主義者征伐

高畠素之


近頃主義者狩りと言ふ新熟語が出來た。『第二幸徳事件』とやら以來、不隱文書宣傳ビラと云ふ騷ぎがしきりに起り、その度びに當局の主義者狩りが盛んに行はれる。

『泰山鳴動して鼠一匹』と言ふ言葉がある。而も當局の主義者狩りは泰山鳴動して鼠さへも出ない事が多かつた。これは當局が不手際だからでも何でもない。近頃の社會主義者は恐ろしく悧巧になつて、却々容易に尻尾を掴へられないからである。彼等は法律に觸れない程度で、若し觸れても二三ケ月位の懲役で濟むやうな所で、巧妙に世間を騷がし何も知らぬヨタ新聞記者共に大見出しの記事を書かして上品に言へば宣傳、其實は賣名を計り、延いて、多少の運動費則生活費でも打出さうと云ふ新らしい戰術を生み出して來た。從つて、騷ぎだけは何時も大袈娑だが、イザとなると少しも鼠が出て來ないのである。

これにはさすがの當局も、すっかり手古摺つて了つたらしい。そこで從來の法令では何うにもする事の出來なかつた空騷ぎを取締る爲めに、新らしい法令を起草し、早晩發布する運びにしてゐるといふ事である。

此二三年來は、社會主義思想が著しく勃興して來たので、いかゞはしい社會主義者が、雨後の筍のやうに出たと共に隨分無反省な運動者も現はれた。賣名狂でさへあれば、誰でも社會主義者になれると言ふ有樣である。この傾向は當局にとつて迷惑千萬なのは勿論の事ながら、眞面目な世間にとつても迷惑な事一と方でない。それと言ふのも法令が緩慢で、何等の犧牲なしに騷ぎ廻る事が出來るのと無智な新聞記者が矢鱈に大提灯を持つからだ。

今度新法令が出る事によつて、助かるのは獨り當局計りではない。愚にも付かない騷ぎに新聞を埋められる讀者も大助かりになる譯である。取締はどんどん嚴重にやるがいゝ。そして無反省な賣名者を一掃するが好い。それは社會運動そのものを廓清する爲めにもいゝ事なのだ。


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