二人の殉難者

高畠素之


安田が刺され原が殺された。世間は今更のやうに彼等の功罪を尋ねたり、受難の當否を論じたりしてゐる。安田の場合には彼れが一介の守錢奴に過ぎぬといふ事によつて、彼れの兇死は當然であるかの如く論ぜられ、其暗殺者に對しては志士的な名譽が與へられたやうだ。然るに原の場合には、事情は自ら異つて來てゐる。彼れは兎も角も一國の宰相であつた。彼れには世人の尊敬に價する人格があつた。從つて彼れの死は一般に哀惜され、暗殺者は前の場合とは自ら異つた待遇を受けてゐる。尤も是には、前の刺客が自ら割腹してゐるに反し、後者はそのまま囹圄の人となつてゐると云ふ事も關係してゐやう。

何れにしても、安田と原との場合に對する世人の感情は、全く異つてゐるやうである。これは金を卑しみ心情の美はしさを誇る封建的思想が、尚僅かながらも殘つてゐるからで、無理のない現象でもあるが、然し封建制度の倒壞と共に、その根據を失つてゐる此の種の思想に今尚ほ囚はれゐる事は、結局頑迷固陋の譏りを免かれない。

二人の功罪を論ずるには、現在の社會状態と現在の根抵的精神とを標準とすべきである。安田は現代の商人として、一個の資本家として洵に模範的な人物であつた。彼れの生活の全部は資本の増殖といふ任務の爲めにのみ捧げられてゐた。原は資本主義的大政黨の首領として、資本階級の政治的支配が進むと共に、不完全ながらも日本最初の平民内閣――ブルヂオア内閣――を造つた最も現代的の政治家である。彼等二人は資本主義進行の流れに從つて、最も忠實に其任務を盡した人々である。彼等は何れも斯かる進化の途上に於いて重要な功績を舉げた人々である。彼等を批難し攻撃すると云ふ事は、彼等に據つて立つ所の精神を否定する者ならでは、絶對に許す可からざることである。

彼等は何れもその信念の爲めに勇敢に戰つた人であつた。然し乍ら彼等の此信念は資本主義の進行發展の爲めであつた。その事の是非は兎も角、彼等はかくて相當の功績を擧げる事が出來たのである。然し社會の資本主義的支配が甚しくなるに伴れて、現在の如き頽廢的衝動的な風潮が生れるのも亦必然の過程であると見なければならない。

二人の刺客が、如何なる動機、如何なる刺戟によつて此兇行を演じたかは吾々の容易に知るを許されない事柄であるが、刺客に働いてゐる社會的なる遠因は、恐らく社會の斯る過程、斯る風潮によるものであらう。して見れば原、安田の二人は資本主義の進化發展の爲めの勇敢なる戰に從つて其信念の爲めに倒れたものとも見る事が出來やう。斯くの如く考ヘて來るならば、彼等は何づれも資本主義發展の爲めの偉大なる犧牲者であると言はなければならない。その間に輕重厚薄の差を附す可きではない。二人は等しく世人の熱い感謝の涙に葬らるべきものである。


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