事件で火の消えたやうに蟄伏し、戰爭以來不圖した事から世間の人氣に投じ、猫も杓子も主義者ヅラをして幅を利かせる事になつたのだ。

一網打盡を傳へられ、白禍來を唱へられてから、頭を突つかれた孑孑のやうに水底深く沈んだきりで、浮び上がつて來ようとする醉狂人もなくなつた。細身のステツキに細形ズボン、細卷リボンの帽子を被り、銀行會社の往さ來るさに、『社會問題研究』の一册も電車で繙かなければ當世風の若紳士とはいはれなかつたものだが!

南京街の淫賣婦のやうに、マルクス、クロポトキン、ラツセルと送迎に忙がしかつた讀書人も、この頃は神憑りから冷めて、たゞもう呆然としてゐるのみだ。狂人のやうに社會主義の本を出したがつてゐた出版屋さへ、この頃は二の足を踏んで、容易に首を縱に振らうとはしなくなつた。

唯物史觀流に解釋すれば、何とか鹿爪らしい理窟もあらうが、社會主義の盛衰も、畢竟茄子紺色の流行り廢りに等しいと觀じた方が結局無難らしい。社會主義同盟の成立にしても、會社派、睦派、東西派の寄席藝人の大合同(するかしないかは別問題として)以上何の特別な唯物史觀的意義があらうぞ。

讀書界に於けるマルクスの位置が、マルサスに依つて奪はれ、社會主義が性慾學に驅逐されても、世間樣の好奇慾及び好新慾がそれに轉化したものである以上、此勢ひは到底人力を以て支へ得る業ではない。世事轉變の妙機は、流行心理の推移に握られてゐる。

東雲節(ストライキ節)が再度縁日市場に喧傳した如く、辨慶格子が再び昔日の勢力を挽回した如く、經濟的條件が備はると否とに拘らず、社會主義全盛の世が又來ぬものとは限るまい。何れぞ唯物史觀と首ツ引で、世態人情を計量するの必要あらんや。


次へ

inserted by FC2 system