『要助』

高畠素之


女教員の古手を以て組織し、農商務省の手先を勸むる無用の長物を稱して、これを『世帶の會』と名付く。時々築地あたりに集合しモリカケ十錢は高いといひ、一升八合の米は高いといひ、三十五錢の砂糖は高いと放言すれば即ち足る。これが農商務省の誇稱する消費經濟の調査機關だ。

小人閑居すれば不善をなすの譬に洩れず、閑人揃ひの『世帶の會』は貧困とか貧窮とかいふ言葉が氣に喰はないとて、何かこれに代はるべき適當な文字がないものかと探してゐる。坐頭が迷子を搜しやしまいし、ゐないかゐないかで探し廻つてゐるざまはまつたく見られた圖ではない。

處が世の中には之に負けない閑人がゐるもので、そんなら『要補』『要助』なんかは如何で御座ると、恐れながら申し出た篤志家がある。首尾よく御意に叶つて御採用になり、やがて『世帶の會』は農商務省公認の新述語『要助』の大賣出しを企ててゐるさうだ。廢兵と孤兒院だけでもいゝ加減手古摺つてゐる人民が、この上『要助』の強制販賣に惱まされるかと思ふと、貧乏人の存在してゐることが先づ癪にさわつて來る。

これと好一對の一口噺がもう一個ある。雜誌界第一の購讀者を有すと誇る『主婦の友』か何んかゞ嘗て『女中』の名を嫌つて、其代用語を普く天下に募集した。その結果『助政婦』『働きさん』などの珍語が最高位を占めたと聞く。

爾來、女中、おさんどんの代りに、助政婦、働きさんの聲が臺所の片隅に行はれた事は、つひぞ寡聞にして耳にしないが『世帶の會』の折角の計畫もその轍を踏まずんば幸である。尤も日本一の流行雜誌とはいへ、お上の御威勢に比べれば多寡が知れてゐるし、學校商賣だつて私立より官立が流行る國柄だから、一概に速斷するは、早計の譏を免れぬかも知れない。

併し女中が助政婦に成り上つたとて、肝心の御本人が依然練馬大根であり、家政婦(一名奧樣)が依然全權を以て臺所に君臨する限り、助政婦の遂に女中である事に變りはない。貧困を要助と言ひ換へて見たところが、社會の一角に儼然として貧乏人が屹立する限り、要助が貧困である事に微動だも與へまい。

耳を掩うて鈴を盗むといふ馬鹿噺は、世帶の會の手合のために造られたやうなものだ。諸君等貴婦人が憐憫の餘り、貧困の文字に如何に眼を掩ふとも、日進月歩の勢で貧乏人の數は増して行く。貧困の文字があるために貧乏人が増すのではなく、貧乏人がゐるから貧困といふ文字も出來たのだ。酒とはギテキの發明後始めて創られた文字であつた。

馬を鹿といはせた昔の暴君だつて、馬そのものを鹿たるの事實に代へる事が出來なかつた。白馬馬に非ずと頑張つた器量人さへ、白馬も栗毛、鹿毛と共に、遂に一匹の馬である事實を蹂躪出來なかつた。要助と呼んだばかりで貧乏人が根絶し、大本教を宣したばかりで艮の金神が乘り移る位なら、まさか王仁三郎が牢へ入つて苦勞はしまい。

盗人の種が濱の眞砂と共に盡きないのは、盡きない譯があつて盡きないのだ。貧乏人が増えて行くのは増えねばならぬ社會的必然性に從つて増えて行くのだ。淑女方が粹狂と考へ遊ばすやうに、誰だつてすき好んで貧乏してるんぢやない。ならねばならぬ譯あつて、やむなく貧乏させられてゐるのだ。富豪と書いたばかりで金が出來る位なら宵越しの金を費はない唐變木もあるまいではないか。

要助の珍語を押賣りするとあらば、相談次第で買はないものでもないが、一體肝心の貧的の方はどうして貰へるんだらう。モリカケ十錢の方は兎に角として、消費經濟とやらのカラクリで、そつちの方を早く片付けて貰へないものか知ら。


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