ゴロ

高畠素之

支那ゴロ、芝居ゴロ、羽織ゴロ、會社ゴロ、株屋ゴロ、藝者屋ゴロ――凡そ語尾にゴロの附くもの程始末に終へぬ者はない。人生到る處ゴロ在り、而して人生到る處ゴロに惱まされざる者無し矣。

ゴロが破落漢の略稱なるはいふまでもないが、同じゴロでもその職能に從つて二種に辨別される。即ち強モテ、腕ヅクを常習とする硬派と、色仕掛を武器とする軟派とがそれである。が、併し多くの場合、兩派の要素は相互に交錯してゐるのが共通である。

時に滿鐵の玄關口に現れ、五兩がとこをせしめるもゴロなら、長火鉢の前の女喰もゴロである。家賃取立ての三百屋もゴロなら、廊下トンビの芝居者もゴロだが、道具屋なんどを手先にして、時に風雲捲回を企らむ三浦觀樹將軍などもゴロである。その何れにもせよ、社會的不良性を具備する點に於て、硬軟共に變る所はない。

大正の御代に發生したる新ゴロに、ペラゴロ及び主義ゴロの二大立者がある。共に不良少年の大正的修正派だ。前者は不良少年の軟派的派生であり、後者はその硬派的派生である。タレ義太の尻を追つた堂摺が轉化してペラゴロとなり、民權自由の壯士が成長して主義ゴロとなつたに就ては、尠くとも山芋と鰻の關係以上に、更に有機的なる社會的必然性が含まれてゐる。

ペラゴロは細卷きリボンの鍔廣帽子を、四十五度位の傾斜で頭上に載せ、鵞鳥の如き聲を張り上げつゝ人もなげに夜の街を散策し、主義ゴロは長髪垢衣、握り太のステツキを提げ、蠻聲の限りを盡して駄文惡詞の標本たる『革命歌』を唸りつゝ大道を横行する。一は歌劇派にして、一は過激派たるに相違ありとしても、共に雌雄を決し兼ぬる大正名物の好見本である。

警察的略語に從へば、謂ふところの社會主義者、無政府主義者、過激主義者、サンヂカリスト等、苟くもお上に厄介を掛ける底の人物は、悉く『主義者』なる名辭に總括される。主義ゴロなる好適の通語が、この符調から割り出されたものと思へば、蓋し大過ないところだらう。ペラゴロには説明の要がない。

社會主義が原稿取引上の重大な一要素となつて以來、平たくいへば社會主義が我々の飯の種子となつて呉れて以來、新舊硬軟の主義者連は、雲霞の如くに擡頭して來た。恰もよし奧山には安直輕便なる民衆オペラが出現し、天下の有象無象を一手に吸収して居る。或者はマルやクロ(犬の名に非ず)を讀み噛り、或者は田谷や澄子を聞き噛ぢり、東西呼應して卓立したのが主義ゴロ、ペラゴロの兩立者である。然り、大正式二大ゴロ發生の社會的起原は、正にその時にあつた。

理想家は如何なる時代に於ても、常に理想家なりとの名言が眞理なら、ゴロは如何なる時代に於ても、常にゴロなりといふ命題が立派に成立する。高山彦九郎と幸徳秋水との因果關係は、端的に水戸浪士と主義ゴロとの關係を有機的ならしめる。

社會主義同盟とか稱する幽靈會社の株主たる人々を、更に五十年の昔に生れしめたならば、立ろに絶好な社會喜劇が創られやう。道を遠きに求むる迄もなく、僅か五年の昔に還元せよ。世が世なら彼等は憲政濟美會あたりの前坐辯士に雇はれ、憲政布かれて卅年何んかと、浪花節もどきの變聲を張り上げてゐる手合だ。

舊き革嚢に新しき酒を盛るべからざる如く、新しき革嚢に舊き酒を盛るべからず。立憲政治を社會主義に置き代へたとて、人生何の變哲あらんやである。


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