教育費削減

高畠素之


政府提示の教育費節減案の屁理窟には、何ぼ何でも國民は呆れ果てたらしい。正面から喰つて掛るには大人氣なし、さればといつて棄てゝも置けず、櫟ぐつたさを堪えて矢を向けるといふ鹽梅だ。

文字さながらに國民が塗炭に苦しんでゐる今日、政府が何とかして呉れねば日本の世帶も危なつかしい。それに心付いたは天晴れ殊勝といひたいが、削減制理にこと缺いて、何ぼ何でも教育費に手を付けるとは、餘りに物の筋道が解らな過ぎる。

教育費を削減する方法としては、例の二部教授、三學級二教員制度といふ珍案だ。二部教授及三學級二教員制度は、無理にやつてやれないものではないかも知れぬ。現にこれをやつてゐる實例に照らしても、不可能といふ部類に屬すべきものではない。

併しそれは無理に間に合はせ得るといふだけで、それに就ての一切の弊害、及び教師、兒童父兄の迷惑厄介を顧みぬ算盤勘定だ。間に合はせるといふ程度を擴張するなら、無教育だつて合はせて合はないものではあるまい。

その論法を楯にするのが、東洋の盟主と自稱する國の前宰相樣だ。寺子屋でさへ出來た教育なら二部教授だつて三學級二教員制度、二學級一教員制度だつて、それに比較すれば贅澤過ぎると仰せある。微醺も帶びず、冗談でもなく、教育代表者に向つて公言したのだから、呆れない方が氣まり惡からう。

ところが、これに輪を掛けた暴言は、文教の首府を司どる文部大臣だ。彼の説に依れば、軍備だつて制限しようとしてゐる世の中に、教育費を削減するに何の不思議があるといふのだ。祝すべきは平民内閣、仰ぐべきは株屋大臣の嘆なき能はずである。

若し夫れ談偶々中橋文相に及ぶなら、雄將の下に弱卒なしの譬に洩れず、主も主なら臣も臣と、大きく見得を切らねば幕が下りさうにもない。

軍備と教育との因果の關係が、どういふ具合に結び付けられたのか、わが株屋大臣の方寸の程は窺ふべくもない。併し軍備と教育に關する日本人的常識には、中橋文相の言こそ、月と鼈の比較を問はれて、そりや鼈の方が美味いさと答へたと同樣に悲慘に聞える。

中橋文相のこの論理學によれば、大米龍雲だつて人殺しをする世の中に、巡査が人殺しをするに不思議はないといふ事になる。更らに相場師だつて株を賣買するのに、大臣が株を賣買して儲けたに不思議はなからう。ブローカーだつてコムミツシヨンを取る世の中だ。お役人が賄賂を取るのに、何の不思議がどこにあらうぞ。

かくして中橋文相は持株を手離し瓦落を免れ、かくして又二枚舌をも平然と使つたのだ。考へて見れば、大道香具師が蝦蟇油を賣り付けるにさへ嘘八百を竝べ立てる程の世の中だ。況して文教の首腦者たる身が嘘を吐かずにゐられやうか。

巡査が人を殺し、大臣が嘘を付くと思つて癪に障るなどは、少くとも、中橋徳五郎氏を文相とする現内閣下の人民には大人氣がなさ過ぎる。


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