生活改惡

高畠素之


文明とは複雜より單純への整理なさうだ。從つて振袖がいけない、日本髷がいけない、米食がいけない、舊劇がいけないといふ、例の生活改善同盟會あたりの主張は、此意味に於て文明の原理を事實的にしたものだと聞かされた。畢竟するに振袖は『効果』がなく、丸髷は『能率』が上らず、米食は『手數』がかゝり、舊劇は『活動的』でないといふ趣旨らしい。

其んな此んなでこの頃は改良服とか、女優髷とか、パン中尉とか、國民文藝會とかいふものが起つて來た。さなきだに混亂勝ちの女の服裝などは、その結果まるで無政府状態である。服裝や趣味の無政府状態は元より致し方のない話だが、何も彼も功利と能率を主義としなければならないとあつては、どうやら文明といふものも難物である。

和漢洋を兼ねたと稱する例の改良服などは、女流教育家輩の御覺えも目出度く既に校服として選定されてゐる所もあるらしい。首の太い、足の短い日本の女學生及び女車掌などが、猫背に纏つた格好は、どう贔負目に見ても香ばしいものではない。然しそれも活動的であるといふ話だから、何事も文明とあらば我慢するの外はあるまい。

その邊は先づ目障りになるだけで無難にすむが、食住の方面までこの手を應用されるのだから耐らない。此頃流行のペンキ洋館の建造者などは、これも活動的であらしむべく設計するのであらうが、幾んぞ知らん西洋と日本との氣候の相違風物の相異などは忘れてゐる。

日本は山の國であり、而して水の國である。雨が多いために濕氣が多い。その日本人が何が故に稻の果を食し、何が故に壁と障子と疊の家宅に住むか、當節の西洋崇拜者などには一向に理解出來ぬものらしい。日本に西洋式の衣食住の法則が發達しなかつたのは、發達し得ざる自然的事情があつた爲であり、現在の如き日本獨特の生活方法を編み出したのは、自然現象に備ふべき必要に應じて發達して來たのだ。

生活改造の熱心者、實は西洋模倣者の理解に從へば、日本人の衣食住は偏へに浮世繪と三十一文字のために存在したのである。所が和歌浮世繪は日本人の特殊な生活樣式に反映した藝術であり、而も日本人の特殊な生活樣式は、日本の特殊な氣候風土に發生した現象である。そこに日本人として特殊な趣味好尚が芽生えて來た。

能率といふことゝ功利といふ觀念は、元より排斥すべき理由もなし、從つて文明といふ事も大いに歡迎すべきものに相違ない。然しそれは、西洋人を見本にした能率主義や文明觀と違ひ、ある程度まで日本獨特のものでなければならぬ事は社會主義のそれと同一の理論に於て正當である。正當と否とは別問題としても、さうでなければならぬ自然的必然に置かれてゐる。

この意味に於いて、例の生活改善何とか會あたりのやる細工は、常に生活改惡の結果に終つてゐるから氣の毒だ。一切を擧げてグルグル卷きの女優髷のやうにして見たり、例の黒つぽい改良服を着せて見たりしたら、二圓のおきまりで器械的に性慾の取引をすると同樣、殺風景なること砂を噛むに等しきものであらう。勿體ない話だが、もし社會主義の世の中が來たら、どうやらこの無味乾燥の時代が襲來しさうだ。


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