哲學者の情死

高畠素之


野村隈畔と云ふ哲學者がその戀し合つてゐる若い女と情死した。その事は市井の一些事として問題にするにも當らない程の事であるが、滑稽なのは彼れの友人なる石田友治、小川未明等の諸君である。彼等は隈畔の情死を『匹夫匹婦の情死と同一視され度くない』と云ふので、隈畔が情婦岡村某と市川の旅館に滯在中認めた日記を、何等か適當な方法で社會に發表しようと計畫してゐると言ふ。

處が新聞に發表された日記の一部を見ると、何處にも彼の死が匹夫匹婦の死と異る理由を見出す事が出來ないのである。『一切を捨てゝ現實を超越する何等の勇敢ぞ、永遠の美と愛とに心行くまで憧憬する何等の神祕ぞ!川(市川)を渡つて永劫の彼岸に旅立つ何等の嚴肅ぞ!』と言ふのが、彼の日記の中の代表的な文句であるが、之が匹夫匹婦の所謂『あの世で添はう』と言ふ心意氣と、一體如何なる相異を持つのであらう。

たゞ匹夫匹婦は哲學者でない悲さには、斯う言ふ高尚(?)な辭句を使ふ事が出來ない。然し辭句の如何と言ふ事は結局末の末の問題であつて、それが情死の價値を上下せしむる何等の偉力も持たない筈である。彼れの死を哲學的煩悶の結果であると言ふ如き事は、此親切な友人達の贔負の引き倒しである。如何に無學な匹夫でも四十にも近くなつて、妻子を抱へてゐる身で、若い女と道ならぬ戀に熱中してゐる場合に、仕事の上の不安や生活の不如意などが重つて來れば、聊か哲學的煩悶にも耽らざるを得ないだらうし、又その果は『永劫の彼岸』に旅立ちたい氣にもなるであらう。して見れば、此哲學者の死も匹夫匹婦の死も、同じ徑路を辿り同じやうな感情によつて行はれるものだと言はなければならない。

それにも拘らず、自分の友人であり哲學者であると言ふ事の爲めに、之を特別な哲學的情死でもあるかのやうに考へるのは、あまりに無邪氣な滑稽である。彼等がその無智な主觀論を弄ぶは御自由だが、匹夫匹婦の情死に對する冒涜だけは固く愼んで貰ひ度いものである。


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