刺客の新模型

高畠素之


剌客と言ふと、必す東洋風の豪傑で常に國事を談じ悲憤慷慨してゐるやうな青年を聯想する。それは從來の刺客が必ず此型の人物であつたからである。伊庭想太郎でも來島恆喜でも岡田滿でも、最近の朝日平吾でも皆この型であった。

然るに原敬を刺した中岡艮一は、之等の連中とは全くタイプを異にしてゐる。彼れは狂熱的な詩人である。歌を造り小説を書く感傷的な文學青年である。彼れが手帳の『九月一日を記憶せよ』と言ふ謎の一句は、彼れが應募した懸賞脚本の當落が決定される日であつた。心血を漉いだその脚本の落選によつて、彼が如何に落膽し幻滅したかと言ふ事は今度の兇行に何等かの關係があるのかも知れぬ。彼れには特に政治的興味や意見やがあつた譯ではない。

斯くの如き文學青年の間から、狂暴な刺客が現はれやうとは何人も考ヘ及ばなかつた所である。此の新傾向、それは何を表すものであるかは明かに知る事が出來ないが、從來不良少年の間に於いて、硬派から軟派への推移が行はれて來た事は、吾々に何等かの暗示を與へるものであるかも知れぬ。

嘗ては不良少年とさへ言ヘば、腕力を誇り高談放語する壯士風の青年であつて、從來の剌客は皆この不良少年と型を同じうしてゐる。處がその後軟派の不良少年が現はれて來た。彼等は前者に較べて全く型を異にしてゐる。彼等は著しく近代的であり、文學的であつた。高談放語するよりは女を逐ふと言ふ青年であつた。今度の中岡が有する傾向は、此軟派不良少年の型である。惰弱な臆病な文學青年の中から、かゝる狂暴な兇行者が現はれて來たのである。

不良少年の中心が硬派から軟派へ移つたのが、社會の發達が人心に與へた何等かの變化にあるものとすれば、此新らしい型の刺客が現はれて來ると言ふ事も、また自然の傾向ではあるまいか。


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