動物虐待

高畠素之


動物愛護會、動物虐待防止會といふやうな運動が、愛猫家らしい淑女方の力によつて、漸次日本のやうな野蠻國にまで普及されて來た。犬公方綱吉將軍の往時を偲ぶは由ないにしても、犬、猫、馬、牛等の諸君の黄金時代はやがて近づきつゝある。

それに比べて勞働者は、如何に動物的に虐待される事よとは、感傷派社會主義者の常套語である。坑夫一人の生命は、鬪犬一匹の價格に如かずとは、慷慨派社會主義者の口吻である。

獨り勞働者といはず、芝居の小役、輕業師、引つ張り、流行小説家等、見渡すところ、動物虐待的哀愁を唆るものは少くないやうだ。しかし茲に最も哀れを止むるは彼の小學校教員でなければならぬ。

天職を以て任じ、教育家を以て自衿する『先生』に對して、動物呼ばはりは不遜の限りと、或はお叱りを受けるかも知れないが、凡そ小學校教員の生活ほど、過去、現在を通じて、動物虐待といふ哀感を濃厚ならしめるものはなからう。

例の教育費削減案が施行さるれば、二萬人といふ代用教員の失業者が出るさうだ。當路者は敢てその失業者を意に介せずと放言してゐるから、失業者になるであらう代用教員に對しては、おせつかいな差出口は遠慮して控へるとしよう。

偖て殘る者は、純正教員たる訓導である。訓導の大部分は師範學校と稱する教員養成所の出身者であり、何年間といふ義務年限を強制的に課されたものである。

師範學校なるものは官費制もしくは半官費制を施き、主として貧乏人の子女にして、肉體勞働を欲せざる者、もしくは小學校以上の教育を受けんとする者に、適應して造られてゐる。

肉體勞働を厭ふ餘り、教壇勞働を欲するの是非は暫らく問はぬ事とする。然り、彼等は斯くして貧弱なる各府縣の財政を以て收容され、米價の高い時は外米麥飯に飼育されるが常である。

官費もしくは半官費の特典は、軈て強制義務年限の桎梏と代り、薄給冷遇の訓導と變る。當局のこの態度は、敢て恩義を賣り付け、教員を身動きの取れぬやう金縛りの憂目を見せるに等しい。

彼等教員は斯くして『天職』といふ欲しくもない美名を與へられ、欲しい月給は上らず、營々として太郎とお花の物語りに日を送るの已むなき事情を購ふ。彼等は斯くして無錢學校(ノーマルスクール)の悲哀を痛切に味はゝされることになる。

『義務教育の普及は、國民文化の發達を意味する』といふ識者得意の論法を以てすれば、文化發達の動力たるべき教員は、高給厚遇を以て迎へられねばならぬ筈である。併し悲しい哉、彼等は自分の資力を以て勉學することが出來ず、お上のお助けを願つたばかりに、終生にわたつて、虐使酷遇を受けねばならぬ運命となつた。

戰死者の未亡人が貞女待遇を受けたばかりに、已むなく貞女を通さねばならぬ悲慘さと、天職待遇を受けたばかりに、已むなく貧乏を通さねばならぬ小學教育の悲慘さとは、共に最高級の意味に於ける贔負の引き倒しである。風上に祭り上げられたばかりに、一生を道徳の見本よろしく、器械として送らねばならぬ彼等の運命こそ禍である。

垢光りする詰襟服を着用し、呼吸病者らしい聲で人倫五常を説かせる。天下これより甚だしき動物虐待はよもあるまい。


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