綱紀

高畠素之


毛を吹いて痍を求め、珍品問題に手を燒いた憲政會は、例の綱紀肅正運動で單なる一傀儡師たるに甘んじてゐた。處が一向世間が調子づいて呉れないのに業を煮やし、斯くてはならじと大々的に運動を開始するといふ。

一體誰が肅正して、誰が肅正されるのか、肝腎の『綱紀』そのものゝ概念決定が與へられない以上、横合から迂潤な口も利けない譯だ。が、果して噂の如く、政友會内閣に纒綿する幾個かの黄金受授の暗影を意味するといふなら、改めて此方にも言ひ分がある。

誰が烏の雌雄を辨ぜん。されど色黒くして醜き聲を出す鳥が、烏であることに間違ひはない。人を見たら泥棒と思へ、政治屋を見たらペテン師と思へといはれなくとも、振假名づたひに新聞が讀める程の子供なら、八公熊公の倅だつて、そんなことはチヤンと心得てゐる。

道學先生が識者ヅラを振り廻し、頻りに國民教育の惡影響を憂ふる前に、けふ日の子供はサツサと政治屋には三下り半を書いてしまつた。政友會と憲政會の區別はつかなくとも、烏の雌雄を辨別する知識はなくとも、烏と政治屋とが醜い動物なりとの本能は自然に培養されてゐる。

滿鐵、阿片、瓦斯、取引所、砂利――數へ立てたら、與へられた一日分の原稿紙も埋まつてしまふ。應接に遑なきまで、後から後から頻出する目まぐるしい不正事件の連發には、如何に子供心とはいへ呆れ返るに無理はない。これではペテン師と思はない方が餘つ程無理だ。

社會主義者らしい口吻を洩らすまでもなく、資本主義下の政權が金權を離れて一日の壽命をも維持し得ない事は、平易簡明に何人も理解し得るところだらう。古河家の大番頭原敬を頭目とする現政府は、大阪財閥の代表者中橋徳五郎、北九州の財閥代言人野田卯太郎其他の持合世帶である。この理法の應用は、更に憲政會が三菱の女婿加藤高明を總裁に推戴した必然性であり、後藤新平が鈴木よねに取り入り、苦節犬養が山本虎大盡と款を通ずると共通の心理になる。

從つて資本主義社會が存續する限り、贈賄收賄が『公然と默許』され、利權交換が『白晝に微行』するのは當然で、不正事件が頻出しなかつたら、それこそ誠に變なものだらう。辨慶は衣川を川上に流れたからこそ物語りの一つも殘したれ、あれが川下へ流された日には尋常普通の土左衞門だ。不正を孕まぬ政治屋は(無いとは斷ぜぬ)、この意味に於いて、辨慶と共に後世に傳ふべき好話柄たる資格を失はぬ。

その點は政友會と憲政會とを問はぬ眞理だ。憲政會は現在政權を離れてをればこそ、目下の不正事件には關聯してゐないかも知れぬが、大隈内閣、桂内閣と往時に溯れば、同質同量の、もしくはそれと類似の暗影の一個や二個が、内密に孕まれてゐないといふ筈はない。蓋し金權を離れて政權が獨歩し得ざる限り、假令一年が半年でも金力を離れて政治が行はれた道理はないから。

孟子誨へて曰はずや、五十歩にして百歩を笑ふと。更に古人傳へて曰はずや、猿のケツ笑ひと。五十歩逃げても、百歩逃げても、逃げた臆病さに變りはない。況して他猿のケッの赤さを穿鑿するが如きは滑稽過ぎて悲慘の極みだ。

斯くして眞の綱紀肅正の目的には現在肅正されんとしつゝある者も、現在肅正せんとしつゝある者も、共に淨玻璃に照して同罪同斷である。暴風一過、野分の後の枯野原、折角政治季節が近づいた折柄、他人の穴を掘る手間があるなら、先づ自分の死屍のために穴を掘つて置いて貰ひ度い。


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