主義者狩り

高畠素之


座頭の富士登山と、憲政會の異議呼ばはりと、而して警視廳の社會主義征伐とは、勞して効を得ざる大正三副對である。骨折り損の足勞れ儲けといふが、泰山も鳴動するばかり陣鐘太鼓を打ち鳴らし、結局一匹の鼠さへ捕獲出來ずに終る。その筋の主義者狩りを見れば、人事とは思つても痛々しい哀愁に唆られざるを得ない。

現にこの間などは、誰がどう幽靈の正體を誤つたか知れぬが、例の『お目出度誌』騷ぎが突發し、第二の幸徳事件とまで觸れ出しながら、トドのつまり有耶無耶裡に葬つてしまつた。喉元過ぐれば何とやら、大抵の人間ならそれに手を燒いていゝ筈のもんだが、まだまだ性懲りもなく、電柱に貼紙をしたとか、しようとしたとか騷ぎ出し、これも過激派の廻し者に相違ないと籔に睨んでしまつた。

學生殺しの金ちやんを主義者扱ひにして見たり、原敬殺しの艮一を曉民會と誤診するお役人の頭腦からすれば、手淫代りの貼紙も、過激派の手先きと早合點するに不思議はないかも知れない。然し、これが始めての事件といふのではなし、毎度のところを餘り見つともない狼狽振りは、見せて貰ひ度くもなかつた。全國的な一網打盡を敢行して見たり、高等係の非常招集をやつて見たり、牛刀を用ひ過ぎるにも程がある。

大體、社會主義者などといふものを、さも大した代物であるかの如く考へてゐるお役人の被害狂振りは、先づ噴飯に價値する。餓鬼も人數ほどに集まれば、革命歌の一つも唄はうが、國粹會や民勞會の前に出たら最後、グウの音さへも出せない主義者づれに、何の『陰謀』がどこにあらう。演説會があれば、『官權横暴!』と遠くから吠え掛るしか能のない彼等が、コソ泥式に貼紙をして歩るいたからとて、陰謀呼ばはりは餘りに腰の据はらな過ぎる話ではないか。

それをどう感ずつたものか、要路にある某司法官は、第三インターナシヨナルと關係させて見たり、上海共産黨と連絡させて見たり、勿體振つた顏をしながら臆面もなく疑心暗鬼ぶりを發揮してゐる。平惟盛は水鳥の羽音に愕ろいて、臆病者の龜鑑(?)とされたが、この先生に至つては、起すべき疑心の種もないのに、樣々と暗鬼に惱まされてゐるから面白い。

そこへ來ると、警視廳の大久保課長は徹底してゐる。社會主義者は『仲間同志で互に爭鬪し』『主義の宣傳よりも自分の賣名のため』に、色々な企てをしてゐるのだといふ。他愛のない事を口走つて危險がつて見たり、兒戲に類する貼紙をして見たり、それで一つぱしの主義者ヅラを振り廻すのが彼等の身上だ。お上や、新聞や、世間までが、彼れこれと騷ぎ立てるので有頂點になつてしまひ、愚にもつかぬ貼紙なんどを『革命』がつてゐるのだ。

由來連中の企てとはこんなものだが、幸に相手が慢性被害狂のお上だから、鼠一匹の騷ぎも泰山の鳴動と買ひ冠つて呉れ、その都度社會主義者とやらが、さも何かしてるかのやうに世間も誤解して呉れる。社會主義者に取つては光榮の極みだが、ダニエル以上、大岡以上の大久保課長に合つちやあ一溜りもない。此間の第二大逆事件(?)といひ、今度の貼紙一件といひ、たうとう一匹の鼠さへ獲めなかつた所を見ると、徒らに大久保特別高等課長をして名を成さしめた觀がある。

船頭多くして船山に上り、巡査多くして社會主義狩りに忙殺さる。太平の世の暇つぶしとはいひ、飛んだ人騷がせの茶番狂言は御免蒙り度い。そんなに人手が餘つて困るなら、愚にもつかぬ主義者狩りなどをするより、頼朝の故智に倣つて富士の卷狩りでもやるか、それとも天城山の猪狩りでもやつて見たらどんなものだらう。


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