十年後の日本

高畠素之


十年後の日本とは、思ひ切り間の抜けた問題である。然し『今から社會主義運動が絶對に自由であるとして』との條件付きで十年先の事を考へるとすれば、それは思ひ切り面白いものにもなれば、思ひ切り危險なものにもなる。然し政府は此の外題の間を抜けさゝない爲めに、社會主義運動を自由にする筈もなからうから仕方がない。

素人竝みに行くだけなら、十二年を一廻りとか云ふから、今から十年後は大體今から二年前の調子をやり直す位の所ではないか。

二年前と言へば、先づ戰爭といふ大事件があつた事、隨つて戰爭の原因と結果との大部分を受け持つ資本主義生産の發達が目覺ましく進んだ事、工場の數が多くなり勞働の需用が激増したので、勞働者が『自覺』し、勞働ブローカーが活躍した事、資本家が『反省』して日曜を休みにしたり、錢湯の札を只でやつたりした事、知識社會が『覺醒』して社會問題の本が盛んに賣れた事、此の好景氣が文壇に反映して所謂問題小説が賣れ、政治に反映して普通選擧が政爭のダシに使はれ、三越に反映して木綿デーの開催が誇られた事などであつた。そこで今から十年後の日本も、大體此の邊では無からうか。現に今度の好景氣の根底ともなつた戰爭が、十年内外に又始るとは軍人や政治家や船會社や株屋どもも頻りに言ひ觸して居るとの事である。

所で、其の後二年位經てば、大體今の日本そつくりになるであらう。好景氣後の恐慌が來ると、物價、新設會社、成金、『自覺』『反省』『覺醒』一切が吹き飛ばされて了う。勞働者の賃銀とか時間とかは、濟し崩しにジリジリ昔通りに還る。勞働ブローカーは辯護士とか、保險の勸誘員とか、院外團有志とかに復歸する。社會問題書の切り抜誤譯の大家は、講談性慾等の雜文に逆戻りするなどの邊で、萬事折合が附くのではなからうか。

尤も社會事象の循環は、螺線状を描いて進行するとか言ふから、十年後の好景氣は、二年前の好景氣に較べて、十二年後の不景氣は今からの不景氣に較べて、すべて線が太いかも知れない。鮮くとも人ロ増加に比例する位には、すべての規模が擴大するかも知れない。例へば今度二十錢上つて二十錢下つた賃銀は、十年後には二十三錢上つて二十三錢下るだらうし、今度五千圓鑛山會社から取つたブローカーは、十年後には五千七百圓儲けると云ふやうな具合になるであらう。

殊に日本に於ては、資本主義生産が、政治的の關係に依つて本來發達すべき階段(1)に達し兼ねて居ると觀察される。政治的關係とは、武力的支配階級たる、所謂軍閥と其の羽翼の下に孵化された官僚との、資本主義的政權力に對する對峙である。尤も此の對峙は、舊勢力の一歩々々の後退りに依つて、最終の勝敗はもう見え透いて居るが、現在に於ては兎も角對峙である。此の事實は、種々の經路に依つて資本主義の進行を阻害して居る。明瞭な一例として、軍需品製造工場の多くが、民問の經營に移され、營利のタネにする事が拒まれて居るが如きを擧げる事が出來る。このやうに舊勢力が不可思議なる生命を持續して居るのは、資本主義の發生に先だち地盤を築いた大頭どもが生き殘つて、生理的に隋勢を續けて居るからで、山縣有朋は其の筆頭である。然るに彼等の天命はもう殘額幾何もない。今後の十年間に大體片付くであらう。さうなると資本主義は欝屈せる力を一度に延ばす事となり、幾段の新しい發達を遂げるであらう。

十年後の循環には、此の事も計算に入れなければなるまい。そこで此の螺線は普通の場合よりも、ずつと大きくなると解しなければならぬ。

資本主義の發達は、例の『自覺』『反省』『覺醒』と表裏して竝行するので、是等の諸現象も、資本主義の發達と同一の比例を以て發達するであらう。そこで十年後の騷ぎは、二年前の騷ぎよりは、餘つ程大きな規模となるものと思はれる。其の代り、十二年後の不景氣も亦それに應じて大規模に來る事が思ひやられる。

このやうに、規模の(2)上には變化があるとは云へ、それは所詮量の差である。質の上では結局『一廻り』の反覆に過ぎぬであらう。尤も『今から社會主義運動が絶對に自由に行はれ得るとすれば』との條件が付けば話は無論別になる。

若し夫れ、そんな呑氣な循環は世界の大勢が許さないと言ふものゝ説が眞であるとすれば、吾々はたゞ『それなら一切西洋人に任せろ』と言ふだけだ。


(1)階段:ママ。
(2)規模の:もと「規模に」。


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