新聞哲學

高畠素之


賣藥の廣告と新聞屋の正義呼ばはりとは、由來能書澤山の能なきものと相場が通つて來た。民衆輿論の策源と誇稱し、不羈獨立を僭稱してもそれは單に反對派に對してのみ舞文曲筆せずとの謂であつて、わが子を除いての擧國皆兵主義と同樣、うつかり正氣では承認出來ない代物だ。從つて天下の木鐸が如何に大言壯語して、曲亭馬琴以來の歡善懲惡の廉賣をなすと雖、露店のメリヤス程の興味も世人には與へてをらない。蓋し××紡績會社が營利目的の暴利團體である如く、△△新聞社も亦利慾を目的として組織された營利會社であり、これが雇人たる新聞記者は、當然その雇主の御機嫌に備へるため、時に襃めカツをなし、時に恐カツをなすの已むなき器械であるに不思議はない。ジヤーナリズムなどゝ御托を並べて見ても、讀者といふ觀客の御意を伺ふためには、精々刺戟的な題材を提供して釣つて置くより道がない。

この意味に於て新聞紙上の人氣者の榮枯盛衰は、藝人役者の生命よりも、より遙かに短命にして終るが常である。弱肉強食の進化の理法は、絶えず目まぐるしきばかり紙上に變轉し、三越のシヨウ・ウインドーよりも速やかに、春の流行は夏の流行に代へられてゐる。從つて一般的興味を刺戟する三面種は、一部的興味に投ずる二面種よりも、數等の紙面的優越性を與へられる。本年度上半期以來今日までの實況に照しても、政治問題は社會問題に驅逐され、茲に新聞的グレシヤムの法則は完全に慣用されて來た。一例すれば普選運動は濱田榮子に驅逐され、遣米全權は伊藤白蓮に驅逐されたといふ如く、新聞政策としては擧國一致の大問題よりも、一人の猫イラズ嚥下者の死、一人の家出女の噂が、より重要なる『書入れ』である。

その理法はいふまでもなく、一般的興味に備ふるためであるが、それとて永く讀者の好奇心及び好新慾を滿たすには、絶えず人氣者のガン首を取り代へ、すげ代へする必要が起つて來る。こゝに三面記事的進化の理法は生じ、弱肉強食の活舞臺を見せて呉れる譯である。最近の例を見ても普選騷ぎは濱田榮子に驅逐され、濱田榮子はやがて砂利喰ひ事件に席を讓り、瓦斯、阿片、取引所と似たやうな事件が頻發して、事態容易ならぬかに見えたが、それも石原事件、後藤事件等の色ツぽい話で影が薄れ、國論漸やく華盛頓會議の全權問題に向はんとする時、故意か偶然か、第二幸徳事件と振れ出した高津一派の大山鳴動式な線光花火が燃え上がつた。社會主義者の大手入れなどと空太鼓の景氣は勇ましかつたが、安田善次郎が兇漢に倒されたり、全權の品定めに賑はつたりしてゐる中に、忘れつぽい世間は何も彼も忘れてしまつた。この時、突如として水平線上に姿を現はしたは、白蓮伊藤燁子の家出騷ぎであつた。時ならぬ九州男子が飛び出したり、傳ネムが老の繰言を流したり、いゝ加減噂が出る程食傷して來た時、天の助か、アラスー政界の巨星墜つ!

原敬の暗殺が社會的にどんな影響を與へやうと、新聞屋の商賣には直接の關係はない。たゞこの突發的な事件が人心に與へたシヨツクに附け込み、面白おかしく讀者に讀ませさへすればいゝのだ。岡燒き半分の感情を供ふにしても、伊藤燁子が柳原燁子に還元した事實そのものに對しては、何らの社會的興奮もなし、またそんなものを持つ必要がない。それが證據に新聞記者は浮川竹の勤めの身と同樣、旦に白蓮を送り夕に原敬を迎ふるに、何らの良心批判を與へてはをらぬ。羽振りのいゝお客がつけば、舊い馴染みを袖にする覺悟があつて、そこに商賣上手の遊女は生れる。新聞記者の呼吸もこれを度外して存在すべきものではない。新聞記事が讀物としてのローマンスである以上、事實の誤報捏造などは、この際お茶の子以上に一顧の價をも有せざるものである。

新聞記事が如何なる意味に於ても、常に一個のローマンスである以上、お客を釣る點からいつても、男女の色事が先づ横綱を張る資格を有つてゐる。それも熊公の女房に八五郎が寝取られたといつた風の下世話の種は珍重されず、社會の上流階級とか知識階級とかの間に釀された紛爭の方がより普遍的であると共に、新聞種子としては重要視される。それは重視輕視の量的差別ではなく、新聞紙の與ふる待遇は寧ろ質的な差別であるといふ方が確かだ。現に凡百を以て數ふべき熊公八五郎事件の如きは、新聞面の片隅をすら與へられざるに比し、華族の姫樣が運轉手と落つこちでもやらうものなら、紙面を擧げて浮かれ出すのが常である。芳川鎌子より伊藤燁子の今日まで、新聞で浮名を謳はれた者は日蔭茶屋刄傷事件、日向欣子姙娠事件等の古いところから、鍋島好子、濱田榮子のいたいけ盛り物語り、石原博士、後藤助教授の離縁沙汰、梅子隈畔の抱合心中まで、その何れもが業々しく社會問題として吹聽されたものだ。

貴族富豪が上流階級で知識者が指導階級だとは、一體誰がいひ出して、誰が任じてゐるのか知らないが、皇室の藩屏を押賣りする華族樣の時代錯誤と同樣、どう考へても滑稽至極な獨善振りである。その獨善振りの結果は、好いた惚れたの日常茶飯的行爲まで如何にも珍らしいもの扱ひを受け、そのガン首を連ねて紙上の錦を添へる次第となつてゐる。熊公の女房と八五郎の關係は、生物學的に見て芳川鎌子と出澤某の關係である。何ら變哲もなき兩者が、一は重大なる社會問題を釀し、一は野邊の無名草の如く棄てて顧みられざるは、そこに日本人(に限らぬが)の、貴族崇拜的、知識階級崇拜的謬見が窺はれる。

貴族富豪のお家騷動を種子にした通俗小説と稱する讀物が、如何に低級卑俗と輕蔑されても、常に數萬の讀者の好奇心に訴ふる所以のものは、畢竟するに芳川鎌子を問題にする心理と一對である。明日の米を苦勞する長屋の女房が長篇家庭小説のヒロイン△△令孃に同情する氣持ちは、やがて芳川鎌子に對する義憤となつて現はれる。隣の熊公の女房の仕打ちには、左程の立腹もしなかつた彼女が、芳川鎌子の行爲に齡すべからずと考ふる所に、その貴族崇拜的浪漫主義が(變な名前だが)藏されてゐる。この微妙なる心理に取り入るは新聞記事の骨子であり更に犬糞的義憤を煽り立てる所に社會問題と稱する怪物が生れる所以だ。而してこの事件に對して、仔細らしく首を傾くるが識者であり、參考書と首引で理窟を立てるのが學者である。共にそのお目出度さの濃度に於ては、長屋の某女史と擇ぶ所がない。


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