學者の篏口令

高畠素之


學者の言論が次第に過激になつて來たといふので、當局者は近く何等かの形式で、直轄學校の教授連に對して言論の取締りを行ふさうだ。政府の取締りで學者の言論を穩やかにしようなどとは飛んでもない話だ――とでも嘲笑したい所であるが、事實に於いて日本の教授連は政府の目色を氣遣ひ乍ら、その言論の手加減をして行くのだから、此取締も社會主義者の取締令同樣、寔に機宜に適したものであると言ふの外はない。

學問の獨立、研究の自由などと云ふ事は云ふだけ野暮である。言論の取締が一般に嚴重であり、社會主義思想が異端視されてゐる時代には、全く鳴りを潛めて穩和な學者であるかに見せかけてゐた人々が、一朝社會の風潮が變り、言論取締は緩慢となり、社會主義思想が歡迎されて來ると共に、相爭つて社會主義説の研究に耽るやうになつた。一時は社會主義者と言へば悉く教授學者であるかの如き觀を呈した。それが近頃讀書界の人氣は漸く社會主義から離れ、取締も次第に峻嚴に行はれるやうになつて來ると、何れも亦申合はせたやうに退いて行く有樣である。

政府の官吏である教授連にとつて、これも亦無理のない事ではあらうが、若し抑ゆる事の出來ぬ研究慾が伴ふならば、其地位と名譽とを捨てゝも、志す研究に沒頭する人もあらう。かくの如き人の現はれて來ない以上、教授連の研究が左程獻身的なものとは考ヘられぬ。取締を嚴重に行ふならば、一般讀書界は無責任な學者の言論に惱まされる憂もなく、また森戸事件に連坐した大内兵衞氏の如く、百方運動して再び帝大に舞ひ戻る悲慘な犧牲者も出さずに濟むのである。取締が緩慢なればこそ此種の弊害も生れやうが、嚴重な篏口令を下される事は、何人の爲めにも禍となるものでない。それは全く一舉兩得である。


次へ

inserted by FC2 system