佩劔

高畠素之


本物の軍人が、東京附近で大袈裟な戰爭ごつこをやつて以來、通りといはず、廣場といはず、棒切れを振り廻したり、砂利を打つけ合つたりして、一しきり子供の戰ごつこに賑はつてゐる。大將は大將らしく玩具のサーベルを吊り、兵卒は兵卒で竹切れを腰にして、頗る勇壯活溌の極みである。

秋旻高き郊外の秋を探ぐつたら、どつかの中學生の行軍と見えて、牛蒡劍を吊つた模擬兵隊が散兵してゐる。中に上級の勢力家らしい男が、將校らしい聲を張り上げて號令を掛けてゐる。腰を見ると例の長い奴をぶら下げてゐる。傍にはこれは本物の軍服を纏つた實物軍人が、頻りに何か小聲で指圖をしたり、注意を與へたりしてゐる。いやもうこれも勇壯活溌である。

青年會館に演説會がある。矢張り提灯を照らしたお巡りさんが、堵列のまま腮紐を下ろして人民を取締つてゐる。傍の木蔭、家蔭、物蔭にも物々しく武裝したお巡りさんが、一旦緩急あらばといふ身構へで緊張してゐる。いふまでもなく腰には例の奴がガチヤついてゐるが、之はまた不思議な事に、鍔先と鞘との間を麻糸で固く結びつけ、肝心の鯉口が寛ろげないやうになつてゐる。

祝日が來た。文武百官が金ビカ裝束を今日を晴れと着飾り、思ひ思ひの乘物を走らせて宮中への參内を急ぐ。一際目立つて陸海軍人の腰の物は光彩を放つてゐる。軍人に佩劍は牡丹に唐獅子、竹に虎と等しく不可分の好畫題だが、合點の行かぬのは文官と稱するお役人の腰のものである。日頃見慣れた鐵道省の小父さん方まで、尾眠骨を少し延ばしたやうなものを附けてゐるのは滑稽だ。

刀劔は武士の魂で、昔から仇や疎かにすべからざるものとされてゐた。腰の朱鞘は伊達にはささぬ。必ずや有事の場合に備へられし武士の魂である。その侵すべからざる尊嚴を破り、禮服の裝飾用として餘命を保たせたのでは、何ぼ何でも『武士の魂』に對して慘酷だらう。もし裝飾のためといふなら貝殻細工で間に合ふべく、腰の邊が寂びしいといふなら御商賣の矢立か簿記棒で間に合はして置いて貰ひ度い。

更に滑稽なのは巡査のそれである。人民を保護する警官が、人切り道具を帶してゐるといふ理論上の矛盾は、この際どうでもいいことである。外國に例はあらうとなからうと、それもどうでもいゝことである。然し巡査の佩劍は、原則として、抜くべからざるものとされてゐるものだ。して見れば要するに鹿の角と同樣に有害無用の長物である。人脅かしの道具が欲しいなら、少しく生蠻人の裝飾法でも參考して見ればいゝ。

事あるごとに警官拔劔問題が出されたり、人權蹂躙騷ぎが持ち上がつたりするのは、畢竟するにその無用の長者が齎らす仕業である。それを未然に防がうとするためか、それとも後日の言抜けにするためか、麻繩なんどで鯉口を固めるの愚策は、愈々以て『武士の魂』を冒涜するの甚だしきものである。何の目的を以て何の必要の下にダンビラを下げさせるのか、かうなると外國人でなくとも不可思議とするの外はない。

上に立つ巡査風情がこの有樣だから、下樣の人民共の悴までそれを模倣し、何かといへばすぐ劔を吊つて見たがるのだ。即ち一高の野球戰には私設巡査が作製され、中學生の運動會には劔を下げた僞似巡査が、場内の看客の肝を支配してゐるが如きは、直言すれば巡査模倣の心理的説明である。


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