夢想の罪

高畠素之


世の中には美はしき觀念上の世界に逃避して、獨り自ら高しとする計りではなく、抽象的なる觀念を以つて、現實の世界を動かし得ると信じてゐる者がある。

彼等は英米の巧妙な宣傳に世界の平和を夢み、正義人道の樂園を夢みた。そして平和思想の普及、軍備制限の貫徹等と稱して宣傳してゐたのである。尾崎行雄君一派の輕燥な政治家や、基督教徒の群や、空想的勞働運動者の群などが即ちそれであつた。

彼等の煽動によつて、多少ながら軍備制限の輿論も湧いた。そして見事に我々は屈辱的軍備縮小に甘んじなければならぬ事となつて了つた。然し屈辱はこれ丈けで終るものではない。更に今度は、太平洋防備制限と稱する美名に隱れた日本の防備鎭壓策に遭遇せねばならぬ事となつたのである。英米の主張は、多數の力を恃む極めて專横な、平和や人道とは似ても似つかぬものである。

この提案が、如何に平和を無視した辛辣な戰術であるかと言ふ事は、お目出度い平和論者にしても、氣が付かぬ筈はない。英米は此提案に於いて、露骨にその假面を脱いだ爭鬪的本性を表はしてゐる。斯樣な明かな事實を見せ付けられては彼等觀念論者が樂園の夢も少しは醒めていゝ筈である。煽てられた國民の感情も此事實を見ては少しは納つた事であらう。

英米の老獪は始めから知れ切つた問題である。彼等が、平和と人道とを楯にして、其野心を充さうとしてゐた事は、言ふまでもない話であつた。然し日本が隙さへ與へなければ、斯くまで露骨に其本音を出して來る事は無かつたであらう。軍備縮小丈けで甘んじてゐた事かも知れなかつたのである。

然るに、英米が斯くまで露骨に出て來たのは、乘ぜらる可き隙が、日本にもあつたからなのだ。その隙とは何であるかと言へば、即ち觀念論者の輕舉盲動である。手つ取り早く言へば、皆があまりいゝ氣になつて、尻馬に乘り過ぎたからなのだ。

巧みに乘ぜられて、馬鹿々々しい目に逢ふ事になつたものである。今となつては多勢に無勢、日本も此暴案に泣き寢入る外はあるまいが、承認する事もしない事も、共に苦しい立場である。――然しそれにしても、かゝる難關を招來したのは、一知半解の夢想家の輕擧盲動に在る事を思ふと、今更らながら女子と小人の養ひ難い事を痛嘆せざるを得ない。


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